第六幕 新任教師と生徒会長(青) ②

 


「おい、先達せんだつ! これはどういう奇跡だ?」


 校庭に出た康峰やすみねは登校してくる生徒たちのなかに見知った顔を見つけ、叫びながら駆け寄った。

 沙垣さがき先達は康峰を見ると「あ、おはようございます先生」と気の抜けた返事をする。

「どうかしましたか」

「どうもこうもないだろ。なんで今日に限ってこんなに生徒がいる?」


 職員室でコンピュータ相手にしばらく調査していると、次第に生徒の声が聞こえて来た。

 それもひとりやふたりのものではない。数十人の賑やかさだ。康峰が就任して初めての事態だった。

 様子を見に職員室を出た康峰は、校門を潜って登校してくる数十人の人影を発見した。

——どういうことだ?

 そうして松葉杖をひったくり、外へ飛び出す。

 生徒のなかに先達はすぐに見つかった。


「あれ、先生知らなかったんですか? 今日は全校集会ですよ」

「全校集会?」

「全校の生徒を集めて集会を開くんです」

「そんなことは分かる。それだけで不登校の生徒たちも登校してくるのか?」

「と言うか、今日は生徒会も来ますからね。奴らに目を付けられるのは厄介だからこの日だけは登校する生徒が多いんです。生徒会長も来るはずですよ」

「生徒会長? 紅緋絽纐纈紗綺か?」

「いえ。赤色生徒会ではなく、青色生徒会の」


 そう言えば先達から聞いた記憶がある。

 赤色生徒会会長の紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さきに対し、青色生徒会会長の——名前は何だったか忘れたが。

 実質的にこの学園で一番力を持つお嬢様だ。


「まぁそれだけが理由でこれだけ登校してるってこともないですが……」

「どういう意味だ?」

「それはまぁ、行けば分かると思いますよ」

 先達は濁すような言い方をした。

 問い質そうとした康峰は、霧のなかからまたひとり見知った生徒を見つけて目を見開いた。

 灰色の短髪。

 額から右頬に掛けて走る切り傷。

 親の仇でも探し回るような物騒な目つき。

 個性的な生徒のなかでも一際異質な空気を纏っている。

 自然と彼の周りには空洞ができていた。控えめに言って敬遠されている様子だ。本人はそれを一切気にするふうもなく、右手で持った鞄を背中に回し、左手をポケットに突っ込んで歩いてくる。


「おい、灰泥はいどろ煉真れんま!」


 名前を呼ばれた煉真は視線を動かしてこっちを見た。

「よう、センセー。約束通り来たぜ」


「本当に来たのか」

「何だその言い方。来てほしくなかったのか? いまから帰ってもいいんだぜ。てかここもう学園の敷地内だしな。約束は守った、ってことで帰っていいか?」

「アホぬかせ。いいわけないだろ」

 煉真は舌打ちした。

「まぁいいけどよ。厄介なことになっても俺の責任じゃねーぞ」

「どういう意味だ?」

「行けば分かる」

「それ流行ってるのか?」

「何の話だよ」


 煉真は康峰からその後ろの先達へ視線を移した。

「よお沙垣、久しぶりじゃねえか。相変わらず結露落としなんてクソ雑用やらされてんのか?」

「まぁ……他に誰もやらないから」

「ちっ、相変わらずムカつくくらいマジメ君だな。お前がクソ弱いから都合よく使われてんのが分からねぇのか? 俺なら窓硝子全部叩き割るね。そしたら結露落としなんて必要なくなるだろ」

「そんなこと考えたこともないよ」

「普通に感心したように言ってんじゃねぇよ。んなマジメやってても将来イワシ工場行きだぞ。イワシ工場の工場長でも狙ってんのか?」

「イワシはそこまで嫌いじゃないけど」

「あーあーそうかよ。お前と話してると俺の頭にカビが生えそうだぜ。いっそ《結露落とし》に改名したらどうだ?」


「おいおい、同級生だろ。お前ら仲悪いのか?」

 康峰はふたりの会話に割り込んで言った。

 煉真は眉を顰める。

「仲悪い? 別に。言わなかったか? 俺はクソ弱ぇ奴を見るとムカつくんだよ」

「少年漫画に出てくる戦闘狂みたいな台詞だな。そう言うお前はどうなんだ?」

「俺か?」

 煉真が不敵な笑みを浮かべた。

「そうだな……まぁ、あのムカつくバカ共には負けるつもりはねぇよ」


「おいおいおいおい! ずいぶん珍しい顔が見えると思ったら早速俺たちの噂かァ? 嬉しいじゃねぇかよ、なァ、灰泥煉真!」


 やかましい声とともに煉真の後ろから現れたのは馬更ばさら竜巻たつまきだった。

 赤色生徒会の幹部であり《疾風烈脚》の通り名を持つ少年がこっち目掛けてずかずかと歩いてくる。

 今日も両手はポケットに突っこんだままだ。


 煉真が振り返って竜巻を見た。

 揶揄するように片頬を吊り上げる。

「よぉセンパイ。バカの自覚があったのか?」

「てめぇのご紹介にあずかるほどバカのつもりもねェよ。今日はどういう風の吹き回しだ? お利口に登校してくるなんて槍でも降ってきそうじゃねぇか。ひょっとしてそこの首切りモモンガだか黒ビキニ狩りだかの説得にカンドーしてこころを入れ替えたとか言わねぇよなァ!」

「……それ俺のことか?」

 軛殯康峰は言う。

「俺はてっきりお前は恥ずかしくて学園に顔を出せねぇもんだと思ったがなァ、ぇえ?」


「よせ、馬更」

 ブチ切れそうな雰囲気の煉真が動くより早く、竜巻の頭を背後から現れた巨大な影が抑えた。

 同じく赤色生徒会の幹部、《剛腕無双》の異名を持つ鍋島なべしま村雲むらくもだ。

「痛ッてぇなコラ鍋島!」

「馬更、お前は少し黙っていろ。……灰泥。俺たちは何もお前を人殺し扱いするつもりはない。ただお前が何の説明もなく謝罪もなく学園を離れたことを残念に思っている。お前さえちゃんと説明すれば、俺たちだってお前を以前のように扱うつもりだ」

「……余計なお世話だ。鍋島先輩。何も言うことはねえよ。俺を人殺し扱いしたけりゃそうしてりゃいい。それに、今日はただ気紛れで来ただけだ。帰れって言うならこのまま回れ右して帰ったっていい」

「別にそんなつもりはない。俺は——」

「だったら放っておいてくれ」


 煉真は村雲の言葉を遮って歩き出した。

 竜巻はまだ噛み付きたそうな顔でその背中を睨んでいたが、それ以上何も言わなかった。

 村雲も黙って遠ざかる煉真の背中を見ている。

 煉真の影は次第に霧に呑まれていった。


——……どういうことだ?

 康峰は問うように村雲や竜巻を見た。

 いまの村雲の言葉だと、煉真が《人殺し》と噂される事情を知っているようだった。

 先達も何も言わない。康峰だけがひとり意味も分からずきょろきょろしていた。

 もしかして。

——本当に何か《隠し事》があるのか?


 だが康峰が彼らにそれを問い質すより早く、校舎からチャイムが鳴り響いた。

「おっ、やべぇ。急ぐぞ、鍋島!」

「分かっている」

 竜巻、村雲がそう言って走り出す。

 他の生徒たちも急ぎ始めた。みんな足早に講堂のほうに向かっている。

 いわゆる体育館みたいなドーム状の屋根の大きな建物にみんなの足が急ぎ始めた。

「おい、先達——」

「先生、遅れますよ」

 先達はそう言うなり他の生徒に続いて足早に歩き出してしまった。

 仕方ない。

 いまは全校集会とやらが先だ。

 康峰も松葉杖をついて彼らの後を追った。


 

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