第一幕 新任教師、死ぬ ④

 


「……で、右手に見えるのが戦闘訓練場。私は日頃あそこで生徒に戦闘のイロハを叩き込んでおります」

 鬼頭員敬が顎で示して説明した。

 康峰と鬼頭は敷地内の駐車場で車を降り、校舎に向かって歩いていた。

 やがて校舎に入り、廊下を歩く。

 いまのところ生徒の姿はひとりも見えない。


「こちらが先生に教鞭を揮ってもらう教室です」

 遂に教室の前まで来て鬼頭は言った。

「……誰もいませんね」

 康峰は言った。

 いよいよこれから自分が教える生徒と顔を合わせるのか、と少なからず身構えていた肩の力が抜けるようだ。

「もしかしてご存知ないのですか?」

 鬼頭が驚いたような目をこっちに向ける。

 途端に康峰の胸に嫌な予感が走り抜けた。

 いや——

——正直、ここに来るまでの間に薄々嫌な予感は覚えていたが。


 何かおかしい。

 校舎に入ったあたりからそんな気配していた。

 何より生徒の姿を見ない。

 教員や事務員らしい姿はちらほら見たが、圧倒的に子供の姿を見ない。


 鬼頭が言い辛そうに口を開く。

「実は……生徒はここにはいない。先生には授業を開く前にやってもらわねばならんことがあるのです」

「……と言うと?」

「先生」

 鬼頭が康峰の肩を正面からがっしり掴んだ。

 ぎょっとする康峰をよそに、鬼頭は言った。


「生徒たちを説得して、授業に引っ張り出してくれませんか?」


「……は?」

「この学園はいま創立以来の危機的状況にあります。まぁその、単刀直入に言ってしまえば、生徒が学園に反旗を翻した。一部の生徒を除き、禍鵺との戦いも放棄し好き放題しております。いわゆるボイコットとでも言うか」

「——寝耳に水です」

 水なんてものじゃない。

 激しい水流で鼓膜が破れそうだ。


——どうせこんなことだろうと思った。

 康峰は内心毒づいた。

 鴉羽学園の教職を斡旋してきた女とは、その後も電話口で何度かやり取りした。資料も送ってもらった。だが学園がそんな状況にあるだなんて聞いてない。

 うっかり忘れるような内容じゃない。

 わざと黙っていたのだろう。

 話せば康峰がこの仕事を降りると思って。


「その、ボイコットの理由は……?」

 だが康峰は比較的早く平常心を取り戻した。

 実際のところこんなことは慣れっこだ。このくらいのことでへこたれていては到底身が持たない。

 仕事をクビになり続けた経験から得た数少ない英知だった。


「そもそも彼らは自らの意思で禍鵺と戦っているわけではない。ご存知の通り彼らは全国から搔き集められた《ワケあり》だ。いままでは我々教師を中心に不満や恐怖を封じ込めてきたが、限界が来たと言わざるを得ない。不甲斐ない話ではありますが……」

「ですが、どうしていまになってボイコットを?」

 鴉羽学園が創設されて約十年。

 確かに生徒が不満を募らせ爆発しても不思議ではない。

 それにしても何か相当なきっかけがなければ起こらないことのように思えて、康峰は訊いた。


 鬼頭が苦しげに眉を寄せる。

「いろいろと複雑な事情があり、一番の原因がこれとは言い難いですが……少なくとも言えるのが、《生徒会》ですな」

「生徒会?」

「正直、いまのこの学園の生徒会は酷い。本来なら生徒会は学園でも指折りの優秀な生徒を集め、他の生徒を指導管理する立場にある。この特殊な学園において彼らは我々教員以上に生徒の道しるべとなる。……だが現在の彼らは腐敗している。生徒を纏めるどころではないのが実情です」

「……なるほど」

「このままでは学園が崩壊し、禍鵺との前線基地としての意義を維持できなくなる。最早時間の猶予はない。だから——」

 鬼頭は再び康峰の両目を見据える。

「先生にお願いしたいのです。生徒たちに学園へ戻るよう説得してくれませんか?」

「な、なぜ私が……?」


 無茶振りもいいところだ。

 そんな話は聞いてないし、康峰にそんなノウハウも経験もない。

 第一いまの話だとそれは途轍もなく危険だ。

 相手は子供でも日々化物と戦う訓練を積んだ戦士である。ただの子供とはワケが違う。康峰などデコピンで即死させられる自信がある。

——それくらい見ればわかるだろうに、この男は自分に何を期待しているんだ?

 そんな康峰の胸中を察したように、鬼頭は言った。

「私も生徒を学園に来させるためにいろいろ試みた。ときに力づくも試したがそれでも無理だった。だが貴方なら、何か我々と違う方法で生徒たちのこころを動かせるかもしれない」

 康峰はどうやら自分が『藁』になったらしいと気付いた。

「そう言われても……」

「出来なければ貴方に仕事はありませんが」

「それはつまり」

 ごくりと康峰は唾を飲み込んだ。

「クビ、ということですか?」

「そういう言い方もできますな」

——それ以外の言い方がないだろ。


 そのとき、急にけたたましい音が康峰の耳を劈いた。

 まるで得体の知れない怪物が悲鳴を轟かせたかのような——それが校舎内を響き渡るサイレンの音と気付くまでに数秒かかった。

 鬼頭がうえを見上げる。

「むっ。これはいかん。まずい事態だ」

「何の音です?」

「これは第三級警戒事態を告げる警報です」

「第三級?」

「ええ。恐らく島内のどこかで禍鵺が出没した」


 

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