第一幕 事件がひと段落着いたあとの穏やかな日常パート ⑤

 

 禍鵺マガネを倒すため鴉羽からすば学園の生徒に使徒が与えた《冥浄力めいじょうりき》。

 そしてそんな生徒たちを制御するために青色生徒会にだけ使徒が与えた《冥殺力めいさつりき》。

 このふたつの力が鴉羽学園の現状を形作っている。それはある意味でいびつな、微妙な均衡ではあるが、曲がりなりにもそのふたつの力が別個にあるがゆえに成り立つ関係であることは間違いない。

 だが——

 もし同じひとりの人物がこの両方を扱えるとすれば——

 この砂上の秩序も一気に崩れかねない。


「……他の連中はこのことを知ってるのか?」

 沈黙を破って康峰やすみねは先達に訊いた。

 もし殺人バットが《冥浄力》も《冥殺力》も使えるとすれば、事は慎重に運ばなければならないだろう。

「どうでしょう。天代守護てんだいしゅごは捜査の状況を詳しく公開してないのでよく知りませんが……もし知ってたら流石にもっと大騒ぎになるんじゃないでしょうか。使徒だって黙ってはいないでしょう」

「そうだな。それでその、そもそもの話になるが……《冥浄力》と《冥殺力》の両方を同じ人間が使うことは本当に不可能なのか?」

「無理ですよ」

 康峰の問いに、先達が言下に答えた。

鬼頭きとう先生も言ってました。ふたつ同時に扱うことは人間の肉体では負担が大きすぎるから使徒が与えないんだって。だから青色に入る生徒もまず《冥浄力》を封印されたうえで《冥殺力》を与えるって手続きを踏みます」

「けど、それは使徒がそう言ったってだけだろ?」

「先生」

 先達が声を低くした。

 その顔は既に夕闇で隠れている。

 真っ黒な輪郭が康峰に問いかけた。


「それはどういう意味ですか?」


 康峰は黙り込む。

 先達の質問が意味するところが分かっていたからだ。

 使徒の説明への疑問——

 それはこの、いまの世界を管理している使徒に対する謀反になりかねない。この世界を根幹から揺るがしかねない疑問なのだ。

 それだけに康峰もそれ以上深入りすることが躊躇われた。

 軽く咳払いをして腕組みを解き、頭を掻く。

「とりあえず、このことは黙っておいたほうがいいだろう。まったく、ただのノロケ話かと思ったらとんでもない爆弾をぶち込んで来やがったもんだな」

「は? ノロケ?」

「お前が荻納おぎのうの件と言ったからだよ」

「ああ、荻納さん……彼女、大丈夫でしょうか? 殺人バットに疑われて、でも何も言わなくて。否定もしないし肯定も当然しないから益々噂が広がっているふうなんです。鵜躾うしつけさんは噂の出所を見つけてシバくとか物騒なこと言ってるし」

「そんな話になってたのか。まぁ荻納の対応が正しいだろうな。この手の根も葉もない噂は放置しておくのが一番利口だ」

「でも、放置しておいて大事おおごとになったらと思うと……」

「あのなぁ、こういうのは自然消滅するもんなんだよ。お前はちょっと心配し過ぎだ。そりゃ好きな子のことだから心配なのは分かるが、もうちょっと冷静になれ」

 康峰はそう言って先達の肩に手を置いた。

 先達はまだあまり納得いかない様子だったが、曖昧に頷いた。



 その夜。

 ようやくすべての用事を終えた康峰は、就寝の準備をしていた。

 だが頭のなかではどうしても先達から聞かされた話が離れない。

 荻納衿狭が殺人バットという噂は信じていない。だがそもそもそんな噂が立ったのには、何か根拠があるのかもしれない。

 それが何かは分からない。誤解か嘘か——いずれにせよ、先達にはああ言ったものの、康峰自身もこれがただの風聞として自然消滅するとは思えなかった。

 とは言え——

 どうすればいいのか。

 そもそも学園には問題が山積みだ。ここしばらく禍鵺も殺人バットも現れないので失念気味だが、そもそもこの島を取り巻く状況は何も変わっていない。

 いつ霧の向こうから現れるか分からない化物。

 島内に潜伏したまま息を潜めている殺人鬼。

 そして生徒が行方不明になるという噂。

 ついでに、青色と赤色の確執もある。

 かと言って——自分に何かできるのか。 

 考えようとしたが全く考えはまとまらなかった。

 第一今日はもういろいろあって頭が回りそうにない。

——また明日考えるか。

 どうせ今日明日で結論が出ることじゃない。そう思って布団に潜ることにした。

 消灯し、闇に包まれると、やがて森のほうから鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 この島に来た当初鬼頭から聞かされたトラツグミとやらの声だろう。

 最初あんなに不吉で不穏に聞こえた声も不思議と慣れてくる。


 しばらくその声を聞きながら康峰は静かに瞼を閉じた。

 冷たく小さな鳴き声が鼓膜の奥で反響している。

 恐ろしい何かが近づくのを告げるように——

 或いは。

 深い意識の闇の底から——


 記憶の扉をこじ開けるように。


『まだ気付かないのか?』



 赦さない。

 それ以上に——赦されるわけがない。

 俺は——



 

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