第五幕 新任教師と問題児 ②

 


「冗談だろ」

 ややあって灰泥煉真は言った。

「俺には教師を名乗る人間を目の前にして堂々と煙草をふかし続ける生徒がいる現実のほうが冗談であってほしいね」

 新任教師を騙る男が言う。

「知らないのか。この島じゃ合法だ」

「そんなわけあるか」

 新任教師を名乗る男は手を伸ばして煙草を奪おうとした。

 煉真は難なくその手を避けた。

「げほっ、ごほぉ」

 煙が気管に入ったのか、男は屈んで激しく噎せる。血を吐きそうな勢いだ。

 それをしばらく見て言う。

「アンタ、何しにこの島に来たんだ? こんなクソの掃き溜めみたいな島に進んで来る奴いないぜ。しかもそんな体で。アホなのか?」

「よ、余計なお世話だ。ともかく灰泥煉真、ここで会った以上お前に言っておきたいことがある。学園に戻る気はないか?」

「ないね。じゃあな、気を付けて帰れよ」


「おい、おい、ちょっと待て!」

 踵を返そうとした煉真の肩を男の手ががっしり掴んだ。

 がっしり——と言うにはあまりに力が感じられないが。死神は務まりそうにない。

「灰泥煉真、キミは何かね、常識がないのかね。あまりにも応酬が短すぎるだろ。もう少し理由を話すとか、こっちの事情を訊くとか何かないのか。それとも俺の質問が気さくな挨拶に聞こえたか? これだけで満足して俺が帰ると思うか?」

「元気な俺の顔が見れたんだ、満足だろ」

「都会に出た息子を心配するお母さんじゃねぇんだよ。俺はな、いまいろんな生徒を授業に出させるために面談してるんだ。正直お前と会う予定はなかったがこうして出会っちまった以上仕方ない。お前も授業に出てくれないか?」

「どーせそんなことだと思ったぜ。だったらノーセンキュー、ってことでやっぱお別れだ」

「どうして学園に顔を出さない? というより、どうして学生寮を出てこんなところに住んでるんだ? 何か理由でもあるのか?」


 ずいぶんと質問の多い男だ。

 力ずくで振り切ることはそう難しくない。

 そうしようかとも思ったが——

 まぁ少しは暇つぶしがてら話に付き合うことにして言う。

「なぁ、センセーってのは自己紹介もできねえのか?」

軛殯くびきもがり康峰やすみねだ」

「何だって?」

「軛殯康峰だ」

「ふざけてんのか?」

「名乗っただけで喧嘩を売ってると思われる俺の気持ちを考えたことがあるか? だが俺の名前のことなんてどうでもいい。俺の質問に答えろ」

「あんた、俺について知ってんのか? ふつう俺の噂を知ってる奴なら教師でも生徒でも俺にそんなナメた態度は取らないもんだぜ、値引きモナカ先生」

「軛殯だ。最初の一文字くらい覚えろ。それに、お前の噂なら知ってるよ」

 意外とあっさり康峰は答えた。「学園でも指折りの危険人物なんだってな。人殺しだなんて無茶苦茶な噂も聞いたぞ」


——そこまで知ってんのか。

 それでいてこんなぐいぐい来るのか。こいつバカか?

「何でそんな噂が流れてる。何かしたのか?」

「……噂っつーか、何でそれが嘘だと思ってんの?」

「なに?」

「事実だっつってんだよ。何つっても俺が」

 煙草の煙を吐き出しながら煉真は言った。


「《殺人バット》だからな」


「……はぁ?」

 案の定、自称教師は困惑の声を上げる。

「お前が? 殺人バット?」

「ああ」

「嘘吐け。だったら何で捕まってない?」

「知るかよ。証拠不十分ってヤツじゃね? 天代守護てんだいしゅごも前に俺を取り調べたが、結局引き下がっていったぜ。あいつらの悔しそうなツラはいま思い返してもせいせいする」

 煉真は真実と嘘を織り交ぜながら言った。


 殺人バット。

 数か月前から四方闇島よもやみじまに出没するようになった殺人鬼——奴が現れ出した時期は煉真が鴉羽からすば学園を出奔して数週間後だったか。テレビなんて見なくてもその噂は聞こえてきた。

 その後、しばらくして煉真の住処を探り当てた天代守護がやってきた。殺人バットの容疑者として取り調べにだ。

 どうやら目撃証言での奴の風体と煉真のそれがほぼ一致したらしい。

 加えて奴の殺した相手が青色生徒会のメンバーだったということも煉真が睨まれた要因だった。過去に何度も奴らと揉めていた煉真は、真っ先に疑われる立場にいたのだ。

 だが結局天代守護は帰って行った。目の前の新任教師に言った通り煉真と殺人バットを結びつける十分な証拠がなかったのもあるし、何やらもっと決定的な《何か》が煉真を殺人バットから遠ざけていたらしい。

 それが何かは知らないが——


「俺はな、クソ弱え奴を見るとイライラする。弱いだけならまだ我慢もしてやるが、弱い癖にそれを隠して虚勢を張る奴、弱いのをごまかすためにギャーギャー吼える奴。全員バットで滅多打ちにしたくなる。だからあんたもぶっ殺したくてさっきからウズウズしてる。殺していいか?」

 煉真は教師から目を逸らさず言った。

 ……これでどっか行ってくれりゃいいけど。


 相手はしばらく煉真の目を見返したまま何も言わなかった。だが別段ビビった雰囲気はない。かと言って虚勢と見くびってる様子でもなかった。

 イマイチ何を考えてるのか分からない。

 ごほっ、と咳をして軛殯くびきもがり康峰やすみねが口を開いた。

「言っとくが、俺よりその辺の野良犬を殺せるほうが自慢になるぞ」

「そりゃ自慢か?」

「いいか灰泥はいどろ。俺はな、教師としてこの島に、この学園に来た以上、お前らの教師なんだから何でも悩みや相談を聞く——とかクサい台詞を吐くつもりはないんだ。お前が殺人狂キャラを気取る裏でどんな思いや事情を抱えていようが興味ない。むしろ話してほしくない、面倒だから。ただこうして話をしてるのはひとえに一途にお前らが学園に来ないと俺の食い扶持がなくなるからだ。だからどうすれば授業に出るか、それだけ言え」

「……あんたよく教師になれたな」

「自分でもそう思う」

「自分からなったんじゃねえのかよ?」

「電話で勧誘された」

「ウチの学園もいよいよ人手不足か。ま、無理もねぇけど」

「で、何があったら出てくれるんだ?」


 煉真はちっと舌打ちした。

 どうやら作戦は失敗したらしい。まぁ、あんまりうまく行くとも思ってないが。

 煉真は短くなってきた煙草を捨てて踏み躙った。

「なぁ、センセー、そこまで言うなら学校に戻ってやってもいいぜ」

「えっ、本当か⁉」

 康峰は予想以上の勢いで食い付いてきた。

「ああ。但し条件付きでな」

「条件だと?」

「ぶん殴ってまだ立っていられたら行ってやる」

「悪い。俺は耳も結構遠いんだ。もう一回ゆっくり言ってくれないか?」

「俺が、いまから、あんたを、一発、ぶん殴る。そんであんたがまだ両足で踏ん張っていられたら俺は明日学校に行ってやる。これでいいか?」

「おい、どこのヤンキー漫画かもしくは野蛮な部族の成人の儀式を参考にしたか知らないがな、そんな馬鹿な発想はやめとけ。お前は本気で殺人犯になりたいのか?」

「殴るってつっても腹だ。死ぬことねぇだろ。どうするんだ? 受けるか、受けないか?」


 康峰はうんざりした顔で横を向く。

 少し考える素振りを見せたあと、溜息を吐いた。

 こんな乱暴で力任せの溜息をする奴は初めて見る。

「分かった。やってやる」

「えっ、マジ?」

「このままクビになって餓死するか、お前に殴られて死ぬか、どのみち綱渡りだ。だったらさっさと結果を出すほうを選ぶさ。やってやる」

 教師は杖を頼りにひょこひょこ歩き、煉真から少し距離を取ってこっちに向き合った。足取りは酷く頼りないのに、目つきは真剣だ。


——マジか。

 まさか本当に受けて立つとは。

 これなら流石に断ると思ったのに……そこまでこいつは追い詰められてるってことか?

 言い出した煉真のほうが内心戸惑った。自慢じゃないが人殺しにはなりたくない。

 だが——

 言ったもんは言ったもんだ。

 今更退けない。

 仕方なく煉真は教師に向き合い、拳を構える。

——まぁ、手加減すりゃ死にはしないだろ……

「行くぜ」

 煉真はフリだけは本気で殴るかのように拳を固めた。

 教師は明らかに震えているがもう何も言わない。死を覚悟した者の目ってこんな感じだろうか——そんな無責任なことを思いながら、煉真はいよいよ拳を突き出した。


「ゥ」


 康峰は喉からヘンな声を漏らす。

 そして糸の切れた人形のように力なくその場に崩れ落ち、動かなくなった。

 数十秒——

 そのまま男が動く気配は一切ない。

 と言うか呼吸すらしていないように見える。


「おい……?」

 しゃがんで男の顔を覗き込む。

 男は見事に白目を剝いていた。

 そういえば以前学園の授業で脈拍のはかり方も教えてもらった。それを思い出して見様見真似で脈をとってみた。

 だがやり方を忘れたのか、どこに指を当てても脈拍は感じられなかった。

 煉真はごくりと生唾を飲み込む。


「……マジ?」


 

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