第三幕 殺人鬼の証明 ②

 

「お前……」

 舞鳳鷺まほろの傍にいた青色が紗綺さきに怒気を露わにした。

 へへっと馬更ばさら竜巻が笑う。

「いいぞ、会長! 流石だ、もっと言ってやれ!」

「お前は黙ってろ!」

 青色が竜巻を抑えつけて床に膝をつかせる。それでも竜巻は歯を見せたままだった。

 舞鳳鷺は黙っていた。

 じっと紗綺を見ている。

 瞬きもせず食い入るような視線。

 不意にその両腕が動いた。白く長い両腕が紗綺に向けて伸びた。

 身を強張らせる暇もない。舞鳳鷺の両手が蛇のごとく紗綺の喉を締めた。

 反射的に足を引こうとするが後ろにも青色がいて動けない。

 舞鳳鷺の細長く白い十本の指が、容赦なく紗綺の気道を圧迫した。

 呼吸が止まる。

 声も出せない。

「会長おぉぉっ!」

 鍋島村雲が轟雷のような声を発した。

 だが彼も《冥殺力めいさつりき》に阻まれ動けない。

 喉を締められながらも紗綺は舞鳳鷺の目を見返そうとした。


「……いけません」

 舞鳳鷺が囁く。

 鼓膜を撫でるような、小さく冷ややかな声で彼女は言った。

「いけませんわ、そんな安い挑発を口にしては。それでわたくしが激高のままに、こうして貴女の首を絞めるような女に見えまして? もしそうならわたくしたちの間には悲しいまでの認識の相違がありますわね」

 そっと指を離していく。

 ようやく酸素を取り戻した紗綺は、激しく噎せた。

 そんな紗綺の乱れた前髪を直すように、舞鳳鷺が指先を躍らせる。

 まるで人形に触れるような優しい手つきで——

「わたくしたちは互いに立場ある者。皆さんの見ている前で醜く争い、唾を飛ばし合うようなことはあってはいけませんわ。立場ある者はみなそれ相応の、相応しい振舞いをするべき——そう思いませんか、紅緋絽纐纈べにひろこうけつさん?」

 紗綺は頭を振って舞鳳鷺の手を振り払った。

 再び舞鳳鷺の目を鋭く見据える。

「私に立場などない。私は私、ここにいるのがすべてだ」

 舞鳳鷺の手が止まった。

 表情が凍り付く。

 一瞬だったが彼女に得体の知れない気配が覆った気がした。殺意や敵意と似た、或いはそれ以上の、何か別種の異物に相対したときのような気配——それは先ほど喉を締められたとき以上の本能的な恐怖を紗綺に抱かせた。

 その感覚はまるで——


——禍鵺マガネと対峙したときのような感覚。


 いや——そんなはずはないが。

 紗綺は一瞬自分の胸中にきざした感覚を訝った。

 だが、確かにある意味でこの女が禍鵺以上に危険な存在であることは確かだ。

「惜しい。本当に惜しいですわ、紅緋絽纐纈さん」

 すぐに頬を緩めた舞鳳鷺は、いつもの口調で言った。

 さっき垣間見せた表情は嘘のように引っ込めて。

「貴女にはまだ立場というものがご理解いただけませんのね。遺憾ですわ」


——この女はずっとそうだ。

 紗綺は改めて舞鳳鷺を見る。

 考えてみれば鴉羽学園に現れた当初から彼女は自分を目のかたきにしていた。何かにつけて衝突が絶えないのは、赤色生徒会や青色生徒会、殺人バット、使徒といった要素と関係なく、何かもっと根源的な理由があるように思える。

 それが何故なのか。

 幾度となく考えた。

 そしてその正体がかすかに見えてきた気がする。

 それは言うなれば——

 決して相容れないものに相対したときの防衛本能——そんな気がしている。

 紗綺は目の前のこの女に対し、他の誰にも感じない根源的な嫌悪、敵愾心を覚えずにいられない。或いは一種の恐怖と言っても間違いではない気がする。

 何かこいつを放置していては途轍もないことが起こるような——

 他の生徒はそれに気付いていない。

 もちろん彼女が危険な存在であることくらいは分かっている。

 だが、分かっていない。

 彼女の本当の意味での恐怖すべき点を。警戒し、排除しなくてはいけない点を。その美しい顔、容姿、煌びやかな風体の底に隠れた醜悪な本性を。

 それはまるできらきらと光る氷原の下に、いつ人間が薄氷を破って落ちてくるかと待ちわびる巨大な魔物を思わせた。

 そして——もしかしたら。


 相手も自分に対して同じような——


「会長、そろそろ……」

 青色のひとりが舞鳳鷺の横に立って伺った。

 既にトイレの前には数人の屈強な男が犇めいて舞鳳鷺の号令を待っている。

 鬼頭は相変わらず睨んでいるが動く気配はない。雑喉はさっき以上に額に汗を浮かべて成り行きを見ていた。

 竜巻、村雲らも到底抵抗できる状態ではない。

 舞鳳鷺はそれを確認するようにぐるりと睥睨へいげいし、口を開こうとした。

 だが彼女が何か言うより早く、群衆に僅かなどよめきが起こった。

 視線がトイレに集中している。

 紗綺も視線を追う。

 トイレからひとりの男がおもむろに出てきた。

 その人物は騒動の渦中の荻納衿狭でも沙垣先達でもない——新任教師の軛殯くびきもがり康峰やすみねだった。

「先生……?」

 紗綺も思わず声を漏らした。

 どうして彼がこの場に?

 白衣白髪の男は周囲の群衆を見渡す。

 その口がおもむろに開かれた。


「……ごほっ、げほっ」

  

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