第七幕 三者三戦 ①

 


「お前はこの島をどう思う?」


 隣を歩く男が訊いてきた。

 辺りは相変わらず気味の悪い霧が覆っている。

 ちょっと油断すれば隣にいる者の顔さえ見失いそうな濃霧だ。


 灰泥はいどろ煉真れんまは隣の軛殯くびきもがり康峰やすみねを見た。

「何だって?」

「この四方闇島よもやみじまは異常なことばかりだ。お前たち生徒が何を思い何を考えてここで生きているのか気になってな」


 なんでいまそれを訊く——とは訊かなかった。

 きっとこの沈黙に耐えかねたのだろう。

 無理もない。

 禍鵺マガネと戦う訓練を受けた煉真たち鴉羽からすば学園の生徒ならともかく、そうでない一般人にとって、いつ化物が姿を現すかもしれないこの状況は恐怖そのものだろう。


「んなもん訊く間でもねぇだろ。クソだよ、クソ。この島は禍鵺も生徒会も他の連中も全部クソだ」

「容赦ないな」

「ある意味食い物が最悪だな。俺はあのイワシの臭いを嗅いだだけで胃がムカついてきて誰でもいいから近くにいる奴を殴りたくなる」

「……お前といるうちにイワシの臭いが漂ってこないことを祈るよ」

「とにかく俺たちにはこの島しかねえ。島の外から来たあんたとは違って、捨てられた俺たちに逃げ場なんてねぇんだからよ。この島で生きてく以外ねぇんだ——どんなにクソでもな」


 そうだ。

 俺たちに居場所はない。

 この掃き溜めのような島だけが俺たちに与えられた居場所なんだ。

 その事実を改めて噛み締めるように煉真は口を閉じた。


「お前は親がいなくなってこの島に来たんだってな」

 康峰が再び口を開く。

 煉真としてはこれ以上話すつもりもなかったが、隣の男はそうでもないらしい。

「親のことはどう思ってる。覚えてるのか?」


 その言葉に触発されて開きそうになった記憶の扉を、煉真は意識的に閉じた。

 思い出したくもない。

 あんな父親のこと。

 あんな場所のあんな生活のことを。

 ——血塗れで倒れる父と、そのうえでピザを貪ってた兄のことを。


「何で訊く、そんなこと」

「おいおい、俺はお前の教師だぞ。教師が生徒のことを知っておこうとするのがそんなに疑問かね」

「……電話で勧誘されただけの癖によく言うよ」


 煉真たちは既に校舎近くまで来ていた。

 辺りに人影はない。禍鵺も。

 康峰の前に立って校舎に踏み込みながら煉真は言った。

「忘れられるもんなら忘れてぇよ、あんなクソ親のこと。生きてりゃぶっ殺してやりてぇところだがあいにく兄貴が先にやっちまったからな——教師なら知ってるかもしれねえが。で、兄貴は雲隠れ。ガキだった俺は自分じゃどうしようもなくて、親戚からも煙たがられ、結局この島に強制送還ってワケだ。泣けるか?」

「何と言うか……ひどい話だな」

「この学園じゃ別に珍しくもねえ」

「その兄貴ってのはどうなったんだ?」


 煉真の足が一瞬固まった。

 昨日の風景が脳裏に蘇る。

 殺人バット——

 夕暮れのなかで聞こえたあの口笛。

 そしてあの声。


『《順番》は守ってるか?』


——どういう意味だ?

 本当にあいつが——俺の兄が、この島を騒がしてる殺人鬼なのか?

 分かるわけもない。

 はっきりしてるのは、何か、得体の知れない何者かが自分に近付いていることだけだ。

 それが不気味な感触で煉真の内心を無遠慮にまさぐっている。

 だが——

 それをいま後ろに続く男に話す気はなかった。


「知らねーよ。大方どっかでくたばったんだろ。興味もねぇし」

 その答えに彼が納得したかどうかは知らない。

 だが煉真はこれ以上の質問を避けるように足早に校舎内へ歩を進めた。

 康峰は何とか松葉杖でついてくる。



 流石に校舎内まで霧は這入っていないようだ。廊下の見通しはいい。

 追いかけてきた康峰が煉真の肩を掴んで言う。

「待て灰泥、図書室はそっちじゃないだろ。どこへ行く?」

「いいからちょっと待ってろ。そろそろ我慢の限界だ」

 煉真は男子トイレの前まで来て立ち止まった。

「お前、まさかこんな状況で……」

「あんたが沙垣を助けに行くって言ってくれてちょうどよかったぜ」

「マジかよ。最初からうんこが目的だったのか?」

「何で大だと決めつける?」

「どっちでもいい。よくこんな状況で用を足そうと思えるな。不良に見えて意外と友達思いのナイスガイかと思った俺がバカみたいじゃねえか?」

「そりゃ結構、ンなクソの足しにもならねぇ誤解はとっとと捨てろ。心配しなくても図書室へは案内してやる。こっちが終わったらな」


 トイレに入ろうとする煉真の肩を康峰が強く引いた。

「そんなことしてる間に先達が死んだらどうする。責任取れるのか?」

「じゃあ沙垣を助けてる間に漏らしたらどうする。責任取れんのか?」

「……分かった、分かった。だったらさっさと済ませるぞ」

 康峰は観念したように言うと煉真の先に立ってトイレに入った。

「おい、なんでついてくる?」

「お前がやるなら俺もやる」

「なにカッコいい科白っぽく言ってんだよ。散々人のこと言っておきながらあんたも小便してえんじゃねえか」

「何で小だと決めつける?」

「しかもうんこかよ。お前それでよく他人には我慢しろとか言ったな?」

「アホ、俺は我慢しようと思えばしばらくできる。だがお前の小便を黙って待たされる義理はない。どうせお前がやるから俺もやるって言うんだ。俺とお前でどっちがマシだ?」


 康峰と煉真はしばしトイレの前で睨み合った。

——どっちもマシじゃないだろ。

 そう思ったがこれ以上我慢しているのも尿意の限界だ。第一こんな馬鹿々々しい会話にこれ以上時間を割きたくない。これで先達を助けそこなったらそれこそ笑い話にもならない。

「……行くぞ」

 煉真の沈黙をどう解釈したのか、康峰が言った。

 講堂を出たときと同じ科白だがこうも印象が違うもんか。

 ふたりしてトイレのなかに踏み入った。


 

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