第二幕 新任教師と劣等生 ②
「有力者?」
沙垣先達の鸚鵡返しに、新任教師が頷く。
「ああ。そいつに会って生徒を授業に来させる。何も悪ガキひとりずつ攻略する必要なんかないからな。およそ古今東西子供ってのはお山の大将に右に倣えってもんと相場が決まってる。そいつさえ味方に付ければ他の連中も付いてくるだろ」
——目の前にいるのもその『子供』のひとりなんだけど……
堂々とそんな大人の悪知恵を開陳していいのだろうか。
まぁ、先達はボイコットに参加してない。それで彼の勘定から外されたのかもしれない。
「言いたいことは分かりますが……ちょぉっとそれは、難しいんじゃないかと……」
「どういうことだ?」
「一番の有力者は生徒会のトップ、生徒会長でしょうね」
「それは誰だ?」
「彼女です」
先達は名簿を開き、ある頁を指さした。
【
「……何だこいつは?」
教師が眉を寄せて呟いた。
無理もない。誰が見ても彼女は異常、或いは異質な存在だった。
単に名前が奇抜なだけじゃない。
そこにある顔写真の少女はとても鴉羽学園の学生に見えない煌びやかなドレスを身に纏い、日傘を差し、孔雀の羽根飾りを付けた透き通るような青い髪を靡かせている。
顔立ちはよく見ると美人だがまるで小麦粉にダイブしたみたいに白い。
そして顎を上げ、どこか人を小馬鹿にしたような表情がなけなしの好印象をドブの底に叩きつけている。
しかしこれが、この鴉羽学園の生徒会長。
この学園の生徒における頂点なのである。
「彼女はとても説得に応じるような人ではありません。何ならボイコット問題の元凶みたいなもんですから」
「それはどういう……ん、
名簿を見下ろしていた康峰が気付いたように顔を上げた。
先達は頷く。
「ええ。彼女は《
この鴉羽学園を創設し、禍鵺に対抗する力を生徒に与えたのは《使徒》だ。
だが使徒は絶対的に数が少ない。いくら人知を超えた能力を持とうと、大勢の人間を統率するには限度がある。
そこで彼らの手足となって動くのが天代守護だ。
天代守護は使徒と人類の中継ぎのような立場であり、同時に特殊な事情を抱える四方闇島の警察的な役割も果たしていた。
そしてこの天代守護を作ったのが天代弥栄美恵神楽家だった。
もともとは天代家という割とどこにでもある小企業を経営する家だった。しかし当主が早い時期に使徒に目を付け、彼らを身内に取り込むことに莫大な投資を行った。
取り込まれた使徒が様々な開発や研究を行い、結果天代家は巨大な資産を築いた。
「妙だな。どうしてそんなお嬢様がこの学園にいる?」
康峰が不審そうに言うのも無理はない。
通常この学園の生徒は先達をはじめ《ワケあり》しかいない。そんななかでお金持ちのお嬢様の存在は浮きに浮いていた。
「自分では『天代守護当主の家の責務を果たすため』みたいに言ってますが……本当のところはどうか。同じ学園の生徒でも僕らとは住む世界が違いますからね」
ともかく彼女は入学してすぐ生徒会長の席に着くや、好き勝手し出した。
そのうち生徒会自体が腐敗していった。
教師や一般生徒は彼女に口出しできない。
「なるほど……で、使徒の息がかかってる以上、こいつをすげかえるのも難しい、ってとこか」
「ええ。よく分かりましたね」
「どこにでもそういうのはあるからな。まぁ、それなら君の言う通りこの女はパスしたほうがよさそうだ」
「それが賢明だと思います」
「にしても、生徒のトップたる生徒会長が諸悪の根源とはなぁ。思っていたが、よくこれで禍鵺に潰されずに持ち堪えてるな、この学園は?」
「まぁ、頑張ってくれてる生徒もいますから。特に——《赤色生徒会》は」
「赤色生徒会?」
訝しそうに眼を上げる康峰。
先達は頭を掻いた。
「そうか、まだその辺の事情も知らないんですね」
「どういうことだ? 生徒会はさっき言ったヤツじゃないのか?」
「それがその……この学園にはいま、《青色生徒会》と《赤色生徒会》のふたつがあるんです」
「ふたつの生徒会?」
「ええ。さっきのお嬢様が正式な生徒会の青色生徒会長ですが、いま言った通りの酷い有様なので……それを見かねて怒った生徒がもうひとつの生徒会を立ち上げました。それが通称赤色生徒会。そして彼女がその会長」
先達は生徒名簿のある頁を指した。
「間違いなくこの学園イチの《人気者》です」
【
そこには凛とした眼差しを向ける少女の顔写真が載っている。
何度も学園で見かけている先達でも改めて見惚れる美しさだった。
ただ単純に顔付きだけの話ではない。
腰まで伸びた一本一本が工芸品のような艶やかで緋色の髪。
まっすぐ伸びた背筋。相手が誰だろうと正面から相手を見据える静かで力強い視線。
そして禍鵺を恐れず凛として闘うその姿——そうした要素のすべてが彼女の美しさを引き立てていた。
男女問わず学園内で一番の《人気者》になるのも当然と思えた。
「成績優秀で容姿端麗、それに大勢の生徒から好かれてる。彼女の言うことなら大抵の生徒は聞くと思いますよ」
「ふぅん。じゃ、会うならこいつかな」
だが、新任教師の反応は拍子抜けするくらい淡泊だった。
——もう少し驚いたり見惚れたりするかと思ったのに……
枯れてるのかな——と思ったが、流石に失礼かと思って黙っていた。
「しかしひとつの学園にふたつの生徒会か……学園はよくそれを認めたな?」
「まぁ、それだけ学園側にとっても生徒会、つまりここでは青色生徒会ですが、その振る舞いが目に余るものだったんでしょう。それに紅緋絽纐纈さんは『特別』ですから」
「特別?」
彼女は《ワケあり》の生徒のなかでも特殊だ。
噂では、彼女だけは志願してこの学園に来たという。
そして名家の出である彼女は数十年にひとりの逸材。先達と同じ十五歳でありながらその戦士としての資質は申し分ない。
彼女のやることなら多少は学園も目を瞑る。
——同時に、お金持ちのお嬢様である舞鳳鷺にとって唯一の「邪魔者」でもある。
「何にせよ、先生も生徒会の争いには巻き込まれないよう注意したほうがいいですよ」
「巻き込まれるなって……」
康峰がごほっ、と血を吐きそうな咳をした。
「無理に決まってるだろ。俺は教師だぞ? しかも不登校の生徒どもを授業に引きずり出さなきゃならん。どう考えても巻き込まれる将来しか見えねえよ」
「でしょうね……」
先達もそう思う。
それだけに目の前のこの男は気の毒だった。
「この学園は知れば知るほどヤバいないな。お前もよくこんなところにいられるよ」
「まぁ……あっ、ちょうどその頁に載ってる人なんて、一番生徒会からマークされてる要注意人物ですね」
先達が指さした先を、康峰が目で追った。
【
顔写真には撮影者がたまたま親の仇だったかのように険悪な目つきでこっちを睨んで来る少年が映っている。
灰色の短髪をバックにし、額から右頬まで続く傷跡を隠そうともしない。かつて禍鵺との戦闘で負ったという傷らしいが、それが泣く子もチビらせそうな凶悪な印象に拍車をかけている。
「いかにもヤバそうな顔つきだが、こいつは何かしたのか?」
「人殺しです」
「ごほっ、げほっ」
「だ、大丈夫ですか?」
「いきなり噴き出すようなことを言うなよ。俺は驚かされたり大声で笑ったりすると心臓が痛むんだ。取り扱いは慎重にしてくれ」
「そうだったんですか……それでさっきキモ——いやその、個性的な笑い方をしてたんですね」
「気持ち悪い笑い方で悪かったな」
「言い直したじゃないですか!」
「ほぼ言ってたよ。……まぁそんなことはいいとして、なに、人殺し? そんな奴普通に学園にいちゃダメだろ。逮捕だ逮捕。というかそれ本当か?」
「分かりません……ただ本人もそう言ってます。彼自身学園に来ないどころかここ数か月は学生寮からも出ていて、いまはどこに住んでるのかも分かりません。そういう意味じゃ会えるとラッキーですね」
「ツチノコじゃないんだよ。要するに噂が独り歩きしてるだけじゃないのか?」
「さぁ、そこまでは……」
康峰は首を振りながら、頁を捲った。
気持ちを切り替えるように声を上げる。
「ま、そんな危険人物は一回忘れよう。何にせよ最初に会うのはええと、赤色生徒会の紅緋絽纐纈紗綺とやらだな。こいつを呼び出してくれ」
「えっ、僕がですか?」
「そのくらいいいだろ?」
「まぁそれは……」
「ちょっと話を聞くだけだ——ああ」
康峰は不意に何かを思い出したかのように生徒名簿を置き、先達に向き直った。
何かと思って見ていると、ぱちん、と両手を合わせ頭を下げる。
「——頼むよ」
「……ここぞとばかりにやらないでください」
「何だよ。いいじゃないか。人の頼みが聞けるのは長所だと思うぞ」
「欠点の間違いでしょう……」
おかしい。
さっき確かに断ったはずなのに結局手伝わされる雰囲気になっている。
これって結局——とことん手伝わされる流れなんじゃ……
こっそり溜息を吐く先達をよそに、康峰が白衣の襟元を正す。
どこか不敵な笑みを浮かべた男が言った。
「それじゃ、面談開始と行こうか」
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