第三幕 新任教師と生徒会長(赤) ②

 


 猫工場は鴉羽学園の学舎から歩いて数分と掛からないところにある廃工場だ。

 もちろん正式名称ではない。もともと細々と経営をしていた工場だが、禍鵺がこの島に現れて経営者も社員も蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。

 無人の工場の新たな主となったのは野良猫だ。ろくに工作機械の処分もしていないから危険であり、勝手に入ることは固く禁止されているが、それでも猫や遊び場目的で入りこむ者が後を絶たず、いつしか《猫工場》なんて仇名が広まってしまった。


 その猫工場の手前にひとりの男子生徒と幼い子供がいる。

 男子生徒が歩くたびカランコロンと鉄下駄の音が響いた。

 彼はポケットに両の手を突っ込んだまませっかちそうに右へ左へ動いていたが、紗綺と村雲が来たのを見てけたたましい声を発した。

「や~っと来たか! あんまり遅ぇんで八百屋にでも寄り道してるかと思ったぜ、会長、鍋島!」


 彼の名は馬更ばさら竜巻たつまき

 鍋島村雲と並び赤色生徒会の幹部だ。村雲が右腕なら彼は左腕と言うべきか。尤も彼の場合は《腕》と言うより《脚》かもしれない。

 背丈は同年代のなかでは低いほうだが、長い手足や大きな声の所為かそういう印象はあまりない。

 或いは軍服を着崩し、軍帽を真逆に被り、不釣り合いなほどの大きな黒いグラサンを掛けたその奇天烈な風体の所為か。

 村雲とは別の方向で人から距離を置かれるが、彼もまた勇敢で正義感の強い男だということを紗綺はよく知っている。


 この男は常にポケットに手を入れたまま脚だけで人間だろうが禍鵺だろうが戦う。手より脚のほうが器用なんじゃないかと思うほど自由自在に脚の指を使いこなす。

 更にその脚の一撃は正に馬に蹴られたようで、生身の人間でも吹っ飛ばす威力を誇る。

 《剛腕無双》の鍋島村雲。

 《疾風烈脚》の馬更竜巻。

 それがこのふたりの恐怖と賞賛と共に呼ばれる通り名だった。


「この子が目撃者か」

 村雲が竜巻の傍らの少年に顎をしゃくった。

 島に元々住む少年だ。大抵は身寄りや縁故を頼って島を出たいまでも、故郷を離れない者はいる。

 竜巻が頷く。

「おお。ここに住み着いてる猫に餌をやろうと思って入ったところ化物の姿を見たって言ってやがる。暗くてよくは見てねぇって言うが昨日の件もあるしな」

「ああ、私も昨日の禍鵺の件は聞いている。慎重を期して間違いはないだろう」

「オイ餓鬼、クソ禍鵺を見たのはどの辺りだ? さっさと案内しろ」

 そう小突かれて少年は怯えた目で竜巻を見上げた。

 禍鵺と言うより、竜巻の剣幕に怯えている感じだ。

「竜巻、それではこの子が怖がってしまう。もう少し優しく言ってやろう」

 紗綺は助け舟を出した。

 少年がほっとした顔で紗綺のほうを見る。

 竜巻がちっと舌打ちして膝を曲げ、少年と目線の高さを合わせた。

「ったく何だよ、男だろォ? ビビってんじゃねえよ。本当にナニはツイてんのか? 俺がお前くらいのときにはなァ——」

「馬更、ごちゃごちゃ煩い。時間がないんだ、黙ってろ」

「ああ~~っ? 何か言ったか鍋島、ぇえ? 図体がうすらデケぇからって調子乗ってんじゃねぇだろうなァ。そんなに俺の口を閉じさせたきゃ腕づくでやってみるか? ぉお?」

「誰もそんなことは言ってない。だが、喧嘩を売ってるなら買ってもいいぞ」

「言いやがったな。その図体が飾りじゃねぇってトコを見せてくれよ!」


 竜巻がグラサン越しに村雲に凄む。ふたりの身長差は明らかだが竜巻に全く怯む様子はない。村雲も憮然としてそれを見下している。

 どうしていまの流れでこのふたりに険悪な空気が流れるのが紗綺にも皆目見当が付かない。が、こういうことはいまに始まったことではない。


「よせ、竜巻、村雲。時間がない。それにこんな子供を危険な戦場に連れ込むわけにはいかない。私たちだけで行こう。——少年、ここは我々に任せて帰るといい」

「えっ、でも……」

 少年は気弱そうに紗綺たちを見回した。

「何だァ? この餓鬼いっちょ前に俺たちの心配してんのか? ヘソの緒が取れてるかも分からねぇガキンチョが生意気じゃねぇか。会長がこう言ってんだからおとなしく帰っておネンネしてろってんだよ」

「竜巻。私はそんなことは言ってない。……少年、心配しないでいい。私たちが必ず化物を倒す。誓おう」

「出たよ。会長はすーぐ『誓う』からな」

「別に構わないだろう? 私たちには《これ》がある」

 そう言った紗綺はおもむろに右手を翳した。

 仄かに右手が赤い光を放ったかと思うと——

 そこから見る見る赤い炎が立ち上がり出した。

 禍鵺を倒すための特殊な能力。

 《冥浄力》だ。

 紗綺の半身を照らす西日に負けない赤々とした炎が、紗綺の翳した右手、右腕に巻き付きうねっていた。まるで紅い蛇が纏い付くように。


 少年は目も口もぽっかり開いてそれを見ている。

「これがあの化物どもを倒すために我々鴉羽学園の生徒が使徒から授かった力だ。これを発動させれば人間の身体能力は数倍にも飛躍する。化物相手でも敵ではない。だから安心していい」

「あ、熱くないの?」

「ああ。これは普通の物理現象の炎と違う。人の体にはもともと、血脈や神経のように目に見える流れと別に、目に見えない気や力の流れも通っている。使徒はそれを《冥脈めいみゃく》と呼んだ。使徒は我々人間にもこれを使いこなせるようにしたが、副作用的にこのような……」

「会長、ンな説明じゃ分かんねーって。要するにこの炎でウインナーは焼けねぇ、自分も火傷しねぇ、化物だけがお陀仏って寸法よ。なァ、村雲?」

 竜巻が代弁するように言った。

 確かに紗綺の説明では理解できない。

 と言うより紗綺自身この能力の全てを理解しているわけではない。すべて授業で聞いたことの受け売りだ。

 だがある意味で誰もこの能力の全容を理解しているとは言えないのかもしれない。理解しているとすればそれは能力を付与した使徒自身だけ——自分たちはただその利用法をマスターすればいいのだ。

 少なくとも紗綺はそう考えている。


 紗綺はわずかに息を吸って気を鎮めた。

 立ち上った紅い炎は体に吸われていくように静かに消えて見えなくなった。

 少年に言ったことは事実だ。だが少々誇張はある。この能力はそう簡単に使いこなせるものではない。

 まず肉体への負荷に絶えられるだけの基礎体力が必要になる。更にこれを自在に使いこなすために血の滲むような特訓を要する。はじめは能力を発動させるのにも精根を使い果たす。

 指先にわずかな炎が起こるのを、いま紗綺がやったように腕まで巡らすのに通常は半年ばかりの時を要する。


 尤も——

 紗綺はひと月もしないうちにここまで《冥浄力》を使いこなすようになった。

 後ろのふたりも似たようなものだ。

 恐らくこのレベルまで《冥浄力》を使いこなせるのはこの学園に数十人程度だろう。つまりは化物を倒すのは到底容易なこととは言えない。

 だが紗綺はそこまで説明するつもりはなかった。

 島で暮らす少年を不安にさせたくない。

 果たして少年は血色を取り戻した。紗綺を見上げる目は輝いているようにさえ見える。

 どうやら紗綺の言葉に安心してくれたようだ。

「よし、行こう」

 少年を背に、紗綺は猫工場に向けて歩き出した。

 竜巻と村雲がそれに続く。


 

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