第四幕 新任教師と女子高生 ③
長い人類の歴史において——
きっとこう表現しても誇張でないほどに長い歴史を持って、この議題は多くの人類、もとい男性諸君を苦しませてきた。
そしてその回答はいかに苦慮と工夫を重ねようと、厳然として立ちはだかる『現実』という壁の前に、無情にも無残の体を晒すのである。
……ってそんなこと言ってる場合じゃない。
見かねたように横から
「やめなよ綺新。沙垣君、困ってるでしょ」
「ぅうっ」
——その助け船はむしろ傷つくんですけど……
こんなナイフのように切れ味鋭い優しさは初めてだ。
「ふーん。ま、別にいいけど。そこまで知りたくもないし」
綺新はそう言ったときには再びポテトに手を伸ばしていた。
もう先達の存在など忘れたような横顔をしている。張り倒したい。
——どう答えるのが正解だったんだろう……
いっそ「女に困ったことはない」みたいな見え透いた嘘で笑いを取るべきだっただろうか。それか「ご想像にお任せします」ならウケたか?
……いや、間違いなくスベるよな。それにしても何も答えないよりマシか。そうなった日には目も当てられない。
「おい、馬鹿な質問コーナーは終わったか? それじゃあこっちの質問に戻るぞ。お前たちが授業に出ない理由はまぁ分かった。それより大事なのはこっちだ。何があったら授業に出ようと思う?」
軛殯康峰が三人に向けて言った。
しかし綺新も衿狭もまるで聞こえないかのように黙っていた。衿狭なんて音もなくコーヒーを啜っている。
「おい、どうした?」
「しーん。まだこっちの質問タイムが終わってませーん。センセーもちゃんと答えないと次行かないから」
「なにぃ?」
「そりゃそうだよね」
衿狭の援護射撃。「生徒にだけ恥ずかしい思いさせるの?」
「そうだそうだ」
先達は口には出さず内心ガヤを飛ばした。
康峰は苦々しそうに眉を顰めながらも椅子に深く掛け直した。
腕を組みながら言う。
「だったらさっさと終えてくれ。質問は何だ? 先達に対する質問と一緒か?」
「うーん。センセーなんだからもうちょっとハードル上げなきゃね」
「どういう理屈だ」
「つーかセンセーいい大人なんだから童貞ってことないでしょ? それともヤッたことないの? あっ、その感じじゃ体弱くてヤれないとか? そんな人生カワイソ過ぎるし。恥ずかし過ぎて生きてられないわ、あたしなら」
「お前はもっと別のことを恥じるべきだぞ」
「何ならあたしがヤらせてあげよっか? もちろんタダじゃないけどぉ~」
綺新が軍服の襟を抓み上げ、胸元を見せつけるようにしながら言った。
康峰は呆れたように首を左右に振る。
「白昼堂々教師に援交を持ち掛けるんじゃない。あと別に俺だって経験がないわけじゃない」
「えっ、そうなの?」
「マジですか⁉」
先達の思わず出た大声にまたも店じゅうが振り返った。
店員が迷惑そうに空咳をする。
「……何でお前が一番食いつくんだ」
「あ、すいません……さっきこころに負った傷がデカすぎてつい」
「沙垣君大丈夫? 私たちと話すの疲れてない?」
「ぅうっ」会心の一撃。
「つーか経験あるってマジ? 相手誰? 彼女? 風俗嬢とかナシだからね。それ経験にカウントされないからうちのシマじゃ」
「知らねぇよ、お前の童貞判定ルール」
「どんな相手か言ってよ。若いオンナ? 看護婦のババァとかじゃないの?」
「はい、質問は終わりだ。続きが訊きたければこっちの質問に答えろ」
「はぁ?」
「経験があるか、というお前の質問に答えただろ?」
「うわっ、汚ったな。てかセコ」
「大人を見たら汚いと思え。俺からの最初の授業だ」
とんだ授業内容である。
「じゃ答えっから、絶対センセーも答えてよ」
「何がそこまでお前を駆り立てるんだ……?」
康峰が空咳をして言った。「お前たち、何があったら授業に出る?」
「えっと、めっちゃ面白かったら行くかも。はい次」と綺新。
「ん、気が向いたら」と衿狭。
「クローネちゃん、握手ぅ~」
「オラ、答えたぞ。次はそっちの番だよなぁ?」
「若干一名答えになってないぞ」
「こっちは三人、そっちは二人、しかもそっちは結局ひとり答えになってなかった。十分回答したと言えるだろコラ」
「お前のキャラがひとつも分からねぇよ。分かった分かった、相手がどんな女だったか言えばいいんだろ……」
康峰は腕を組んで辺りを見回すように視線を動かした。
視線が夢猫の枕替わりになっている雑誌で止まった。
夢猫が好きな美少女アイドルの写真が彼女の頭から少し覗いている。
それに向かって康峰は顎をしゃくった。
「まぁ、あんな感じの女だったかな」
少女たちが目を合わせる。
不思議な沈黙がその場を包み込んだ。
昼下がりの店内に食器の鳴る音が鳴り響く。
「…………フッ」
「おい、いま誰か鼻で笑ったか?」
「そんなワケないじゃん、フッ」
「笑ってるだろうが
「もう先生、いいじゃないですか。つ、次の質問にブフッ、行きまオフッ」
「お前が一番笑ってんじゃねーか先達」
「まぁいいじゃない。先生がこう言ってるわけだし。可能性はなくはないよね?」
助け船だか泥船だか分からないコメントを衿狭が挟む。
こんなときでもコーヒーを手にしてどこか気品を喪わないのは流石だ。まるでテレビ画面越しに会話を聞いているかのように落ち着いている。
だが視界の端で最初に衿狭が失笑したのを先達は見逃していない。
「え~~でもクローネ似は有り得なくね? チチ子が起きてたらブチ切れるよマジで。精々この女くらいでしょ、センセーの顔なら」
綺新が雑誌に載った幸福になれるネックレスを紹介している中年女の笑顔を指さしながら言った。
「ちょっとー、あたしの雑誌ぃ」
「いいじゃんあんた寝てんだから。つかやっと起きたの? いまメッチャ面白かったのに」
「あたし超いい夢見てたの。クローネと一緒に……あれ、何だっけ? あーん忘れちゃったぁ」
「知んないわよ。ちょっと、こっち寄らないで、バカが移るから」
「えっ、綺新ってバカじゃないつもりだったの? ウケる」
「何だぁこのアマ……やっぱ揉まれたいか?」
また少女たちが騒がしく自分たちだけで話し出した。
こうなるとついさっきまで一緒に会話していたと思えないくらい男は置いてけぼりになる。先達は三人、主に綺新と夢猫が喋るのを見ながら水を口に運んだ。
あとこの店いつまで水飲ますの? 注文来ないな……
康峰が先達に顔を近づけて囁いた。
「おい。ちょっと来てくれ、先達」
「何ですか?」
「作戦会議だ」
康峰はそう言うと松葉杖を手に椅子から立ち上がった。
渋々先達はそのあとに続く。
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