第一幕 事件がひと段落着いたあとの穏やかな日常パート ③
『これは何というか——私の《使命》のようなものだと思ってる』
あのときはその意味を追求する暇もなかったが。
紗綺が静かな声で滔々と紡ぐ。
「……私の家は代々伝わる部門の家柄だ。遡れば戦国の時代から常に群衆の先頭に立って戦ってきた。元は
まるで別世界の話でも聞いている気分だ。
だが康峰は黙って彼女の言葉が紡がれるのを聞き続けた。
「その後も我が家は代々武将として群衆の先頭に立って戦ってきた。祖父・
真っ直ぐ康峰を見た目は灯火のように煌めいていた。
その声はあくまで落ち着いていて、午後の日差しのなかに溶け込むように自然だった。余計な力みや気負いや自己陶酔は感じさせない。
だがその内容は康峰に十分な衝撃を与えた。
とても年頃の少女が思うことではない。
初対面のときからちょっと変わった子だとは思っていたが、予想以上だ。
康峰は何と返していいか分からなかった。
不良や阿呆の相手なら想定していたが、逆に優等生相手というのは盲点だった。あまりに優等生すぎるとかえって扱いに困る。そんな考えはやめろと言うのも無責任だ。
実際、
「……そんな私が悩みなどあったとしても口にするのは憚られる。私は自ら進んでこの学園に来たのだからな。先生はどうか他の子らの悩みを聞いてやってほしい。彼らの多くが——表には出さないかもしれないが、内心は肉親と引き離されて悲しんでいたり、自由を奪われて苦しんでいたりする。……きっと」
「鍋島村雲や
そう言うと紗綺は少し頬を緩めた。
「いや、彼らは違う、たぶん。竜巻は戦うのが好きだし使命なんて考えたこともないだろう。村雲は私に近いかもしれないがそれでも悩みからは遠いような感じがするな。私たちは三人とも、あまり人の立場に立って物を考えるのが苦手だ。だから私たちはよく突っ走ってしまう」
「まぁ、そういうことなら無理に悩みを打ち明けろとは言わないが……」
康峰は言った。
「それにしても驚いたな。まさかこんな島に自ら赴く子供がいたとは……親や兄弟は反対しなかったのか?」
「反対は、されたな。ものすごく」
「それでも押し切ったのか」
紗綺の表情が日陰に隠れた。
むかしの苦い記憶を思い出しているのかもしれない。
当然だろう。進んで地獄に飛び込むようなものだ。自分が親なら自宅に監禁してでも妨害するかもしれない。
「……育ての母には泣いて止められた」
「育ての?」
言ってから、軽率だったかと危ぶんだ。
だが紗綺はさして気にしたふうもなく頷いた。
「私は幼い頃の記憶がないんだ。気が付けば紅緋絽纐纈の屋敷にいた」
「ちょ、ちょっと待て」
康峰のほうが動揺して声を上ずらせた。手を突き出して制する。
「お前はどうしてそんなデカい秘密をサラッと話すんだよ。もうちょい予備動作とか前振りとかしてくれ。あと俺にそんなことまで打ち明けていいのか?」
「どうしてだ? 先生相手なら構わない、と私なりに考えてのことだが」
きょとんとしている。
——そんな目で見るなよ。
康峰は頭を掻いた。
だがここまで聞いたら聞くところまで聞くしかない。
「じゃあその、養子——だったってことか?」
「いや、れっきとした紅緋絽纐纈家の人間だ。だがどうやら父は紅緋絽纐纈の家では特殊で、古臭い家柄を嫌がり出奔していたらしい。一般人同然に暮らしていたが、事故で夫婦ともども死んでしまった。辛くも生き延びた娘である私だけが父の生家である紅緋絽纐纈の家に迎え入れられた。そこで自分の素性を全部聞かされた」
「なるほど……それじゃずいぶん驚いただろう」
「いや。事故で何も覚えていなかったから」
そうか——記憶喪失だったな。
「事故前のことは何も覚えていない。私の人生は紅緋絽纐纈の屋敷の玄関に立って、私の体に抱き着き泣き続ける養母の記憶とともに始まる。正直、養母らの言葉が本当かも分からない。証明の手段がないからな。それでも」
紗綺が顔を上げてまっすぐ康峰を見る。
「私は紅緋絽纐纈紗綺だ。紅緋絽纐纈家の、一人娘だ」
康峰はその眼差しを正面から受け止める。
軍帽の下の
『先生はまだ知らないかもしれないが……私はこの学園ではちょっと特殊な人間だ』
その言葉を反芻する。
そこに込められた意味を。
本当に紅緋絽纐纈の家の血統か分からない。親の顔も知らない。祖父の顔も見たことがない。
それでも。いや、それだからだろうか——紅緋絽纐纈の家の人間として何をすべきかを考え、その使命を全うしようとする。
それがこの少女。紅緋絽纐纈紗綺という人間なのだ。
どうやら自分はとんだ生徒を預かってしまったらしい。そんなことに今更気付いた。
——こんな奴の悩みをどう聞くんだよ……
頭を掻きながら内心ぼやいた。
「済まない、先生。長話になってしまったな。忘れてくれ」
「いや無理だろ」
そのとき、校舎内に高らかなチャイムの音が鳴った。
昼休憩の終了を告げる音だ。恐らく紗綺たち生徒はこれから戦闘訓練だろう。紗綺も話を切り上げようとするかのように腰の愛刀を持ち直した。
「あっ」
だが紗綺は何かに気付いたように高い声を発した。「そういえばひとつ、あった。個人的なことで」
「何の話だ?」
「悩み事だ。いやしかし……これは流石に……」
「えっ——」
紗綺は顎に手を当てて、逡巡を見せた。康峰はぎくりとする。
どうしよう。いまの彼女の暴露を踏まえて、到底康峰には彼女の助けになれる気がしない。
一体どんな悩みという名の巨大爆弾が
だが康峰の憐れな葛藤をよそに、まなじりを決した紗綺が康峰を見据えた。
「聞いてくれ、先生」
「げほっ、うっ、持病の
「その、どうすればもっとうまく人と会話できるだろうか?」
「ごふっ?」
康峰が
ほんのり頬が赤く染まっている。
先ほどまでの凛とした口調よりずっとたどたどしい声音で言う。
「私は……いつもあまり人とうまく会話できない。その所為で何かとこう、誤解をされたり、怒らせてしまうことが多いと言うか……頭ではもっと上手に伝えようと努力するんだが、気付くと違うことを言ってしまったり、変な言葉を使ったりしているらしい。自覚はないので困ってしまっている。——先生、どうすればいいだろうか?」
紗綺はあくまで本気らしく、きりっとした目を康峰に向けた。
その目は幼い少女が必死で大人に訴えるときのそれのようだった。
——どんな無理難題が飛び出すかと思えば……
こうして見ると彼女も年頃の少女らしい。大人からすればかわいい悩み事でも本人は真剣なんだろう。
とは言え……
——どう答えたもんか。
そもそも康峰は紗綺が口下手と思ったことはない。
独特ではあるがそれが彼女の個性で、むしろその力強く堂々とした言葉遣いは彼女にしかできない魅力のようにさえ感じていたし、きっと他の生徒たちもそうだろう。だからこそ彼女は好かれてもいるのだ。
だが、きっと彼女が求めているのはそういう答えではないだろう。
それだけに康峰はどう答えるべきか迷った。
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