第四幕 新任教師と女子高生 ④
「……はぁ~~っ」
鵜躾綺新たちのテーブルから離れたところで、康峰は大きく息を吐いた。
トイレ脇の物陰だ。窓硝子から通りを行きかう人の様子がよく見える。
「なぁ、どうなってんだこの学園は? 昨日の赤色生徒会の三人といい、あの不良娘三羽鴉といい、碌なのがおらんじゃないか。最初に会ったお前がずいぶんまともそうだったから油断したけどあんなのばっかか? それともお前も本性隠してるだけで実はヤバい奴なのか? そうならさっさと打ち明けてくれ。いまならお前がラスボスだって驚かないから」
一息に捲し立てるように言う。
余程溜まっていたらしい。
「ないですよ、そんなこと……僕は至って一般的な劣等生です」
「悲しい自己紹介だな」
「それに、まぁ確かに癖は強いけど、あの三人もそこまで変だとは思いませんけど」
「おい冗談だろ? やっぱりお前もあっちの同類か。あれが変な人に見えないならお前も相当深刻だぞ。長くこの島にいて感覚おかしくなってるんだよ、お前たちは。まともな人間に接する機会が少ないからそうなるんだ」
早口で言ってから康峰は咳込んだ。
バランスを崩したか、松葉杖を持ってないほうの手を壁に突く。
「……先生もあんまり『まともな人間』には見えませんけど」
というか心臓が再起動する体質の時点で絶対まともじゃない。
「げふっ……とにかく、作戦会議だ。俺はあの三人を授業に出させなきゃならん。あんな頭のなか八割方カネやセックスやアイドルで詰まってるような連中でもな」
「そこまで言うことないと思いますけど……特に
「似たようなもんだろ」
「そんなことありませんよ、彼女は」
「何だ、ずいぶんあいつの肩を——」
ふと康峰は黙り込んだ。
その目が先達を鋭く捉える。
先達は何だか居心地が悪くなって訊いた。「な、何ですか?」
「……そういうことか」
「へ?」
「参ったな。いや、まぁそう言われれば気付かなかった俺が鈍かったな。うーん」
康峰はぶつぶつ言ったあと、先達に目を向けた。
「お前、あいつが好きなんだな?」
「えぇっ⁉」
先達は漫画みたいに跳び上がった。
しまった、と思ったが時既に遅い。
その反応は「正解!」と叫んでいるようなものだったろう。
「あ、あいつって? 誰の話をしてるんです?」
「荻納衿狭」
やっぱり。
——自分ってそんなに分かりやすいのかな……
この様子じゃ当の本人にもバレてないか——いや、それはないはず。そこまでバレてるならいっそそこのトイレに首を突っ込んで入水自殺したい。
「もう告白とかしたのか?」
「ちょ、ちょっと先生! 声が大きいですよ!」
「迷子のアナウンスくらい馬鹿でかい声を出してるのはお前だ。やっぱり俺の見た通りだな、そんな気がしたんだ。でもね、ええと、沙垣先達君だっけ? 俺はちょーっとやめといたほうがいいと思うナ」
「勝手に話を進めないでください。……やめるって何をですか」
「荻納衿狭は下手をするとあの三人のなかで一番タチが悪いぞ。ああいう不良の傍らにいて自分は清楚キャラですみたいな顔した女はな、意外に一番強い毒を隠し持ってるもんなんだ。それで何人泣くのを見てきたことか。悪いことは言わん、あいつはやめておけ。人生の先達からのささやかな忠告という名のプレゼントだ」
「ありがたくそこのトイレに流させて戴きますよ」
「お、なかなか言うね。いいぞ」
「先生に彼女の何が分かるって言うんですか? 僕は少なくとも一年以上彼女の近くにいて少しは分かってる気でいます。確かによく分からないところはあるけど、決して悪い人じゃない」
康峰はまじまじと先達を見る。
そして悲しげに首を左右に振った。
「……ハァ、左様ですか。やっぱり分かっていたが恋とは盲目だな。分かった、お前の好きにしなさい。骨は拾ってやる」
「……僕と荻納さんじゃ釣り合わないと思ってませんか?」
「そんなことはないぞ。イワシの頭も信心からだ。先生は応援してるぞ」
「人の初恋をイワシで譬えないでください」
「そういやお前、今日俺をあの三人と引き合わせたのはあいつに会う口実だったんじゃないだろうな?」
「…………」
「図星か? 全く、真面目な奴かと思ったが結局これか。そんな消極的な方法しかないんじゃいつか別の男に——いや、そんなことはどうだっていい! お前と昼間っから恋バナにうつつを抜かしに来たんじゃないんだよ」
「先生が話し出したんじゃないですか……」
「いいかね、俺はあいつらを授業に——」
そこまで言い掛けて、康峰の視線が動いた。
「あっ、おい! あいつら席を立ったぞ!」
見ると衿狭たち三人がレジに向かっている。
康峰がそっちに駆け出した。
仕方なく先達も後に続く。
「おい! 何勝手に帰ろうとしてるんだ、まだ話は終わってないぞ」
「時間切れだよ。レディを待たせすぎ~」
他ふたりは早くも出口に向かおうとしている。
「授業に出るって話はどうなるんだ?」
「言ったでしょ、面白くないから出ないって。ま、センセーはちょっと面白かったけど。もしセンセーが学校を百倍面白くしてくれたら出てあげてもいいけど?」
綺新は挑発的な笑みを浮かべて康峰を見た。
康峰はその目を見返した。
「言ったな。本当だろうな?」
「うわっ、なんか本気にしてんだけど」
「嘘かよ!」
「あはは、じゃあね。あたしらこう見えて忙しいんだ。また暇があったら遊んであげるね。ほなサイナラ」
「おい、待てって」
「まだ説教する気?」
「そうじゃない。会計はもう済んだのか?」
康峰は自分の懐に手を入れながら言った。「ここの分くらいは俺が持ってやる。一応お前らも俺の生徒だからな」
「……へぇ」
綺新は値踏みするように康峰を足元から頭まで見た。そうしてまたふっと笑った。
「いいトコあるんだね。でももう会計済んじゃった。あ、お釣りあげるね」
そう言って綺新は自分の持っていた財布を康峰に向かって投げた。
放物線を描いてそれが康峰の手元に落ちる。
慌てて受け取った康峰は一瞬意味が分からず呆然としたが、あっと声をあげた。
「俺の財布じゃねぇか! くそっ、いつの間に⁉」
「あはっ、やっぱ気付いてなかった。ばいばーい」
「待てっ!」
扉を開け、綺新は脱兎の勢いで外へ出ていた。先に外で待っていた衿狭、
慌てて後を追おうとした康峰だが、店員に「お客様!」と呼び止められて危うく食い逃げのレッテルを貼られるのを免れた。
「せ、先達! 後を追え!」
財布を開けながら康峰が叫ぶ。
先達は店の外へ出た。
噴水広場に出て通りを見渡す。
たった数秒のことなのに彼女らの姿は既に視界になかった。この手のことの常習犯でなければできない身のこなしだ。
ちりん——
鈴の音が鼓膜を擽った。
聞き覚えのある音色だ。
見ると広場中央の噴水の向こう、荻納衿狭がこっちを振り返っていた。
猫のお守りについた小さな鈴が彼女の手元にある。
先達と目が合うと衿狭は言った。
「またね、沙垣君」
「あ、あぁ……」
先達は相槌とも感嘆ともつかない息を吐いた。
少し笑みを浮かべた衿狭は、身を翻して通りの向こうへ走り去っていった。
「くそっ、危うく食い逃げ犯にされるところだった。……おい先達、あいつらは?」
松葉杖を突きながらひょこひょこと康峰が出てくる。
彼を振り返って先達は無言で首を左右に振った。
康峰は唇を噛み締める。
忌々しげに通りを睨む。
「行っちゃいましたね、荻納さん」
「お前にはそれしか見えてないのか。というか荻納衿狭、あいつはお前がやられたときみたいに俺がスられたのに気付いてたんじゃないのか?」
「かもしれませんね」
「くそっ、先達がスられたら言ってくれたのに俺に対しては黙ってたのか……」
「荻納さん、仲間には優しいところありますから」
「生徒の仲間思いな一面が知れて先生嬉しいよ。次は教師にも優しい一面を見せてほしいね」
「で……どうします、これから?」
先達の質問に康峰は腰に手を当てて通りを振り仰ぐ。
やがて絞り出すような声で言った。
「次だ」
「次?」
「あの三人は手強い。他の生徒に会いに行くぞ。そんで他の連中がみんな授業に出れば奴らも気が変わるかもしれない。別の生徒のところへ案内してくれ」
「はぁ。……なんか凄く聞き覚えある科白の気がしますけど……」
「煩い、次だ! 次々、次こそ——げほっ、ごほぉっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます