第一幕 新任教師、死ぬ ②

 


「新任教師の方ですかな?」


 四方闇島東端にあるフェリー乗り場。

 数時間——と思ったが、実際には数十分の航海を経てようやく康峰はここに辿り着いた。

 まだ船の揺れが体から抜けないのを座って堪えていると、後ろから声を掛けられる。雷鳴のようなよく響く声だった。

 振り返って声の主を見る。

 ぎょっとした。

 そこにいたのは康峰より頭ひとつぶんは大きく、そして体重は倍以上ありそうな分厚い筋肉の持ち主だった。

 おまけに肌は赤銅色によく灼け、角刈りの髪の両脇がミミズクの羽角うかくのように靡いている。見ようによっては角にも見える。

——この島には鬼もいたのか。

 そんな失礼なことを思ったのもあながち無理はないだろう。


「え、ええ。貴方は?」

 大男は頷くと、がしゃりという金属音と共に右手を差し出してきた。

「初めまして。鴉羽学園戦闘指導教官、鬼頭きとう員敬かずたかです」

 康峰は握手を返そうとして止まった。

 鬼頭の右腕は肩まで煌びやかな金属でできている。

 義手だ。金属音はこの腕によるものだった。

——鬼に金棒。

 また失礼な思いが脳裏を過った。


「よ、よろしくお願いします……軛殯康峰です」

「なかなか個性的な名前ですな」

「よく言われます」

「流石、一般教科を担うだけある。名前からも風格が漂いますな。私などアタマのほうはからっきしですから、案内役を任されて正直緊張しております」

「いやそんな、お気遣いなく」

 こっちは緊張どころか心臓が張り裂けそうである。


 鴉羽学園には当然戦闘訓練や戦術を指南する教師——教官と言うべきか、もいる。

 確認するまでもなく、この筋骨隆々の鬼瓦はその担当だろう。

 普通の学校なら体育教師や生徒指導員といったところだが、この学園ではそんな生温い者では務まらないのかもしれない。


「何にせよようこそ四方闇島、鴉羽学園へ。これから何かと大変でしょうが、何でも頼ってください。私にできることならお手伝いしましょう」

「それはどうも助かおえええぇぇっ」

「大丈夫ですか?」

 心配する鬼頭を康峰は手で制してカクカクと頷く。

 荒波の如く押し寄せる嘔吐感を辛くも飲み込んだ。

 気分を紛らわすように周囲を見渡す。

 聞いていた通り四方闇島は深い霧に覆われている。

 だが鬼頭をはじめそこらにいる港の職員、漁師らしい人、島民らしい老人などはまるで意に介する様子もない。

 彼らにはこれが日常なのだろう。


 四方闇島はその面積のほとんどを山と森に覆われ、本土にはいない動物や昆虫が多数生息する自然豊かな島だ。

 かつては数万人が住んでいた時期もあったが、禍鵺出現によって人口は激減した。

 当然のことだが若者は大抵島を出てしまった。老人や病人だけを残したこの島にやってきたのは鴉羽学園とその関係者ということだ。


「ここはいい島ですよ。自然は豊かで料理もうまい。いずれ気に入ってくださるとよいのですが」

 鬼頭が港のほうを振り仰ぎながらしみじみと言う。

 いい島なわけがあるか。ここはバケモノがはびこる絶海の孤島だぞ。

 内心そう思ったが言えばチョークスリーパーでも掛けられるのではと思い黙っていた。


 霧のなかを小刻みに甲高い音が響く。

 最初はどこかで大工工事でもしている音かと思ったがどうにも鳥の声らしい。

「あれは?」

「ああ、ヨタカですな」

「ヨタカ? こんな時間に?」

「濃霧の所為ですよ。この島では昼間でもフクロウもヨタカも鳴くし、夜中でもスズメやハトが囀る。時間を選ばず霧によって暗くなったり明るくなったりする影響で体内時計が狂ってしまったんでしょう。可哀相に」

「はぁ……」

 また別の鳴き声が聞こえる。

 今度は隙間風のような、口笛のような、不気味に間延びした声だ。

 何だかあの世から誰かが呼んでいるような響きにも聞こえて、思わず身震いする。

「さっきとは違う鳥ですね」

「あれはトラツグミ。もっと森のほうへ行けば聞けますよ」

——別に聞きたいわけではないんだが。

 むしろ一刻も早く耳を塞ぎたい。これからあの鳴き声と共同生活をしなければならないかと思うとうんざりだ。

「では学園まで案内しましょう」

 その鬼頭の言葉に従い、康峰たちは歩き出した。



 鬼頭の運転する車が発進した。康峰は助手席に座っている。

 車道を走る車は多くない。だがスピードは出さなかった。車道といえどもこの島では薄く霧が立ち込めて非常に視界が悪い。車両のライトで照らしてもそこまでよくは見えない。時折ライトに照らされて車両や歩行者が浮かび上がる度に康峰は内心ひやりとした。


 鬼頭が金属の手で器用にハンドルを握りつつ話しかけてきた。

「ご存知ですかな? この島は実に海産物が豊かだが、何と言ってもやはりイワシが一番でしてな。是非とも召し上がってもらいたい」

 康峰は再びせり上がってきた吐き気を堪えた。

 イワシは嫌いだ。と言うより魚が全般的に無理だ。あの生臭い臭いを嗅いだだけで嘔吐感がクラウチングスタートを始める。

 ちらりとミラー越しに鬼頭がこっちを見る。

 何かを言うべきか迷っているような仕草だった。

 信号待ちになったところでようやく口火が切られた。

「ところで先生」

「……あっ、はい」

 康峰は『先生』と呼ばれて最初自分のことと気付かず返事が遅れた。

「先生は使徒しとをどう思われますか?」

「使徒——ですか?」

「知らないわけではないでしょう」

 鬼頭は霧の向こうを見つめながら言った。

 その目がわずかに細められる。


「彼らこそ、この鴉羽学園の《支配者》だ」


 

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