第二幕 新任教師と劣等生 ①
「そういうわけで、俺はお前に会った。後は知っての通りだ」
「はぁ……」
沙垣先達はそう答える他ない。
ここは鴉羽学園の食堂。
目の前では昨夜死体安置室で助けた男がイワシ饂飩を食べている。イワシが唯一の特産品と言っていいこの四方闇島の名物料理だ。正直あまり美味しくはないが安いので注文する生徒も多い。
まぁそんなことは置いといて——
昨夜この男を救出したのち、行き掛かり上、生徒会に連絡したり病院まで付き添ったりするハメになってしまった。
いまこうして男の昼食に付き合っているのも、その延長線上だ。
先達は黙って饂飩を啜る男を観察する。
男はいまは白衣を身に纏っている。さっき先達が調達してきた物だ。
スーツが泥まみれになり、他にちょうどいい服がないというので校舎内にあった適当な物を引っ張り出して彼に渡した。
本人は「なかなか教師らしい」と思いのほか喜んでくれたが。
——正直、教師って言うより……
入院患者みたいに見える。
いや、もっと言うと死に装束だろうか。
——とは流石に言わないけど。
「体はもう大丈夫なんですか?」
一応先達は訊いた。
「ああ。しばらくコイツの世話だけどな」
新任教師は横に寝かせてある松葉杖に顎をしゃくって言った。
「お前さんは命の恩人だ、ありがとうな。ええと……名前は聞いたっけ?」
「沙垣先達です」
「そうか。個性的でいい名前だな」
「はぁ」
あまり言われたことはない。
男が何だか嫌そうに眉を寄せた。箸の先で饂飩に混じったイワシを抓んで避ける。
食堂は閑散として、彼の麺を啜る音以外は職員のおばちゃんの食器を洗ったり歩き回ったりする音しか聞こえない。
生徒が学園に反旗を翻す以前はもっと活気があったものだが、いまや廃業間際の飲食店状態だ。
「それで、ええと……挫け藻掻き先生?」
「軛殯だ。
「す、すみません……」
「ふん、いいさ。よくあることだ」
教師はそう言ってから水を飲むと、口角を釣り上げて不敵な笑みを浮かべた。
「覚え方を教えといてやるよ。『クビキ』『モガリ』じゃない。『クビ』『キモ』『ガリ』だ。クビになってばかりでキモくてガリガリ、どうだ、俺にぴったりで覚えやすいだろう? ふ、ふふ……」
自嘲するように低い声で笑う。
せめて大口を開けて笑ってくれればまだ爽やかだが、まるで地の底から響くようなぞっとする笑い方をする。そんなことを言われてもどうリアクションを取っていいか分からない。「そうですね」とでも言えばいいのか。
軛殯という上の名前もアレだが、康峰という下の名前も何だか相当皮肉だ。
いまにも死にそう——と言うか昨日仮死状態になった男が、よりによって健康の頂点みたいな名をしている。
ここまで皮肉に富んでいれば笑うしかないのかもしれない。
——もしかしたら。
これは関わってはいけない相手じゃないか?
今更ながらそんな気がしてきた。
どうせ厄介ごとになるに違いない。
「なぁ沙垣君、命を拾ったついでに俺の手助けをする気はないか?」
——ほら来た。
別に具体的な予想があるわけではない。
ただ経験がある。先達はこの手の厄介ごとに巻き込まれやすいのだ。
いままで生徒会や教師、或いは他の生徒からでさえ、どれだけ面倒ごとを押し付けられてきたことか。
先達は人の頼みを断るのが苦手だ。そしてそんな自分の性質を周囲の人間は目ざとく見抜くのか、厄介ごとに巻き込んでくる。いい迷惑だ。
「鬼頭先生の話ではいまこの学園の生徒はボイコットしてるそうだな。このままじゃ俺はクビになる。そうならないために生徒どもを授業に出さなきゃならん」
承諾したわけでもないのにもう勝手に話し出している。
「しかし俺はこの島に来たばかりで島のことも学園のことも分からない。だから案内役がほしい。……後は分かるな?」
「ちょ、ちょっと忙しくて……」
先達はなるべく忙しそう(?)に言った。
「何か用事でもあるのか?」
「そりゃ戦闘訓練もありますし、他にもいろいろと……結露落とし、とか」
「結露落とし?」
「知りませんか? この島ではこの通りいつも深い霧が出てるでしょう。この霧が窓や扉に結露を作る。ほっといたらそこらじゅうカビだらけですよ。だから結露を拭き取る作業が必要なんです。僕はその担当でして」
これは満更嘘ではない。
実際結露落としは先達の日課だった。
もちろん鴉羽学園の生徒みんながこれを担当しているわけではない。日々訓練・巡回がある戦士たちにそんな猶予はない。
猶予があるのは先達のような——いわば劣等生くらいだ。
つまりこの学園でこの役割を任されるのは『戦力外通告』に等しい。
——まぁ、化物に殺される心配はないけど……
自分の実力を考えればこれは妥当な扱いだ。だから先達はこの仕事を黙々とこなしている。
そこまで重労働ってわけでもないし。
「ふぅん、それはお前ひとりがやってるのか?」
「まぁ、いまはそうですね……」
「なんで?」
「みんな忙しくて、何かと……」
「なるほど」
新任教師はにやりと頬を歪めた。
「お前は頼みごとを断るのが下手なんだな?」
——まずい。
一瞬で急所を看破された。
流石腐っても(深い意味はない)大人は観察力が鋭いということか。ただ単に僕の弱点がモロ出しということはないはずだ。きっと。
「そ、そんなことはないですよ! 先生の手伝いもしませんから!」
「この通りだ」
ぱちん、と音を立てて康峰が手を合わせる。わざとらしいくらい深々と頭を下げた。
食堂のおばちゃんが何だろうという目でこっちを見る。
「……僕に何のメリットもありませんから」
先達は努めて冷たく言った。
「メリット?」
「ええ」
「袖すり合うも他生の縁って言葉を知らないか?」
「あいにく……」
「ふむ。つまりは俺たちは別の人間だ、お前を手伝っても何の利益も見込めない以上指一本動かす気はない。そう言いたいんだな?」
——そこまで言った覚えはないけど……
康峰は箸を右手と左手で一本ずつ持つ。それを饂飩の上でクロスさせた。
「俺とお前は確かに別の人間だ。いくら言葉の上で通じ合っても分かり合えない部分はある。だが、こうして重なる部分も出てくる。……人の手助けをすることで自分にとっても意味のある結果が産まれることもあると思わないか?」
「ええと……要するに、手伝うと何かお礼をする、と言ってるんですか?」
「まぁそう言えなくもない」
ずいぶん遠回りな——と言うか、まるで問題を出すみたいな言い方をする人だ。
「そんな煙に巻くような言い方じゃ何も分かりませんよ。もう少し分かりやすい言い方をしてくれないと」
「まぁそう言うなよ、俺とお前は出会って間もない。俺がお前の役に立つと保証するにはあまりにもお互いの情報を共有してないと思わないか?」
そう言って彼はにやりと笑った。
——やっぱり変な人だ。
先達は思いを新たにする。
どうやら彼は先達がいままでに会ったことのない人種らしい。
もしかしたら彼を手伝っていればこの学園の現状も変わるかもしれない。
先達だってこの状況は何とかすべきだと思っている。生徒会は腐敗し、大勢の生徒は禍鵺との戦闘を放棄しているのだ。
こんな状況は絶対よくない——と思う。
多分。
先達は立ち上がりながら言った。
「じゃあ僕はこの辺で失礼しますね。お大事に」
「っておいおい! 待て待て!」
立ち去ろうとする先達の軍服の袖を慌てて康峰が掴んだ。
「この流れで解散か? 最近の若者はそこまでドライなのか?」
「それはそれ、これはこれなんで……」
「分かった、無理にとは言わない。だがせめてもうちょっと詳しくこの学園について教えてくれ。何せ俺はお前以外の生徒の顔さえ知らないんだからな」
白衣から伸びる腕は驚くほど細い。最弱の昆虫ガガンボを思い出す。流石に彼の腕はそう簡単に千切れないとは思うけど。
仕方なく再び席に就く。
「よかった。助かるよ、先達君」
そう言うと康峰は懐からおもむろに黒い冊子を取り出した。
見覚えがある。
生徒名簿だ。
そこには簡単な生徒の紹介と顔写真が載っている。
その生徒名簿をテーブルに置くと、康峰は指先でコツコツと叩く。
「教えてくれ先達君、この学園で一番の《有力者》は誰だ?」
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