第四幕 新任教師と女子高生 ②

 


「ごめんね、沙垣君?」

 鵜躾綺新の蛮行を謝ったのは荻納衿狭だった。

 先達の顔を覗き込むように見つめる。

 額に掛かった黒髪が流れた。

 何だかいい匂いがした。

「あ、ああ、いや、どうも……お気遣いなく」

 先達は思わず彼女から顔を背けつつ、自分でもよく分からないことを言った。

 顔が紅潮していないか、気が気でない。


「お前ら、いつもこんなことをやってるのか?」

 傍らで見ていた白衣白髪の教師が、呆れたように言った。

「まさか。今日が産まれて初めてだよ。えっと、びっくりぽっくり先生」

軛殯くびきもがりだ。お前よくその記憶力で『もう一回聞けば』とか言ったな」

「ま、ふたりとも座ったら?」

 衿狭は平然と明後日のほうを向いたまま椅子を引きつつ言った。

 憮然とした顔で、しかしとりあえず康峰は椅子に座る。

 先達もそれに続いた。



 店員に軽く飲み物を注文する。

 とりあえず運ばれた水で口を潤した。

 店内は割と静かだが他にも数人客はいる。その客も店員も、こっちに向かってちらちらと目を向けているのが気配でも分かった。

——無理もないか……

 いかにも姦しい年頃の女子学生三人組に、いかにもパッとしない地味な男子学生、いかにもさっき病院から脱走してきたような松葉杖の男——いやそんな「いかにも」はないか。

 ともかく異様な取り合わせだ。見られるのも仕方ない。


 やがて康峰が口を開いた。

「まぁ、スリの件は一旦置いておくとして……お前たちどうして学園に来ない? 俺はお前らが来てくれないと困るんだよ」

「は? そんなんあたしらの知ったことじゃないしー」

 鵜躾綺新はにべもない。

「てかさ、アンタ島の外から来たんでしょ? 外ってどうなの? ここより安全だし贅沢できるしヤリたい放題ってマジ?」

「まさか。世の中そんなに甘くはない」

「んなコト言って、ココよりは絶対いいっしょ?」

「金次第かな」

「っはぁ~~、やっぱカネだよカネ。あたしもこんなイワシくせぇ島さっさと出て、いい男捕まえてー、そんでヤらせる代わりに好き放題してぇ~~」

「昼間っから女の子が言うことじゃないな」

「男なら言ってもいいの?」

 からかうように荻納衿狭が口を挟む。

「ごほっ、げほっ」

 康峰は噎せたふりをして衿狭の質問をスルーした。黙って水を口に運ぶ。


「ねぇセンセー、金持ってる?」

 綺新が不意に言った。

「急に何だ? 俺は白化病はっかびょうだぞ。碌な働き口はないし薬代も馬鹿にならない。万年金欠だ」

「とか言ってもあたしらより持ってんでしょ。ちょっと恵んでよ? もちろんタダとは言わないから。胸くらい揉ませてやってもいいよ。……チチ子の」

 そう言って綺新は隣に座る夢猫の胸を掴みにかかる。

「うーん……」

 胸を揉まれた夢猫が不快そうな息を漏らした。

 見ると、しっかり瞼を閉じている。寝ているらしい。ついさっきまで起きて会話してたのに。とんでもない体質だ。

 先達は呆れつつ綺新が胸を揉むのをじっくり見——じゃなくて、窓の外を見ながら水を口に運んだ。

 うん、今日もいい天気だ。

 ……霧出てるけど。


「話を戻すぞ。お前たちにいくつか質問がある。いいな?」

 康峰は改まって言った。

 鵜躾綺新が自分の髪を弄りながら言う。

「別にいいけどぉ、一方的に答えさせられるのって何かイヤだな。そだ、あたしらがひとつ答えたらそっちもひとつあたしらの質問に答えてよ」

「まぁ、別にそのくらいは……」

「オッケー。じゃ決まりね」

「……あの、もしかしてそれ僕も入ってます?」

 先達は自分を指さして言った。

「何言ってんの。当然でしょ」「そうだな」

 綺新と康峰がほぼ同時に言った。

 ここに来て初めて息がぴったりだ。

「へっ、何で僕が?」

「へぇ」

 不意に荻納衿狭が呟いた。「面白そう」

 ちょっと意地悪そうに笑みを浮かべ、掌に顎を乗せている。

 一瞬ちらりと彼女と目が合った。

「……わ、分かった。分かりましたよ」

 喉まで出かかった抗議を抑え、先達は声を絞り出した。

——なんでこんなことに……

 最近これが口癖になりつつある気がする。

 言っても仕方ないので、先達は話を続けた。


「じゃ、まずこっちから質問だ」

 康峰は言った。「三人はどうして授業に出ない?」

「決まってんでしょ。ダルいから」綺新が言った。

「みんな行ってないし。ま、いいかなって」衿狭が言った。

「…………」夢猫は寝ていた。

「おい、どんだけ寝るんだ。いい加減起きろよ」

 康峰が言ったが、夢猫は安らかな寝顔を崩さない。

 綺新がポテトを食べつつ首を左右に振った。

「無理無理。このコ昼間は大体こんな感じだから。夜型なんだよね。ま、それがこいつのガッコー行かない理由でもあるけど」

「前に訓練でも開幕十秒で寝てたしね。あれは笑っちゃった」

 衿狭が言う。

 康峰は困惑の表情で彼女らの顔を見比べた。

「いや、お前らそんないい加減な理由で……」

「はい、こっちは答えたかんね。次はそっちの番っしょ?」

 アイドルの握手から引きはがすように強引に綺新が質問の追撃を断ち切った。

 康峰はぐっと声を飲み込む。

 約束した以上仕方ないと思ったのだろう。


「あたしから訊いていい、エリ?」

「どうぞ」

「うーん。何から訊こっかな」

「いいからさっさと訊け。こっちはまだ大事な話が残ってるんだ」

 康峰は言いながら水を口に運んだ。

 この三人と話していると無性に喉が渇くというか、疲れる。先達も釣られたように水を口に運んだ。

 綺新がおもむろに訊く。


「サガッキーってさ、週に何回ぐらいヌイてんの?」


「ぶほぉっ!」

 先達と康峰は同時に水を噴き出した。テーブルが水浸しになってどこからか悲鳴が上がる。何事かというふうに客や店員の視線も集中した。

「……なんてこと訊いてんだ⁉」

 康峰が口元を拭いつつ叫んだ。

 先達も慌てて零れた水を拭く。

「うわっ、やめてよ! きったな」

 原因を作った綺新自身が一番迷惑そうな抗議の目を向けてきた。衿狭も一瞬で素早く身を引いている。

「別にそんなキョドることじゃないじゃん。サガッキーってどう見ても彼女いないでしょ? てことは絶対童貞でしょ?」

「ど、童……」

「じゃあどんくらいの頻度でセックスするかとか訊いたら失礼じゃん。だからオナニーの頻度訊いたわけ」

「お前がこの世で関心あるのはセックスかオナニーの回数だけなのか?」

「ちょっと、先生までそんな単語出すのやめてください。店のなかですよ」


 先達は店員や他の客の視線を気にして囁いた。

 店員の女性は迷惑そうに眉を顰めていまにも注意に来そうだ。気が気でない。

「で、実際どうなの? それとも彼女いんの? いないっしょ」

 綺新が容赦なく追撃する。

 このオンナ、自分が諸悪の根源だというのに。少しは恥じというものがないのか。


 先達は康峰を見た。

「そんな下品な質問に答える必要があるか。質問を変えてやれ」

 みたいな援護射撃を期待したが——

「仕方ない。答えてあげろ、先達」

「ええっ⁉ マジですか、先生?」

「俺はこいつらを授業に出さなきゃならない。そのためにこんなところで引き下がれないんだ。頼むよ、先達君」

「ええ……」

——それが教師の言うことか。

 そう思ったが、既に三人の少女は注目している(夢猫も)。

 何なら他の客まで注目を集めるなかで、引っ込みがつかない雰囲気があった。

 恐るべし同調圧力。


 先達は唇を噛み締め、声を絞り出した。

「……それは——」


 

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