第一幕 新任教師、死ぬ ③
使徒。
彼らが初めて世間にその存在を見せたのは数十年前だろうか。尤も『使徒』という呼称が人口に膾炙したのはもっと最近だ。
彼らの容姿は普通の人間とそう変わらない。
だが特殊な能力を持っていた。
人のこころを見通す者。
未来を予見する者。
或いは猛獣を凌ぐほどに筋力を強化できる者——
そんな特異な存在に、次第に世界が注目して行ったのは当然の帰結だ。
なかには空を飛翔する者もいたとか、自在に他人の精神や記憶を操ることもできたとか、水をワインに変えることもできたらいいのにとか、眉唾物の夢想流言も飛び交ったが、それも無理がないと思えるほどに彼らの能力は人智を凌駕していた。
それが使徒。
そして人類の希望であり、悲劇の引き金だった。
使徒という呼称は彼ら自身好んでこう呼ぶようになったらしい。その呼称には自分たちはあくまで神ではないというメッセージが込められている。
だが——彼ら自身がその存在をどう思おうと、人間は神輿を担ぎたがる生き物だ。その存在が最終的に戦争の引き金となったのも、無理ない宿命のように思えた。
使徒が大企業を動かしたり政府に招聘されたりし出した頃から、使徒に世界を牛耳られることを危惧し、彼らを排除しようとする動きが現れた。一方で彼らを庇護下に置き、その異能を利用し金儲けしようと目論む勢力もいる。
やがて内乱が起きた。
そして勝ったのは。
言うまでもなく、使徒を擁護する側だ。
「どう思う——とは?」
康峰は慎重に言葉を選んだ。
「なに、そのままの意味ですよ。率直な先生のご意見を聞きたいと思ったまでです」
康峰は鬼頭の横顔をじっと見た。
鬼頭は信号機を見たまま視線を動かさない。
霧の合間を縫って子供や老人が横断歩道を渡っていた。
康峰は少し考えてから言った。
「特別な感情はありませんよ。何せ彼らは雲の上の存在。私ごときが四の五の言える立場にないんですから。そもそも私のような一般人は彼らの顔も名前も住所も知らない。そんな相手に怒りも妬みも好き嫌いもありませんよ」
「それだけですか?」
鬼頭はいささか不満そうである。
「まぁ、使徒が与える特殊な力とやらのお蔭で禍鵺と戦えてる。その点では感謝してますね」
実のところ、禍鵺と対抗できているのは使徒のお蔭だ。
内乱後に突如としてここ四方闇島から現れた禍鵺は、疲弊した人々を容赦なく葬った。軍には化物に対処する余力はなかった。
そこで使徒が前線に立ち、その超能力じみた力で奴らを撃退したのだ。本土まで侵攻した禍鵺が四方闇島に封殺されたのは使徒の功績に他ならない。
そして禍鵺の発生地がこの島であると突き止めた使徒は、鴉羽学園を築いた。
使徒が生徒を含め一般人の前に姿を現すことはなくても、実質的にこの学園は彼らが運営していると言っていい。
鬼頭が《支配者》と言ったのはそういう意味だろう。
「私は奴らが嫌いです」
おもむろに鬼頭は言う。
「だってそうでしょう。確かに彼らのお蔭で我々はあの化物どもと戦えるが、それなら使徒自ら前線に立って戦えば済むことだ。裏でコソコソと隠れて子供たちに武器を配って、自分たちは安全な高いところから見物している。厳重な警備をされてね。私にはそれが我慢ならない」
「……それは彼らだって無敵じゃないし、まずは自分たちの身の安全を図るのは不思議なことじゃないのでは? それに使徒は人間と比べて圧倒的に数が少ない。人類の立場から言っても彼らを囲っておくのは賢い戦略と思えますが……」
使徒の秘密主義は徹底していると言っていい。彼らの顔や住所、名前を一般人は知らない。
それだけに世間から見れば正体不明の不気味な存在に映るのはやむなきことだった。
鬼頭はこくこくと頷いた。
「分かっております。いわば彼らは人類の頭脳、頭を失ってはどれだけ頑健な肉体もガラクタに過ぎない。だから、彼らのやり方が正しいのは分かっとるんです。それでも——いけ好かない、という思いは変わらない」
「それはまぁ……」
「だが生徒の前ではそれは言えない。あくまで使徒を信頼し敬重する姿勢を貫かねばならん。それが、この学園で教師をやるうえで一番大事なことと言ってもいいと思っております。先生にもそれを分かってほしかった」
康峰は正面を見たまま頷く。
「分かっていますよ。私もそのつもりです」
「それはよかった。まぁ、私の個人的な見解など忘れてください。ちょっと誰にも言えないことだったのでね」
「構いませんよ。別に忘れなくても」
「そうですか」
それはよかった、と呟くように言って鬼頭はアクセルを踏んだ。
信号は青に変わっていた。車が重々しい排気音とともに走り出す。
車は間もなく鴉羽学園の敷地に入ろうとしていた。
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