第八幕 三者三考 ②
***
「……そういうことで、禍鵺の脅威は一旦去ったと判断してよいものと思われます。以上、
薄暗い学園長室のなかは鬼頭や
学園長の
気難しそうな表情は報告が終わっても一切ほぐれることはなかった。
ちなみに犬の首輪はもう外してある。
「……脅威は去った、と言っても次またいつ現れるかも分からんのだろう? それでもう安全だなんて言えるかね?」
「同感ですな。私も天代守護にそう言ってやりたい」
鬼頭は学園長に同調するように言った。
その言葉の裏には天代守護、ひいては使徒への反感が潜んでいるような気がする。
康峰がそう思うのも、以前彼から使徒に対する批判を聞いた所為かもしれないが。
「それとあと一点、連絡が」
鬼頭が言葉を継ぐ。
「何だね?」
「
「……そうか」
雑喉はしばしの沈黙を挟んでからそう呟いた。
紗綺の話では《
それが具体的にどのくらいの時間かは分からない。
だがこれだけ長時間も仮面を被ったままならまず間違いなく間に合わないだろう。
そのことを雑喉も、鬼頭も、他の教員たちも知っているのだ。
仮に彼女が見つかったとして、それはもう——
兵極廻理ではない。
「連絡は以上だな? では解散だ。言われた通り、手の空いている生徒を捜索に出動させるように。あと——」
雑喉はじろりと康峰に目を向けた。
「きみにはまだ話がある。残りなさい」
そうして鬼頭たち職員はぞろぞろと学園長室を出て行った。
康峰はひとり雑喉の前に残された。
窓から見える校庭はすっかり霧が晴れている。
雑喉は胸元から煙草を取り出して銜えると、火を点けた。
薄暗い室内に紫煙が広がる。康峰はその煙を吸って軽く噎せた。
「駄目なのかね?」
「お気遣いなく。いつものことなので」
「そうかね。じゃあ遠慮なく」
そう言うと本当に遠慮なく紫煙を吸い込んだ。
肺を痛めつける趣味でもあるのかというくらい立て続けに何度も吸う。
すっかり康峰との間に煙の防壁を築いたあと、雑喉はおもむろに口火を切った。
「この島には慣れたかね?」
世間話でもするように——いや、あからさまな世間話の代表作みたいなことを肥満体の中年男は言い出した。
訝りつつも康峰には答えるほかない。
「いえ、全く」
但し社交辞令を返す気分にはなれなかった。
「何が慣れない?」
「主にイワシですかね」
「私は嫌いじゃないがね」
「気が合わないようで残念です」
「だがここはいい島だよ。足が治ったらあちこち歩いてみるといい。空気が澄んでいて自然豊かで実に素晴らしい。住人もとても穏やかでおおらかな人が多い。私は仕事柄、島の有力者や古老などとも話をするが、いい人ばかりだ。この島が化物の毒牙に晒されているのが不憫でならないよ」
雑喉は眉を寄せて首を振った。
灰皿に灰を落としながら続ける。
「そういう人間と会う機会が多い以上、興味深い話も聞ける。この島に纏わる歴史、伝承だとかね」
「……禍鵺のことですか?」
「まぁそれもあるが、それだけじゃない。この島にはもうひとつの顔がある」
「もうひとつの顔?」
「知らないかね?」
雑喉は少し身を乗り出した。
「《流刑地》としての、この島の横顔を」
流刑地——
康峰はその言葉を反芻する。
なぜか、この島で出会った生徒たちの顔が脳裏を過ぎった。
「いわゆる島流しだよ。ここはかつて都で勢力争いに敗れた貴族が流刑された土地としての側面を持つ。なかには本当に朝廷への謀反を企む悪人もいただろうがね、多くは濡れ衣、無実の罪だったという。少なくとも島にはそういう伝承が多く残っている。彼らは不遇を
雑喉の顔は彼の吐く煙に霞んでよく見えない。
だが康峰にはその探るような目つきの言わんとすることが分かる気がした。
ごほっ、と一度咳をしてから言う。
「皮肉な運命、ってことですか」
親を知らない孤児。
親に棄てられた子供。
犯罪を犯し行き場をなくした前科者——
そうした子供たちがこの島に送られている。
雑喉はそんな生徒たちを島流しにあった古人と重ね合わせて見ているのだろう。
康峰の回答に雑喉は鷹揚に頷いた。
「流石一般教科の教師なだけあるね」
「……それで、そんな話をしてどうと言うんです? 話が見えてきませんね。図書室で宣言した通り私をクビにしたいなら、さっさと済ませてください。こっちもクビならクビで後のことを考えなきゃならないんでね」
「せっかちだね。それとも何か、クビになりたいのかね? 鴉羽学園の実情を目の当たりにして辞めたくなったか?」
康峰は口を噤んだ。
実際、その気持ちが全くないとは言えない。
先達や生徒会の生徒たちが重傷を負い、廻理が鵺化するのを目の当たりにしてその気持ちはますます強くなった。
こんな学園に籍を置いていたら命がいくつあっても足りないのではないか。
——だが。
このまま辞めていいのか、という思いもある。
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