第八幕 三者三考 ④

 


***


 灰泥はいどろ煉真れんまは注意深く辺りを見てから、林を抜けた。

 周囲に人影はない。どうやらうまく連中を撒けたらしい。

 まだ痛む脇腹を抑えながら、何とか足を引き摺って歩き出した。

——あいつはやっぱりここにいた。

 煉真はつい数十分前に起こったことを思い出す。



 トイレで禍鵺の襲撃に遭ったあと、校庭に出た煉真は霧のなかに殺人バットらしき人影を見た。

 逃げようとする奴の背中を追って、霧のなかを走り回った。

 だが校舎内、校庭のどこを走り回っても奴の姿はなかった。途中禍鵺を捜す馬更ばさら竜巻たつまき鍋島なべしま村雲むらくもら赤色生徒会に遭遇したり逃げたりするうちに、すっかり時間が経ってしまった。

 どうやら今日は諦めるしかないらしい——そう思って校舎の裏に出た。

 正門から出るには目立ち過ぎる。

 学園裏の森林を抜けて、学生寮のほうを回ってから自宅に戻ろうと考えた。

 そう思って林に入ってすぐ、誰かと遭遇した。


 そいつは赤い炎を身に纏って立っていた。

 背中を向けていても一目で分かる。

 フルフェイスの黒いヘルメットに、黒いジャケット。肩には深紅の鮮血を滴らせる見るも凶悪な金属バットを担いでいる。

 そしてそいつの目の前には禍鵺が倒れていた。

 いや——

 よく見ると普通の禍鵺じゃない。

 白衣を纏い、華奢な体つきをしている。

 恐らく煉真も知るこの学園の生徒。

 青色生徒会の兵極ひょうごく廻理めぐりに違いない。


「……殺したのか?」

 殺人バットの近くまで来た煉真は乾いた声で訊いた。

 殺人バットが振り返ってこっちを見る。

 まるで野生動物が人間を観察するように、黙って煉真を見ている。

「…………」

 しばらく待っても、殺人バットは口を開かなかった。

 沈黙に耐えかねて、煉真は一歩踏み出した。

「何とか言えよ」


 手を伸ばしたそのとき、男の体に変化が起こった。

 先ほどまでの紅い炎が収斂し、代わりに青い炎が巻き上がった。瞬く間に青い炎が男の腕を、体を包んだ。

 煉真はかっと目を見開く。

——有り得ない。

 これは《冥殺力めいさつりき》——青色生徒会にのみ使徒が与える、対人間用の力。どう考えても殺人鬼が使えるわけがない。

 それだけじゃない。

 こいつはさっきまで確かに赤い炎を纏っていた。それで兵極廻理だった禍鵺を倒したのだろう。それは紛れもなく《冥浄力めいじょうりき》の発動の現れだ。

 《冥殺力》と《冥浄力》の両方を使える奴なんていないはずだ。

 いるとすればそれは——


 考えに気を取られたのは一瞬のはずだった。

 だがその一瞬を衝いて、目の前の男は金属バットを振るった。

 はっとして煉真が体を捻ろうとしたときには、肋骨を砕こうとする一撃が脇腹を襲っていた。

「…………っ!」

 激痛に歯を食いしばりながらも飛び退く。殺人バットから距離を取った。

 咄嗟に直撃を躱したが、それでも《冥殺力》に強化された一撃は落雷を受けたような痛みを内臓に反響させている。脂汗が浮かんだ。

 殺人バットのほうを見る。

 奴は悠々と再びバットを構えてこっちに顔を向けている。

 相変わらず青い炎が獲物を狙う蛇のように蜷局とぐろを巻きながらその身を包んでいた。


「てめぇ、何なんだ! 何が目的だ⁉」

 痛みに堪えながらも煉真は唾を飛ばした。

 殺人バットは答えない。

 フルフェイスのヘルメットは沈黙を保っている。

「お前は……」


 本当に俺の兄貴なのか。

 どうやってこの島に来たのか。

 どうしてその力を使えるのか。

 ——俺も殺す気なのか。

 訊きたいことは山ほどあった。あまりに多すぎて何から訊いていいか分からないほどに。

 だが煉真の絞り出した『問い』は——


「……夜霧よぎり舞宵まよいを知ってるのか?」


 殺人バットの足がぴたりと止まる。

 顎をわずかに上げた。

「《順番》が違うだろ」

 くぐもった低い響きが発せられた。

——やっぱり。

 こいつはあの男だ。

 むかし聞いたあの声のままだ。


「順番だと?」

「教えたよな。大事なのは順番だ。それを間違えたら……」

 草を掻き分け土を踏み、騒がしい声が近づいてくる。それに気付いて男も言葉を止めた。

 煉真も振り返る。

 校舎のほうから数人の生徒がこっちに向かってきていた。

「じゃあな」

 その言葉とともに殺人バットが身を翻した。

 煉真が再び見たときには、奴の姿は森林の奥へ走り出していた。

「ま、待てっ……」


「おい、誰かいるぞ!」

「殺人バットか?」

「あっ、あれは兵極さん⁉ ……あいつがやったのか!」


 生徒たちが煉真とその足元に転がる兵極廻理に気付いて口々に叫ぶ。

 まずい。ただでさえ自分を殺人鬼と疑ってるような連中だ。ここで弁明しても到底信じられるとは思えない。

「くそっ……」

 煉真は急いで殺人バットの後を追うように森林の奥へと逃げて行った。



 そうして森のなかを走り続け、ここまで来た。

 途中まで自分を追っていた連中もようやく諦めたようだ。

 まだ痛む脇腹を抑えて歩きながら、煉真は考える。

 あいつがなぜこの島で人殺しをしているのかは分からない。どうして自分の前に姿を現したのかも。

 だが恐らく奴は訊いても答えないばかりか、捕まえて搾り上げたところで話さないだろう。そういう奴だ。そもそも動機なんてモノもないのかもしれない。

 だからもう、そんなことを考えるのはやめた。

 なぜ《冥殺力》と《冥浄力》の両方が使えるのかは気になるが、それだってどうでもいい。

 重要なのは——

 そんな危険人物が自分の前に立ちはだかろうとしていることだ。

 自分の邪魔をしようとしていることだ。


——いいぜ、兄貴。

 いずれ奴はまた自分の前に姿を現すだろう。

 そのときは俺がこの手で——

 殺す。


「来るなら来い」

 俺の邪魔はさせない。

 奴とは俺が決着をつける。

「俺がお前に《順番》を教えてやるよ」


 煉真は学園に背を向けて歩き続けた。

 強烈な西日が景色を燃やしている。

 もうすぐ夜が来るだろう。



 

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