第八幕 三者三考 ③
「
灰皿に煙草の灰を落としながら目を伏せる。
「いや、改めてきみをネチネチ責めようと言うんじゃない。むしろ私はきみに感謝しているくらいだ」
「感謝?」
「きみが飛び出してくれたおかげで、
そう言われても康峰はどう返していいか分からない。
肯定するのも否定するのもおかしい気がして、康峰は話題を逸らした。
「どうせクビになると思って、率直に言わせてもらっても?」
「ぜひとも聞きたいね」
「短い期間でしたが私もこの学園に来ていろんな生徒に会い、彼らの話を聞いてきた。そのうえでつくづく思いますが、到底この学園はまともに禍鵺に対抗できる状態にあるとは思えません」
「ほう、と言うと?」
「最初は単純に生徒会が腐敗しているだけかと思っていた。だがよくよく話を聞くと、彼らも禍鵺と戦う《
どんな強力な武器や潤沢な兵力を持つ軍でも、内部で反目していてはその真価を発揮できない。この学園はまさしくそういう状態にあるのだ。
康峰ら教師に化物と直接戦う力はない。
だが学園の状況を正常化するため、出来ることはあるはずだ。
それこそ自分たち大人の——教師の果たすべき役割ではないか。
「それで、その根本的な問題とは?」
雑喉が先を促す。
康峰は頷いて言葉を続けた。
「やはり一番はあの青色生徒会会長のお嬢様でしょう。彼女の横暴が学園の腐敗を招いている」
「だがあの子は
「だから使徒は放置を?」
「——というのは普通の考え方だ」
雑喉は含みのある言い方をした。
ぎしっとソファを軋ませる。
「私はね、それだけではないと思っている。いや、むしろそれはフェイク——使徒にとってこの状況こそが望んだものじゃないのか、と」
「どういう意味です? 私にはさっぱり……」
「ふん、よく言う。それとも本気で言ってるのかね?」
雑喉は少し頬を吊り上げて笑う。
その表情からは、彼がどこまで見通しているのか読み取ることはできない。
「……少し話を変えよう。きみは《冥浄力》と《
「どう、とは?」
「訊き方が悪かったね。きみもこの学園に来て幾度かあの特殊な力が使われるのを見たことだろう。そしてその仕組みについても聞き知ってるだろう」
それは知っている。
禍鵺に対して有効な《冥浄力》。但し人間相手には使えない。
一方、人間に対して有効な《冥殺力》。但し禍鵺には使えない。こちらは青色生徒会の面々にのみ使徒から与えられている。
そして互いに使ってはいけない相手に使うとたちまち《反動》を招く——
兵極廻理のように。
なぜわざわざふたつの力があるのか。同じ生徒にすべて与えればいいのではないかとも最初は思ったが。
「もし同じ人間が禍鵺も人間も圧倒する力を持てば、それこそ危険でしょう。使徒にとっても諸刃の剣だ。合理的に思えますが……」
「だが現実は《冥浄力》を持つ者と《冥殺力》を持つ者で互いに足を引っ張っている。嘆かわしいことにね」
「……それがさっきの話とどう結びつくんです?」
康峰は努めて平静を装って言った。
本当は、雑喉の言いたいことには察しがつき始めている。
そもそも康峰が先ほど指摘したこの学園の問題点も、まるで気付いていたと言わんばかりの態度だ。
ではなぜ気付きながら解決しようとしないのか。
ここまで話せば、それも見えてくるような気がした。
「ここからは私の独り言だ。……使徒は人間を遥かに凌駕する能力者だ。だが人間より圧倒的に数が少ない。人間が反逆を企てれば勝ち目はない。だから彼らは人間と共生していくしかない。
本当なら人間に武器など与えたくないが、禍鵺という共通の敵を倒すためには与えざるを得ない。そうするとどうする?」
校庭からは生徒の掛け声が聞こえてくる。
走り込みでもしているのだろう。
あんな襲撃があったあとなのに——いや、あったからこそかもしれない。その声はどこか遠く、さざ波のように康峰の耳に届いていた。
「武器を持つ者同士が反感を抱き、自分たちに敵意が向かないようにすること——これこそが使徒にとって最も都合のいい状況だ」
「……それではまるで」
康峰は乾いた声を発した。
「使徒には本気で禍鵺を倒す気などないかのようではないですか。わざとあの問題の多い娘を生徒会長に据え、生徒同士を反目させていると? 使徒にとってこの状況こそ目論見通りとでも?」
「そういう見方もできる、というだけだ」
「だとしたら——」
あまりにも、生徒たちが不憫だ。
鴉羽学園の生徒たちは何のために危険に身を晒しているのか。家族から引き離され、自由を拘束され、戦っているのか。
一体何のために——
「……使徒に対する見方が変わったかね?」
黙っている康峰に対し、雑喉が囁くように言った。
康峰は目を細めて学園長を見る。
「それで、私にそんな話をしてどうしろと言うんです。その仮説が真実だったとして、じゃあ使徒に反旗を翻せとでも言うんですか?」
「まさか! 私はね、自慢じゃないが子供のころから長い物に巻かれることだけが特技だった。こうしてたいした取柄もないのに学園長の椅子に座っていられるのもそのお蔭だ。使徒が靴を舐めろと言うなら喜んで舐めるね。そうやって生きてきた。だが、そんな私でも——」
煙草の灰がぽとり、と落ちた。
紫煙が薄れた先に見えた男は何とも言えない表情を浮かべていた。
「……少し、疲れてきたよ」
康峰は校庭に視線を移した。
雑喉の目を直視し続けることができなかった。
先ほど先達を見殺しにしようとしたこの男に、つい同情を覚えそうになる。
ここはそういう場所なのだ。
ふと今朝講堂で聞いたあの生徒会会長の言葉が脳裏を過る。
『わたくしたちは皆、同じ荒れ狂う海に浮かぶ
確かそんな言い方をしていた。
ここはまさに黙示録に謳われるような世界の終わりに一番近い場所なのかもしれない。
学園を乱す元凶が最もうまくこの学園の現状を言い当てているのは何とも皮肉だが。
まるで世界の終焉を待つばかりの懸崖に、あの子供たちはそれでも生きている。
そんな彼らを——
見捨てていいのか。
この学園を出て行っていいのだろうか。
ここまで事情を知ったうえで、彼らと関わってしまったうえで。
「きみのクビの件だが」
やがて雑喉は言った。
「もうしばらく繋いでおくよ。年寄りの独り言を聞いてくれたお礼にね」
「それはどうも」
康峰は簡潔に言った。
果たしてそれが喜ぶべきことなのかどうなのか、いまの自分には判断できない。
「もう行っていいぞ」
「その前にひとつ」
「何だね?」
「クビの繋がった記念に一本いいですか?」
雑喉はその言葉の意味が分からないと言うように眉を寄せて康峰を見た。
だが康峰が右手の人差し指と中指を前に出すのを見て、やがて驚いたように目を見開いた。
黙って煙草のケースから一本取り出す。
康峰はそれを受け取り口に銜えた。
雑喉が黙ってライターに火を点け、差し出してくる。
康峰はその火を煙草に着けた。
煙草の先端が赤く灯った。
すうっと煙を吸い込む。
薄汚れた煙が肺のなかを広がった。頭の霞が一気に晴れるような心地よさが通り抜け——
激しく咳込んだ。
ふふっと雑喉が可笑しそうに笑った。
どこか遠くから生徒たちの弾ける笑い声が聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます