第七幕 三者三戦 ④
颯爽と現れた少女は尚も油断することなく、霧に向かって白刃を構えている。
床に膝をついたまま、先達は思わず見惚れた。
これが赤色生徒会会長紅緋絽纐纈紗綺。
長年禍鵺討伐のため少年少女を育成してきた鴉羽学園の歴史のなかでも屈指の
先達と同年齢でありながら、他の生徒の激しい支持を得て生徒会長に推薦された若き戦士。
人間だろうと化物だろうと一切怯まぬ緋色の勇者——
それが目の前の彼女だ。
衿狭が先達の傍に駆け寄ると背中に手を添えてくれた。
心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫、沙垣君?」
何とか——と言おうとして咳き込んだ。
あまり大丈夫ではないが、怪我はない。
先達は力のない笑みを返すしかできなかった。
「あー、ちょっと待ってほしい、紅緋絽纐纈紗綺」
紗綺に続いて新たな声が図書室に入ってきた。
見るとそこには
彼女に続いて武器を携えた青色生徒会の生徒も数人いる。ついでになぜか学園長の
「何だ?」
紗綺は霧を見据えたまま廻理に問う。
廻理は紗綺のすぐ隣まで歩を進めた。
「いまの一太刀、やはりきみはたいした腕前だね。その腕を見込んで頼みたい。対象を生け捕りにしてくれないか?」
「無理を言わないでくれ」
「おいおい、僕が何のために付いてきたと思ってる?」
「間近で禍鵺を見たいだけだと言っていた」
「ただの見学で終わるのは勿体ない。いや、虚言を弄したつもりはないがね。繰り返すようにきみの腕前を見ての追加依頼だ」
「奴を殺してからでも遅くないだろう?」
「冗談だろ? 奴らが機能停止すれば燃えカスとなるのを知らないきみではないはずだ。僕は何としても生きたサンプルを蒐集したい。私利私欲ではない、人間への犠牲を最小限に抑えるためだ。多少のリスクを冒してでもやる価値はあると思うがね」
ちらと紗綺が廻理を見た。
理解不能と言いたげな視線だった。
周囲の生徒会や雑喉も身構えたまま動揺の目で成り行きを見守っている。
「多少のリスクじゃない。人命が懸かっている」
「その通り、人命が懸かった大切な研究だ。これが完成すれば突破口となって人類の快進撃の旗振りになるかもしれない。分かってくれないか?」
「悪いが分からない。私には目の前の命を護ることが何より重要だ」
「そうか——残念だな。おい、君たちで捕獲してくれ」
廻理が振り返って生徒会の生徒たちに命じた。
生徒たちが驚きと戸惑いに顔を見合わせた。
雑喉学園長がおずおずと口を開く。
「い、いや、兵極君、そりゃちょっと現実的に無理が……」
「学園長、こんなときのための貴方だろう? 早く彼らを動かしてくれないか」
雑喉は言葉を遮られ、諦めたような溜息を吐く。
それから生徒たちに言った。
「聞こえたろ、お前たち」
「ええっ、本気ですか……?」
「これだけ人数がいる。不可能ではないだろう」
「無理ですよ、我々には《
生徒会の生徒たちが悲痛な声を上げるが、雑喉は渋い顔をしたまま何も言わない。
堪り兼ねたように紗綺が怒鳴った。
「やめろ、兵極廻理! 決していい結果にはならない!」
「聞き分けのない会長だ。少し黙っていてくれ」
「……やはりお前を連れてきたのは間違いだった」
紗綺はそう言って柄を握る手に力を込めた。
「ほう。ではどうするかね?」
「お前次第だ」
「なるほど。だが忘れてはいないか?」
そう言った少女の白衣から伸びる両腕が仄かに青い炎を放ち出した。
見る間に青い炎が白衣の下から静かに広がる。
《
「僕も生徒会の一員としてこの力を使えるんだがね。尤も白状すると僕は肉弾戦が苦手だ。この能力も十二分に発揮できてるとは言い難い。それでも《冥殺力》を持たないきみにどれだけ通用するか——試してみるのは興味深い」
雑喉や生徒会も固唾を呑んでその様子を見守っていた。
紗綺の刀身がわずかに揺れる。
不意に裏返った悲鳴が響いた。
「ぅわあっ⁉」
生徒会の生徒のひとりの顔面に何かがしがみついていた。
急に現れたその禍鵺は一見すると老猿のような姿かたちだった。
——もう一体いたのか!
「は、離れろぉ!」
動揺した生徒会は腰に差していた鉄刀を抜くと闇雲に振り回した。
だが視界は完全に猿の体で覆われている。
振り回した刀は禍鵺を襲うどころか、隣にいた生徒の肩を切った。
鮮血が跳ね上がり、別の悲鳴が上がる。
「くそっ、こいつ!」
別の生徒が猿に掴みかかろうと突っ込むと、危険を察したのか猿は跳んだ。今度は先達らのほうを目掛けて跳んでくる。
咄嗟に廻理が青い炎を纏う腕を伸ばす。
「駄目だ兵極!」
そう叫んで紗綺が手を伸ばした。
同時に、濃霧を掻き分けて巨大な禍鵺が飛び出してきた。紗綺に腕を斬られたもう一体の禍鵺だ。
はっとした紗綺の横顔に動揺が走る。
禍鵺の腕がしなり、少女の無防備な脇腹を鞭打った。回避も防御もまともにする暇もなく紗綺の体はまともに食らって宙を舞った。
「会長!」
同時に先達は兵極廻理の体が床に叩きつけられるのを見た。
廻理からは青い炎が消え、地面に倒れたまま激しく痙攣している。先ほどまで余裕の笑みを浮かべていた少女は青ざめた顔で声にならない悲鳴をあげていた。
——《反動》だ。
禍鵺に対し《冥殺力》で攻撃してしまった反動が起こっている。
その体の上で《猿》は高らかに奇声を上げていた。その声が生徒たちの悲鳴と重なる。
それは先達が産まれて初めて見る地獄のような光景だった。
悲鳴。
絶叫。
嗚咽。
血飛沫。
あまりのことに、目の前で起きていることの実感が沸かない。まるで霧が幻でも見せているようだ。幻ならどんなによかっただろうか。
呆然としたのはほんの数秒だっただろうが、先達にはスローモーションのように目の前の悲劇が展開されていった。
その先達の意識を取り戻したのは衿狭の声だった。
「逃げて、沙垣君!」
はっとして振り向いた。
そうだ、自分は彼女を救いにここまで来たんだった。
その彼女は——
紗綺を投げ飛ばした禍鵺が衿狭の背後に立っている。衿狭はこっちを向いて背後に気付いている様子はない。
駄目だ。
——それは駄目だ!
先達は飛び込んだ。
自分のほうへ来た先達に衿狭が目を丸くするのを最後に見た先達は、勢いのまま彼女を突き飛ばした。
禍鵺が鎌を振り下ろしたのはほとんど同時だっただろう。目で追う暇もなかった、が。
最後に見たのが——
——化物なんかじゃなくてよかった。
肩口から胸元に掛けて灼けるような痛みとともに真っ赤なものが吹き上がる。
「沙垣君っ!」
その声が急速に遠ざかる。
先達の意識は深い闇の底へと沈んでいった。
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