第二幕 殺人鬼の正体 ②
あまりにも——唐突。
周囲の生徒たちもそうだ。ざわめきが起こるどころか無言で、固唾を呑んで成り行きを見守っている。
ただひとり
例によって恐ろしく白い顔、透き通る海のような天色の髪、そして今日は白いドレスの裾をはためかせ、日傘を差している。
「ほほ、いきなりのことで面食らうのも無理ありませんわね。誤解なきようお断りしますが——貴女を
舞鳳鷺は自分の胸元に手を当てて言った。
先達はまだ状況が理解できない。
いや、舞鳳鷺が何を言っているかは分かる。こういう事態に発展するのは昨日康峰に相談した通り予想していたはずだ。
だが、それにしても急過ぎた。
昨日の今日でこんな展開が来るなんて。
その事実の目まぐるしさに脳が理解するのを拒否している。
ちらりと衿狭を横目で見る。
衿狭は黙って舞鳳鷺の目を見返している。
落ち着いているように見える——少なくとも先達ほど動転はしていないだろう。それでもこの事態にどうしていいか分からないに違いなかった。
その沈黙につけこむように舞鳳鷺が声を続けた。
「あら、何も仰らないのかしら? では同意戴けたと見て宜しくて?」
その言葉に周囲の青色たちが動き出した。
衿狭に向かって踏み出そうとする。
「彼女は、殺人バットではありません」
咄嗟に、先達は口を動かしていた。
青色の生徒たちが初めてそこに先達がいることに気付いたように視線を向けてくる。無意識に握りしめた拳から汗が絞り出されるようだった。衿狭も驚いた目でこっちを見ていた。
なぜ発言したのか自分でも分からない。こんなふうに青色生徒会に反抗するような態度を取ったのは初めてだ。それでも今更引くわけにはいかない。
別にただの取り調べかもしれない。放っておいても衿狭はすぐ無事解放されて戻ってくるかもしれない。
だが——
先達は言い知れない不安を覚えずにいられなかった。
二度と彼女が戻ってこないんじゃないかという漠然とした予感——
——それだけは、嫌だ。
「荻納さんは殺人バットじゃない。連れて行かれる
「沙垣君……」
「それを調べるために同行を願うんですのよ。貴方に決定権はありませんわ」
舞鳳鷺が言った。
日傘の陰影に隠れた目はこちらも見ていない。
先達はかっと頭が熱くなるのを感じた。まるで先達など見るに値しないというような態度にかつてないほど怒りが沸いた。
舞鳳鷺に向かって踏み出そうとしたのを、その傍らの青色が一歩前に出て制した。先達を日陰に隠すような大柄な男だ。先達はその突き刺すような視線に動きを止めざるを得なかった。
「沙垣君、大丈夫だよ。私は」
衿狭が宥めるように言った。
その目を今度は冷たい視線に変えて、舞鳳鷺に向ける。
「ひとつ確認しておきたいんだけど」
「おい、会長に対して何だその口の——」
「構いませんわ」
青色の男が衿狭に凄もうとするのを、舞鳳鷺が静かに遮った。青色の男は戸惑ったように眉を寄せつつも下がる。
舞鳳鷺の目は相変わらず衿狭を捉えて離さない。
「ひとつと出し惜しみせず、いくらでも結構ですわよ」
「そう。でも私が確認しておきたいのはひとつだけ。黙って私が会長さんに協力すれば、他の子に手を出さないって約束してくれる?」
先達はそのとき集まってきた野次馬のなかに
当然こっちに気付き、遠巻きに様子を伺っているようだ。
衿狭がそのことに気付いているかは分からない。だが彼女の言葉は先達だけでなく、親しい綺新や夢猫のことを考えてのものだろう。
「それを確約するのは少々困難ですわね。もしわたくしの大切な仲間に手を出すようであれば、悲しいことですがわたくしも然るべき措置を取らざるを得ません」
「もちろん正当防衛の範囲でなら分かるよ。でも私を取り返そうとして暴れる人がいても極力手を出さないでほしい。具体的には、怪我をさせないで。もし誰かを怪我させたら、私も貴女の言うことを聞く気ないから。……そのとき私がどんな状況でも、ね」
「ほう……」
感心したような、嘲笑するような、得体の知れない声を舞鳳鷺は発した。
衿狭を見つめる目を細める。
先達は内心驚いていた。他の野次馬や青色は尚更だろう。ただの一生徒に過ぎない荻納衿狭があまりにも堂々と青色生徒会会長、ひいては天代守護の代表の一人娘である舞鳳鷺に対してここまで毅然とした態度を取る光景は異様と言っていい。
しばらく沈黙していた舞鳳鷺だが、やがて鷹揚に頷いて見せた。
「宜しいでしょう。もとよりわたくしも争いは望みませんわ。貴女さえ素直に従ってくだされば、貴女のご学友が多少ちょっかいを出してきたところで何もしません。淑女の振舞いを以て対処することをここに約束して差し上げますわ」
「そう。ならよかった」
天気の話でもするように単調に言って、衿狭は視線を斜め後ろに向けた。
先達と視線を合わせて彼女は言った。
「そういうことだから。ごめんね、沙垣君」
「荻納さん……」
先達の唇から罅割れそうな声が漏れる。
その謝罪がどういう意味なのか。
これが最後の会話だとでもいうのか。
自分はいま何をすべきなのか。
——自分に何ができるのか。
あまりに多くの思いがめまぐるしく交錯して、言葉にも行動にも出来なかった。
衿狭は少しはにかむように笑って、再び舞鳳鷺に向き合った。
そうして一歩踏み出す。
遠巻きのなかの綺新、夢猫はかなり近づいて、飛び出せば衿狭に届く距離まで来ている。だが青色の男たちが取り囲んでいるのでこれ以上近付くことはできない。珍しく彼女らも焦っているのが分かった。
先達は全身の毛穴から汗が噴き出して
衿狭が遠くへ行こうとしている。止めるならいましかない。だがどうすれば? どう考えても周囲の屈強な舞鳳鷺の護衛みたいなこの男たちを自分がどうにかできるとは思えない。一瞬で捕まって取り押さえられるのがオチだ。
でもだからと言って突っ立ったままでいいのか? これでもし、もし万が一衿狭と二度と会えないようなことになってもいいのか?
衿狭が舞鳳鷺にもう一歩踏み出そうとする。
先達の唇が動く。
——だが。
結局その唇から声が出ることはなかった。
先達は——
黙って目を伏せた。
「そこまでだ、
凛とした声がその場にいた全員の動きを止めた。
野次馬の群れを掻き分けるように——というかいつの間にか割れた野次馬の群れの中央に、
緋色の髪が朝日に照らされて鮮やかさを増していた。
軍帽の下の両目は爛々と燃える炎のように熱く鋭く、舞鳳鷺を見据えている。
舞鳳鷺の眉間がぴくりと震えた。
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