第三幕 新任教師と生徒会長(赤) ③

 


 ……何かおかしい。

 猫工場に足を踏み入れて数分。

 紗綺はこころに冷ややかな隙間風が吹くのを感じた。

 眩しい夕日の差す屋外と対照的に、建物の内部は暗影に包まれている。

 割れた窓から差す夕日が、壊れた工作機械や、床に散らばった硝子片を照らしていた。


 禍鵺のいる気配らしいものを一切感じない。足音や息遣いなども。

 ここまで来てそうした兆候の一切を感じないのは異常だ。

 それに、禍鵺出現の際には必ず霧が現れる。

 その霧がここにはない。

 それとは別に——

 人間の気配を感じる。それも、複数人。

 おもむろに紗綺は足を止めた。

 すっと息を吸い込んだ。


「竜巻! 村雲!」


 紗綺は怒声とともに素早く身を翻した。

「一旦退き返せ!」

 ふたりも同様に不自然な気配を察し始めていたのだろう。黙って踵を返そうとしたとき——


「止まれ!」


 途端に頭上から響いた声に動きを止めた。

 怒鳴った男は工場の吹き抜けの上階から紗綺たちを見下ろしていた。周りにも数人の男がいる。

 それだけじゃない。

 紗綺たちの隣の部屋に繋がる鉄扉を開けて、こちらも数人の男が姿を見せていた。

 罠だと気付くには寸分遅かったようだ。


——ざっと十人ばかりか。

 目の端で数えながら紗綺は既に《破暁はぎょう》の柄に手を伸ばしていた。

 男たちの風体は思い思いだが鴉羽からすば学園の生徒には違いない。顔には覚えがある。およそ素行のいい連中とは言えない。現在学園に反旗を翻しボイコットしている連中の一部だ。

 その手には思い思いに鉄刀や金属棒など、物騒なものをぶら下げていた。


「オイオイオイオイ、こいつは何の冗談だァ?」

 馬更竜巻が場違いなばかりに甲高い、おどけた声を張り上げた。

 これだけの人数に囲まれても一切物怖じしないそのさまに、近付かれたほうが怯んで足を引いた。

「さっきのガキンチョを脅して俺たちをここに招き入れたって寸法かよ? つれねぇなァ、遊んでほしいならそう言えよ。足腰立たなくなるまでたっぷり可愛がってやったのによォ、なぁ!」

「てめぇ、何——」

 何か言い掛けた男のひとりにすかさず竜巻は蹴った。両手はポケットのまま、右足が別個の生き物のように跳ねて男の側頭部を蹴り上げる。

 男は見事に壁にぶつかり、呻き声を漏らした。

「おら、次だ。お前か? それともお前がやるか?」

「おい馬更、はやるな。まだこいつらの目的も何も聞いてないぞ」

 鍋島村雲が牽制するように言う。

「はん、聞く間でもなかろうってもんよ。どうせ俺らが気に食わねぇうぜぇムカつくって連中だろうが、もう耳にタコが住み着くくらい聞き飽きたぜ!」


「それは違いますよ」


 男たちの後ろから現れた人物が言った。

 他の連中とは一風違った風体の少年だ。

 卸したてのような制服を着こなし、色鮮やかな青い外套を羽織っている。

 髪も綺麗に七三に分け、眼鏡を掛けていた。

 細身だが視線は飢えた狼のように鋭い。

 その軍服、風貌——青色生徒会の一員なのは一目で知れた。

 紗綺の体がわずかに強張る。


「耳にできるタコは海洋生物のタコではないし、我々の目的は復讐や腹いせではない。会長さん、おとなしく我々の『交渉材料』になって戴けませんかね?」

 生徒会の男はやけに慇懃な口調で言った。

 紗綺を見据えつつ、指先で眼鏡を整える。

 夕日がレンズを輝かせ、紗綺の顔を反射させた。


「交渉材料?」

「我々の目的はこの島から出ることです。だが学園も天代守護てんだいしゅごもどれだけ言ってもその許可を下ろさない。かくなるうえは貴方がた学園の《人気者》を手土産に、島外に出る許可を得たい。そのためにご協力願いたいのです」

「要は人質か?」

「そういう言い方もできるかもしれませんね」

 眼鏡を整えながら言う。

「その考えは間違ってる。私たちを人質にしたところで天代守護は生徒を島外に出すことは決してない。そもそも私にそこまでの価値はない」

「そう思っているのは貴方だけですよ」


 そこまで黙って話を聞いていた竜巻が踏み出した。

「よぉよぉよぉよぉ! ずいぶん久しぶりだな、ウルウルシクシク漆九条うるしくじょうちゃん!」

 その仇名(?)を呼ばれ男の笑みに罅が入った。

 構わず竜巻は迫る。

「どんな具合だよ、裏口からこっそり入った青色生徒会の椅子の座り心地は? 禍鵺が怖くて俺らの後ろでウルウルシクシクしてた頃よりはずいぶん居心地がいいんじゃねぇのか、ぇえ?」

「……二度とその名で呼ぶな」

「何だよ、お気に召さなかったか? それともウルメイワシって仇名のほうが好みだったか? ——にしてもガッカリだぜ。せっかく手に入れた椅子を蹴ってこんなバカな計画を立てるだなんてなァ」

「ふん。勝手に言ってろ。俺は殺される前にこんなふざけた島から出て行くだけだ。……天代守護の連中はいくら話しても分かってくれない。うちの生徒会長もな。あいつらは自分が安全圏にいると思ってるんだ。もう何人も殺されてるというのに……」

「……禍鵺の話じゃないな」

 村雲がぽつりと言った。「殺人バット、か?」

 漆九条は黙って村雲を睨んだ。

 その視線は彼の発言を肯定しているも等しかった。


 殺人バット——

 その名を知らない者はこの学園にいない。

 数か月前からこの島に現れ、学生や島民を襲う殺人鬼。

 禍鵺とは違った意味で学園を恐怖に陥れる謎の人物に、紗綺たちも手を焼いていた。

 改めてよく見れば、漆九条は虚勢を張りながらも何かに怯えているようにも見える。


「それで自分たちだけ逃げるために人質計画か。呆れたな」

「黙れ、鍋島。お前たちには分からないだろうよ。殺人バットは明らかに俺たち青色生徒会を目の敵にしてる」

「それは違う。殺人バットは無差別殺人鬼だ。青色生徒会を狙ってるとは聞いてない」

「いや、間違いない。俺には分かる。次に狙われるのは俺だ。そうなる前に俺はこの島を出て行く」

 漆九条は周囲の生徒たちに顎をしゃくる。

「こいつらもこの島にはうんざりした連中だ。そもそも殺人バットなんて関係なく、この学園はおかしいんだよ。何で俺たちが化物と戦わなきゃならない? 身内がいない、親に捨てられた、むしろそんな可哀想な俺たちが命を懸けて化物退治をしなきゃならない理由があるか? そう思うのが普通だろう! おかしいのはお前らみたいな平然として化物に突っ込んで行く連中のほうだ!」


「漆九条先輩」

 竜巻がまた茶化す前に、紗綺が一歩踏み出した。

 漆九条、それに他の連中の眼が紗綺に集中する。

「私たちは何も平気で戦ってるわけじゃない。死ぬのは怖い。痛いのも嫌だ。だから、島から出たい気持ちも理解できる。だけど考え直したほうがいい。このやり方は絶対に後悔する」

「しないね」

 漆九条は即座に断じた。「殺される以上の後悔は、少なくとも」

 漆九条が片手を上げて眼鏡を整えた。

 その手がわずかな青い光を放ったかと思うと、澄んだ海のような鮮やかな色の炎がその手、腕を這っていった。

——《冥殺力めいさつりき》。

 紗綺の身が強張る。

 使徒が鴉羽学園の生徒に与えた力は《冥浄力》だけではない。

 もうひとつ——禍鵺ではなく、人間に対して特効戦力を発揮する能力を与えた。それも青色生徒会の面々だけに。

 それが《冥殺力》だ。

 使用者には青い炎が纏い付く。


 そして——

 《冥浄力》では《冥殺力》に勝てない。

 これは鴉羽学園の誰もが知る常識だった。


 

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