幕間
幕間 一
夕暮れの道をひとりの少女が歩いてくる。
鳥の
まるで鳥や木々さえ固唾を呑んで見守っているような——
少女が顔を上げてはっとした表情を見せる。反射的に辺りへと目を走らせたが自分たち以外に誰もいない。
当然だ——そうなる時間、場所を狙っていた。
「待てよ」
彼女の肩がびくりと震えた。
七星はゆるゆると眼鏡の奥の目をこっちに向ける。顔色を窺うような怯えた目を。
背丈は自分とそう変わらないのに、まるで小動物のようにいつも背を屈めて怯えた顔をする。それがいちいち煉真の神経を逆撫でした。
——何でこんな奴が……
俺じゃなくてこんな奴が選ばれたんだ?
「通して……」
七星は隙間風のような声で言った。
「ああ、通れよ。ただし——例の件を話してからだ」
煉真がこうして七星に詰め寄るのはこれでもう三度目だ。
その度に彼女は逃げたり、タイミング悪く邪魔が入ったりしていた。
だから今度こそ逃がさないために煉真はこの状況を待ったのだ。
今度こそ《あれ》を聞き出す。
——俺には《あれ》が必要なんだ。
「知らない。ほんとに何も知らないの」
「ふざけんなよ。何も知らずにどうしてお前が選ばれる?」
「あたし、選ばれたなんて思ってない」
「いや。お前は選ばれたんだよ。例えお前自身が望んでなくたってな。分かってんのか? それがどれだけ特別なことか」
煉真は無意識に七星に詰め寄っていた。七星は後ずさる。
「お前が知ってる秘密を全部話せ。俺ならお前よりよっぽど有効にその力を使ってやるよ。お前から聞いたなんてことも誰にも言わねぇ。誓ってやる。それでも話せねえって言うのか?」
「お願い……」
七星はいっそう消え入りそうな声で言った。
鞄を握りしめた両手にぎゅっと力が籠められる。
「放っておいて。もう嫌なの。あんなこと、忘れたい……から」
「忘れたいだと? ふざけんな!」
煉真は思わず七星の肩を掴んだ。
「いやっ!」
強く掴んだつもりはなかったが、驚いた七星は過敏に大きく体を捩った。
その拍子に掴んでいた鞄が滑り落ちた。
なかに入っていた本や文具が地面に散乱する。
七星は転びこそしなかったがその場にしゃがみこんだ。
煉真もそんな七星の反応に、思いがけない事態に動揺した。心臓が早鐘を打ち、頭の芯が痺れている。
ふと目を落とすと、足元に小さな絵本が落ちている。鞄に入っていたたらしい。
煉真の靴に乗るように落ちているそれは、ひどく子供じみていてバカげたものに見えた。
——何でこんな奴が。
こんな幼稚な絵本なんて持ち歩いている奴が……
「あっ」
七星が絵本に気付いて手を伸ばしかけた。
「——こんなもんが何だ⁉」
煉真は足を蹴り上げた。
絵本が傍の側溝に落ちた。
それを見ていた七星の瞳から涙が伝った。声もなく涙を流し続ける七星は肩を震わせ、絵本の落ちた側溝を見ていた。
心臓がさっきより震えた。
自分でもどうしていいのか分からなかった。
どうしていつもこうなるのか。
どこで間違えたのか。
「……ナナ?」
ふと目を遣ると、道の向こうから
七星から煉真に目を移して目を険しくする。
「ちょっと、何してるの⁉」
煉真は弾かれたように踵を返してその場から走り出した。
ふたりに背を向けて走り続け、一度も振り向かなかった。
——何でいつもこうなる。
何で——
夜霧七星が自殺したのはそれから約二週間後のことだ。
早朝に校舎から飛び降りたと言う。ほとんどの生徒が登校したときには既に無残な遺体は回収され、現場はブルーシートに囲まれていた。
煉真もそれを見た。荻納衿狭がブルーシートの前で
自殺の原因は不明とされていた。数日間学園には顔を出していなかったそうだが、別にいまに始まったことじゃない。唯一衿狭は心配して彼女の様子を見に行っていたが、彼女は顔を見せなかったという。そうしていきなり早朝の校舎に来て飛び降りた。
夜霧七星の自殺はしばらく生徒たちの間で話題になった。
確かに以前いじめに遭っていたが、そのいじめの主犯格がひと月前に行方不明になっているのになぜ今更自殺したのか——誰にも分からなかっただろう。俺以外には。
それでも、どこかから噂は立つ。
次第に学園内で煉真を見る目は冷ややかになって行った。煉真は氷のなかを歩くようにしばらくそんな生活を続けたが、しまいには学園から姿を晦ませた。
俺は逃げたんだ。
それでも俺は——
いや、俺は悪くないとは言わない。
絵本の件があって二週間も間が空いたんだ。自殺の動機は他にあるんじゃないかと考えることもあった。だがやはり俺にはあれが引き金としか思えなかった。
そうだ。
俺が夜霧七星を殺した。
俺を人殺しと言いたければ好きに言えばいい。
だが——この学園にはもっと悪い連中がいる。
あの連中がのうのうと毎日食って寝て、笑って遊んでいるのが赦せない。その気持ちだけは変わらない。
もうすぐだ。
もうすぐあいつらに立場を分からせるときがくる。
誰にも邪魔はさせねえ。
例えそれが——
唯一血を分けた兄弟であっても。
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