第一幕 新任教師、死ぬ ⑤

 


「まま、禍鵺が?」

 康峰は耳を疑った。

 いくらここが奴らとの戦闘の最前線でも、こんなすぐ現れるなんて想定外だ。まさか就任早々こんな事態に出くわすとは。何なら就任すらしていない。


「まぁ、とはいっても心配には及びません。そう珍しいことではない」

「いや余計心配ですよ」

「第三級はあくまで要警戒を告げるもの。悪戯、誤報の場合も度々ある。ともかく私は確認に向かわねばならん。先生は安全な場所に退避しておいてください」


 そう言った鬼頭は既にその巨体を翻していた。

 走り出しながら首だけをこっちに向けて言う。

「ああそれと、この島には最近殺人鬼が出ます。日没後はくれぐれも外出されないよう——では」

「ちょちょちょ、ちょっと待った!」

 走り去ろうとした鬼頭の肩を、康峰は慌てて止めた。全力で。

「いまなんて言いました? 途轍もなく聞き捨てならない単語が耳に入った気がしましたが? 殺人鬼? そんな重要な話を野良猫注意のテンションで言われても無視できませんよ!」

「そ、それもそうですな。失礼した」


 鬼頭が金属の腕で頭を掻きつつこっちに向き直る。

「実は三か月近く以前から、島内に正体不明の通り魔が現れるようになりました。そいつは黒いヘルメットにスーツを着て、金属バットを振り回し通行人を襲う。既に何人もの島民が犠牲になっているが未だ我々はその足取りを掴めていない。全身黒で包んだ姿に、夜道に現れることから《殺人バット》と呼ばれています」

 BATコウモリと呼ぶにはあまりに可愛げのないプロフィールだった。


「目撃証言によると筋骨隆々の大男だっただの、華奢な女性のようだっただの、定かでない。いずれにせよ禍鵺に匹敵する危険な存在です。くれぐれも用心されたい」

 まるで一種の都市伝説だ。まさかこんな絶海の孤島に来て都市伝説にまみえるとは。

——生徒が学園に来ない一番の理由はそれじゃないのか……?

 霧のなかから襲ってくる化物より、余程直接的で恐ろしい存在に思えた。

 そんな危険人物がうろついているのに呑気に学園に来る奴のほうがどうかしている。

 だがそれを鬼頭に言っても仕方ない。

 というより、呆れやら疲労やらでもう声を出すのも疲れていた。

 そんな康峰の様子をどう解釈したか、鬼頭は再び廊下の向こうへ走り出しながら言った。

「ともかく詳細は追ってお話しします。では——失礼!」



 禍鵺襲来を告げるサイレンが止んだ。

 ひとり静かになった廊下で、康峰はぽつんと立ち尽くす。

 再び教室のほうに目を遣る。誰一人席に就いていない哀愁漂う無人の教室。

 夕日が射し始めた学び舎にはどこかノスタルジックな寂寥感があった。


「……まぁ、ここにいても仕方ないか」

 呟くと踵を返して廊下を歩き出した。

 しかし、これからどうするか——

 まさかいきなり不登校生徒の説得を任されるとは予想外だ。おまけに島内には人殺しが徘徊しているという。正直言って即刻本土に帰りたい。

 かと言って——

 本土に戻ったところで食い扶持はない。

 次の仕事を見つけるアテもない。

 正直どちらを選んでも綱渡りになるのは目に見えていた。

「ともかく……もう少し様子を見るか」

 そう言って力なく歩き出す。

 これから起居する宿舎に直行することも考えたが、折角なのでもう少し歩いてみることにした。

 サイレンがやむと嘘のように静かになる。本当にこんな静かなところに化物が出るのかと思うほどだ。

 禍鵺が出たかもしれないという報せは気になるが——

「ま、そうそう遭遇することもないだろ……」



——なんて思った自分が迂闊だった。

 それから数十分後、路地で禍鵺に遭遇した康峰は、一度転んで泥まみれになったスーツを嘆く暇もなく走り続けた。

 路地に這入り込んだ康峰を、禍鵺は鉤爪のついた脚を繰り出しながら追い縋ってくる。少しでも脚を緩めれば即串刺しになりそうだった。

 走りながら肺が押し潰されるような痛みを覚える。

 視界は濁っていまにも意識が飛びそうだ。

——まずい。このままでは……

 残り数秒と待たず自分の人生は幕を下ろす。

 絶体絶命の窮地に立たされたとき、路地裏の野良猫だって救世主に見えただろう。

 霧の向こうで背中を見せた少年——鴉羽学園の軍服に身を包んだ特にこれと言って特筆すべき特徴もないその人影は、まさにそういう存在だった。


「たっ、助けてくれぇ!」


 咄嗟に康峰は叫んだ。

 少年が振り返ってこっちを見た。目が大きく見開かれる。

——助かった!

 こうなればあいつを身代わりにしてでも……

 そんな康峰の不純な思考を遮るように、背後から禍鵺が勢いを増して襲ってくるのが気配で分かった。

 まずい。

 間に合わない。


「繧Дke☆7——」


 耳元で響く化物の声に、康峰は叫んだ。

「嫌だ、こんな死に方——」

 あまりにも無様な遺言を残す猶予も与えず、化物の脚が唸った。

 康峰はその場に頭から倒れ、激しく胸を打ち付けた。

 ぷつん、と糸が切れるように。

 深い闇のなかへ意識が沈んで行った。


 こんな死に方?

 妙だな。

 俺はなんと言おうとしたのだろう。

 今更俺には。

——そんな資格もないはずなのに。



『ごめんね』


 

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