第七幕 三者三戦 ⑥

 


「頼むから何も言わないでくれ」

 紗綺が口を開くより先に雑喉は言った。

「きみが正しかった。きみが禍鵺をさっさと倒していればこんなひどい事態にはならずに済んだ。兵極君が余計なことをしようとしたのが間違いだった」


 康峰にはその経緯は分からない。

 だがいまそんなことはどうでもいい。

 早くしなければ——

 先達も兵極廻理も禍鵺になってしまう。


「それなのにそこの少年より先に兵極君を助けろなんて言うのは理不尽に聞こえるだろうね。だがそれでも、彼女は我々に必要な人材だ。彼女の頭脳を失うことはあってはならん。だから頼む、黙って彼女を先に救ってくれ」


 すっ、と衿狭えりさが立ち上がった。

 学園長に向かって突き刺すような視線を向けている。

 だが彼女が何か言うより早く、紗綺が言った。

「違うな、学園長。我々のためじゃない。貴方の保身のためだろう?」

「ふん、どっちでもいい。ともかくそこの彼よりは有益な人材なのは間違いない」

「おい——」

 康峰が声を発しようとしたとき、衿狭が叫んだ。

「会長さん、急いで! このままじゃ沙垣君が間に合わなくなっちゃう!」

 紗綺が頷いた。

 こんなときに問答している暇はない。

 紗綺が再び先達の仮面に手を伸ばす。

「私が撃たないと踏んだのかね? あいにくそれは」

「そうじゃない」

 紗綺の手から再び赤い炎が起こり、腕に広がる。

「撃ちたければ撃つといい。それでも私は、この手をどかさない」


 雑喉が唾を飲み込んだ。

 紗綺の声はどこまでも冷静だ。その声音がかえって彼女の本気さを物語っているようだった。

 雑喉も十分それを感じたのだろう。かすかに躊躇して銃口が揺れた。

 だが——

 それでも雑喉は銃口を下ろさなかった。

 声を落として学園長は言う。

「残念だ……」

 引き金に指が掛けられた。


「待て、待て待て待て!」


 気が付くと康峰は銃口の前に躍り出ていた。

 無意識に両手を上げている。

 雑喉の目が紗綺から康峰に移った。不可解なものを見るようにその眉が寄せられる。

「何だね? どきたまえ」

「待ってくださいよ、学園長。まだ碌に挨拶もしてないじゃないですか。初めまして、私は先日就任した——」

「知ってるよ、新任教師君。挨拶はいいからさっさとそこをどけと言ってるんだ、死にたいのか?」


 康峰はちらりと横目で後ろを見た。

 紗綺と衿狭が驚いた眼でこちらを見ているが、紗綺の手は相変わらず先達の仮面を外しにかかっている。この位置ならば雑喉の銃口が直接彼女を狙うことはない。

「つれないこと言わないでくださいよ。今度一緒に一杯飲みませんか? ゆっくり話し合えばわかり合えることもありますから! 袖すり合うも他生の縁、そう思いますよねえ!」


 康峰は自分でも何が言いたいのかよく分からないことを口走りながら必死で雑喉の注意を引こうとした。

 畜生。

 俺は一体何をしている?

 こんなことをして撃たれでもしたら仕事も教師もへったくれもないじゃないか。冗談じゃない。俺はまだ死にたくない。

 だがこうなった以上後には退けない。

 こうなれば意地でも食い下がるほかない。


「教師ならば撃たれないとでも思っているのかね?」

「分かりました、分かりました! いまどきますからちょっとだけ、もうちょっとだけ話に付き合ってくれませんか? すぐに終わります!」

「ええい、鬱陶しい——そこのお前! ぼーっとしてないでこいつを引き剥がせ!」


 雑喉は棒立ちしていたビビり生徒会の生徒に目をつけて怒鳴った。

 彼は戸惑いながらも康峰に寄ってきて、後ろから引き剥がそうとした。

 まずい。相手がヘタレでも康峰の筋力では到底抵抗できない。

 このままでは——

「なぁ学園長! あんたも教職の端くれだろ。こんな真似して恥ずかしくないのか? 金持ちだかお嬢様だか知らないが、天代あましろ何とかって女の子に首輪嵌められたり、天才娘に顎で使われたり——まぁその辺はあんたの趣味の範疇かもしれないからそっとしとくとして、でもこれはやり過ぎだ。あんた本気で生徒を撃つ気か?」

「ごちゃごちゃとよく喋る口だね、きみこそ大人なら何をやるべきか聞き分けたまえ。私だって別にしたくてしてるわけじゃないんだ。どうしようもないことなんだよ」

「どうしようもない? 女の子に首輪嵌められるのが?」

「そこじゃぁない! くそっ、誰だこんな奴を雇ったのは?」

「いやあんたが採用したんだろ⁉」

「人手不足でよそに採用を任せてただけだ、私は知らない!」

「余計酷いわ! おい、俺はそんないい加減な……げほぉっ」

 康峰は大きく噎せた。

 これ以上は到底喋れそうにない。


 衿狭が紗綺に詰め寄った。

「ねぇ、まだなの?」

「もう少しだ! もう少しで剥がれる!」

「残念だが時間切れだ。さっさとこっちに——」


「ああっ!」


 雑喉の声が今度はヘタレ生徒会の金切り声で遮られた。少年は青ざめた顔で雑喉を、正確にはその背後を指さしている。「そ、そこ……」

「ああ?」

 生徒会の視線を追って振り返った雑喉の前に、仮面をつけた兵極廻理が立っていた。


「……繧Дke☆7——」


「うわあぁっ⁉」

 雑喉が慌てて銃口を向けるより早く、廻理の体が動いた。

 雑喉の脇腹を蹴り上げる。

 銃弾を明後日のほうに放ちながら雑喉の体は転がって図書室の壁にぶち当たった。

 康峰は地面に両手をついた。

 生徒会が逃げて解放されたのだ。さっきまで締め上げられていたこともあり、逃げるどころか立ち上がることもできない。

 廻理だったものが康峰の前に立ち塞がる。

 大きく脚を振り上げると康峰の頭頂部めがけて振り下ろした。


「外れた!」


 がらん、という音を立てて先達の顔から仮面が剥がれ落ちるのと、紗綺が傍らの鉄刀を振り向きざま掴んで投げたのはほぼ同時だった。

 宙を旋回した刀身が廻理の仮面を打つ。

 廻理はわずかに体を逸らせ、康峰の頭上ぎりぎりで脚は止まったが、倒れることはなかった。

 仮面が紗綺のほうを向く。

 そのとき。


「銃声がしたぞ!」

「図書室のほうだ、急げ!」

「あっ、会長⁉」


 ばたばたと騒々しい音とともに馬更ばさら竜巻たつまき鍋島なべしま村雲むらくもが図書室に現れた。

「オイオイオイオイ、ありゃ何だ? 禍鵺かァ? けどあの見た目は——」

「……鵺化ぬえかだな」

 竜巻と村雲が廻理だったものを見て言う。

 彼らに続く赤色生徒会の面々も武器を構えつつたじろいだ。


 だが動揺したのは相手も同じだったようだ。

 或いは鵺化する前の頭脳の一端でも残っていたのか。

 多人数の敵を相手に不利を察したのか、鵺化した廻理は身を翻すと窓硝子に飛び込んだ。

 派手な音を立てて窓硝子が割れる。

 雪崩のように室外の霧が一斉に室内に流れ込んできた。

 仮面をつけた少女は霧の深い屋外へ躍り出た。

 少女の姿を瞬く間に深い霧が包み込み——


 視界が晴れた頃には、その姿はもうどこにも見えなかった。


 

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