第三幕 新任教師と生徒会長(赤) ④

 


 そもそも《冥浄力めいじょうりき》とは禍鵺——怨霊を浄化するための力。

 その力の矛先が人間に向かうことがあってはならない。 

 だから使徒は《冥浄力》に仕掛けを施した。もし人間相手に行使しようとすれば使用者に強い《反動》が返ってくるという仕掛け。

 それだけではない。

 生徒たちが不満を持ち、学園に叛く事態を見越して、生徒を取り抑えるためのもうひとつの力を青色生徒会に与えた。

 それがいま漆九条うるしくじょうの発動させている《冥殺力めいさつりき》だ。

 禍鵺に対し特効戦力を発揮する《冥浄力》。

 人間に対し特効戦力を発揮する《冥殺力》。

 このふたつが学園に奇妙な均衡を築いていた。



 紗綺は緊張に唇を噛む。

 いくら紗綺が卓越した戦闘力を持っていても、相手が《冥殺力》持ちである以上事情が変わってくる。

 おまけに漆九条の周囲には十人近いゴロツキもいる。これでは勝ち目はほぼ皆無と言っていい。

 漆九条も考えなしにこの状況を作ったわけではないということだ。


 村雲たちがちらりと紗綺の表情を伺うのが気配で分かった。

 言いたいことは分かる。ここで漆九条の言うことを聞くふりをして一旦戦いを避ける手もある。逃走を図る手もあるだろう。

 いずれにせよ紗綺の決定に従う——村雲も竜巻もそういう表情だった。

 周囲のゴロツキがじりじりと間合いを詰めつつあった。


 紗綺はわずかに視線を落とした。

 《破暁はぎょう》は一切の曇りもなく鏡の如く持ち主の顔を映している。夕暮れの廃工場のなかでもそこだけは鈍く光を放って見えた。

 静かに息を吸う。

 再び漆九条に目を向けた。


「やるぞ。村雲、竜巻」


 同意を得る必要はなかった。

 竜巻、村雲は無言で前に踏み出す。

「残念ですよ、会長。それでは——」

 漆九条が青い炎を大きくした。

 周囲の男たちに目を向け、口を開こうとしたとき——


「やぁっと見つけたぞ、紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺!」


 突然工場内に響いた声に、誰しもが気勢を削がれた。

 それは怒声と言うより悲鳴に近くしわがれていて、あまりにこの場に不釣り合いだった。紗綺も、竜巻も、村雲も、漆九条も、その周囲の連中さえもハトが豆鉄砲を食らったように声の主のほうを見た。

 その男は鉄扉の外から現れた。

 白衣白髪。だがよく見ると顔は若い。

 断食中かと思うほど頬は痩せこけている。

 今日が一生で一番不幸な一日だと言わんばかりに瞳は暗く淀んでいる。

 そんな奇妙な男が松葉杖に頼りながらひょこひょこ近付いてきていた。


 あまりにこの場に似つかわしくない人物に、その場にいた誰もが動きを止めて彼の接近を見守ったのも不思議ではない。

 男は紗綺の手前まで近づくと息を切らしながら言った。

「ごほっ、けほっ……おい、紅緋絽纐纈紗綺だな? どうして呼び出したのに来ない?」

「ええと……。何の話だ?」

「何の話だと? さっき校内放送で呼び出しただろ、聞いてないのか?」

「…………あっ」

 紗綺は間抜けな声を発した。

 そういえばそうだった。

 完全に忘れてた。


——となると。

 この人が新しい《先生》……?

 紗綺は改めて目の前で咳き込んでいる男をまじまじと観察した。


***


「全く、生徒名簿には優等生とあったのに、早速教師からの呼び出しをすっぽかしてこんな工場跡で油売ってるとはな。探すのに手間が掛かったぞ。一体この学園はどうなってんだ?」


 軛殯くびきもがりやすみねは勢い込んで言った。

 沙垣さがきせんだつに校内放送をさせてしばらく待ったが紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さきは現れなかった。仕方なく探し回り、彼女がこの工場へ行ったという証言を聞いてここまで来たのだ。

 おかげで脚も体もへとへとだ。さっき食べたイワシ饂飩も口から放流しそうだ。安いからと食べてみるもんじゃなかった。

 紅緋絽纐纈紗綺はきょとんとした顔でこっちを見ている。


 確かに——

 美人だ。

 生徒名簿で写真は見ていたが、実物はこんな状況じゃなきゃ見惚れるくらいな整った顔立ちをしている。

 人形のように端正であり、それでいて芯の強さを感じさせる。年齢は十五歳だがもう少し大人びて見えた。

 それでいて呆気にとられた表情は子供のようなあどけなさを残している。

——腰に差した刀は物騒だが。

 紅緋絽纐纈紗綺——

 これが鴉羽からすば学園で一、二を争う人気者であり実力者なのだ。


「おいおいおいおい!」

 傍らの少年が急に声を張り上げた。康峰はそっちに目を遣る。

 確かこいつも名簿で見た。馬更ばさら竜巻たつまき——紅緋絽纐纈紗綺とともに赤色生徒会とやらを率いている生徒のひとりだ。

「ツッコミどころが多過ぎるぜおっさん。何しにこんな場所に来やがった? いまがどういう状況か分かってんのか? てか教師だと? ンな吹けば飛ぶようなほっそい体で?」

「勘違いしてないか? 俺は戦闘教官じゃない、一般教科の担当だ」

「イッパンキョーカ?」

「知らないのか。国語の使い方だとか数字の計算だとか文化歴史の勉強だとかを教えるのが俺の役割だ」

「ンなこと訊いてんじゃねえんだよ。つまりアレか、お前さんは今更俺らにそんなこと教えるためにこの島までお越しになったって言いてェのか?」

「何か不満か?」

「不満? おいおいおい、聞いたか村雲、お前からも何とか言ってやれよこの世間知らずのおニューのセンセーによォ!」


 急に唾を飛ばされた傍らの大男は虚を突かれたように目を瞬かせた。

 この学生らしからぬ巨体の少年は確か鍋島なべしま村雲むらくも——やはり赤色生徒会の中心人物だ。

 こいつは馬更竜巻と違って口下手なのか、すぐに言葉が出て来ずもごもごしている。


「ちっ、しょうがねえから俺が教えてやる、この島じゃ赤ん坊からサカリのついた野良犬まで知ってる常識だ、耳の穴かっぽじり過ぎて血ィ流しながらよく聞けよ。——この島は禍鵺っつうバケモンと戦う最前線だ。俺ら生徒が《冥浄力めいじょうりき》を使って化物を退治してる。でなきゃ島はアッという間に禍鵺の住処、そんでもって本土にまで溢れ出す」

「そんなことは知ってる」

「だ~~ったらお前の言うことがどんだけ的外れか分かるよなァ? 俺らは忙しいんだよ。行儀よく教室でお勉強ゴッコなんざしてる暇あったら訓練でもしてるほうが千倍マシだ。それともアレか? お前は俺らを平和ボケさせて世界を滅ぼしてえのか? それとも俺らに世界を守ってほしいのかどっちなんだ、ぇえっ?」


 グラサン越しに凄む馬更竜巻に、康峰は言葉をすぐ返せなかった。

 別に気圧されたわけではない。ただ彼の言っていることは——その口調や言葉遣いはともかく——間違いなく正解だった。

 だからこそ言い返す言葉が出てこなかった。


「分かったか? 分かったらさっさとケツ捲くって帰ってくれねえか、センセー?」

「しかし、俺にも役目がある」

「へぇ、役目? そいつは何だ?」

「お前たち生徒を正しい方向へ導くことだ。そのために教養というものが必要だ。俺の役目はお前たちに教養を与えることだ」

「なるほど。で、本音は?」

「金だ。お前らが授業に出てくれないと俺はクビになって追い出される。もう次の仕事が見つかるまで生活する資金もない。授業に出てくれないと困るんだよ」

 ——と言いたかったが。

 そういうわけにもいかない。

 何かいい方便がないか考えていたが、何も思い浮かびそうにない。


「もういい、先生」

 黙っていた紗綺が静かに口を開いた。

 まっすぐで凛とした視線が康峰を射抜く。

「先生が私たちをとても心配してくれてるのはよく分かった。先生はきっといい人だ、と思う。でも私たちは戦う。別に大人が決めたからじゃない。これは何というか——私の《使命》のようなものだと思ってる」

「へ? 使命?」

「そんな大げさな言い方をするのはちょっと変な感じはするが、でも、他にいい言葉がない。私はそんなに頭がよくない。だからうまい言葉は言えない。先生は他の生徒に授業を開いてくれ。そうして私の代わりに誰かが賢くなって、その者たちが幸せになってくれればいいと思う。……お願いする」

 そう言って紗綺は深々と頭を下げた。

 長い髪が流れて地面に着きそうになる。


 康峰はほとんど忘れていた罪悪感というものを覚えた。

 このクソ真面目な少女は康峰の薄っぺらい建前を真に受けたのだろう。

 顔を上げたまっすぐな視線は一切の疑念も皮肉もなく、正面から康峰の目線を受け止めていた。

 何とも——直視しにくい目だ。

 思わず目を背ける。

 その光は康峰には少し眩し過ぎた。


「大体よぉセンセー、いまがどういう状況か分かってんのか?」

「状況?」

 康峰は周囲をきょろきょろと見回した。

 大勢の、いかにも素行が悪そうな連中が不気味なほど静かにこっちの様子を見ている。だがどうやら様子がおかしい。

「猫と遊びに集まってる友達、って雰囲気じゃないな……」


 群衆から眼鏡を掛けた少年が踏み出した。

 どうやらこいつがこの連中のリーダーらしい。

「よく黙って待っててくれたな」

「知ってますか? ヒーローが変身中に攻撃するのはご法度なんですよ」

「どうする、漆九条うるしくじょう?」

 周囲の男が彼に訊いた。

 漆九条と呼ばれた眼鏡は勿体ぶった動作で眼鏡に触れる。

「……曲がりになりにも教師に手を出すのは厄介になりかねない。丁重にお引き取り願おう」

 漆九条の言葉を合図に、大柄な男のひとりが康峰の胸倉を掴んだ。

 もし日本語が健在なら到底漆九条の「丁重に」という言葉を理解しているとは思えない粗っぽさで、男は康峰を引き摺り出そうとする。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 堪らず康峰は悲鳴に近い声を上げた。


 

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