chapter9 お嫁さんは勇者様に託されて神馬を駆ける
草葉の陰で、影が揺れる。
ラベンダーの鍬が、荒地に投げ出されていた。もともと、自治領ブロッサムは、帝国との節点。交易の地であり、関所、辺境と言えた。かつては、魔石採掘有数の炭鉱場だったが、現在は掘り尽くして廃坑。大地は、耕作に適さない。
自然厄災に破壊され、廃墟となった自治領は、王国随一の見放された都市に成り下がった。
その土地を、改良しようとアオイ様は言う。
自治領中心地の土は死霊達に汚染されてしまった。その土は固く、鍬を入れるのも困難で。
領館を出れば、湿地帯が続く。【駄苗】と住人達が呼ぶ、稲科の植物で、野鳥か猿ぐらいしか、興味を示さない。この地を立て直すのは、途方もなく骨が折れる。
それでいて、税金の納期が迫る。
父王は、納税ができなければ、領主の資格なしと――そう高らかに領主の除名を宣言することが、目に見えていた。
そのうえで、
この税金問題を何とかしないといけない。そう思うのに。理性が削がれていくのを感じる。
「……だ、ダメです。勇者様」
「そ、そんなこと言わず。ちょっとダケだから」
「だ、ダメ。絶対にダメです。あ、あぁ、アイリス様に見られたら――」
「見られなかったら関係ないよ。ココでしょ?」
「だ、だめ。さ、触らないで。んっ。そ、そこ、だ、ダメですから!」
「ちょっと、だけ。先っぽだけで良いから」
「先っぽって言いながら、前は全部――」
「独特の味だけど、クセになるんだよね。ラベンダーだって、好きって言っていたでしょ?」
「そ、それは。悪くないってだけで。体に負担になるほど、ダメ……んっ」
「じゃぁ、ほどほどに、ね」
アオイ様が手をのばすより先に――私が手をのばした。
「あぁぁぁっ! って、あ、アイリス……?」
驚愕の声。そして、大きく目を見開いて。分かりやすく、冷や汗をたらたらと流している。私は、
▶マスターに、精神的クリティカルヒット。マスターの魔力はまもなく底をつきます。魔力補給をしてください。補給されない場合は、緊急処置としてHPから変換します。
「そういう解説、今いらないから!」
「アオちゃん、ありがとうね」
「だから、アオちゃんて言うのは恥ずかしいから止めて――」
「なにか?」
「……いえ、なんでもありません」
アオイ様が、元の世界で【アオちゃん】と呼ばれていたと知ったのは、つい最近のこと。恐れ多くて、私がアオイ様をちゃん付けすることはあり得ないが、【アオちゃん】呼びに悶絶する、旦那様は眼福だった。
私の旦那様は、本当に可愛い。
「と、とりあえず。魔力が底をつきそうなので、魔法薬をくださいっ」
必死に懇願する、アオイ様に私は首を傾げてみせる。――わざと。
「どうして、ですか?」
「ど、そうしてって……魔力もう、無いから。でも建築も、土壌改善にも。魔力は必要で。だから、その魔法薬を――」
▶18歳以下の魔法薬飲用は、身体に著しい負担をかける他、成長を阻害するおそれがあります。主な症状としては、勃起不全、魔力暴走等。ご使用には十分、ご留意ください。
「生々しい解説、ありがとうねっ!」
やけくそ気味に、アオイ様が憤慨する。
「アオイ様、私じゃダメなんですか?」
そっと、私が覗きこむ。
真っ赤な顔で視線を逸らすが、耳朶まで染まっているのが丸わかりで。
▶まもなく、HPは魔力に転換されます。
「アオイ様?」
「だ、ダメじゃない。ダメじゃないよ。ただ、恥ずかしくて――」
「はい」
満面の笑顔で、私はかがみ込む。
唇と唇が触れた瞬間。
私の脳裏に、文字と数字、記号。情報の渦が流れ込んできた。
――ねぇ、橘君。
女の子が声をかける。
――なに?
――今日もログインするでしょう?
――もちろん。
――死霊王のクエスト、パーティー組めたら良いね。
――レイド戦で、
――そういいながら、アイリスとパーティー組みたいんでしょ?
――そりゃ、杜若だってそうでしょ?
――そりゃ、ね。でも、一番は橘君と一緒に過ごしたわけで。
――何か言った?
――なんでもないっ!
ぐるん、ぐるん。目が回る。
それでも、唇を離したくないと思ってしまって。
キスする毎に、アオイ様の
そんな過去に、嫉妬している私がいた。
■■■
「今度は、何をしているんですか?」
私は、ふらっとして。思わず、アオイ様に抱きしめられる。なんとか、転ばないように、しがみつくように、支えられたという表現の方が正しい。
「……ん。その、なんて言ったら良いか……」
きっと、また呆れられると思ったに違いない。
いや、呆れた。
仮設住宅として、テントを期待していたが、まさか石造りの家をあっさり
――豆腐建築が、納得いかないんだけれどね。絶対、後で作り直すかから!
そうアオイ様は言うが簡素な台所、干し草を敷き詰めたベッド。貴族の屋敷でないとあり得ない、トイレ、風呂に暖炉まで備え付けられるのだから、領民は万歳三唱でお出迎えとなったのだった。
――簡易下水だから。今度、街を上水・下水網を作るからね。
そうアオイ様は意気込む。魔法国家リエルラであれば、魔法の力で汚水を浄水するシステムがあると聞くが、国民以外、門外不出の秘術である。実際、ローズもその術式の全貌は知らないという。アオイ様の言っていることは、夢物語としか思えない。
【東風建築、旅人・創造の勇者アオイ様が建立す】
領民達がアオイ様を讃えるモニュメントを建て、なおさらアオイ様を悶絶させることになる。土魔法を東風の風水と相性が良い。
後に、効率的に再開発が行えると【東風建築式】が世界にムーブメントを起こすことになるが、それはまた別の物語。
「……土の改良が必要なんだけど。規模が大きすぎるから。土壌さえ整えたら、錬金術で腐葉土と、種を改良したら良いかと思って」
錬金術で、品種改良をすることは珍しくはない。ただ、根本となる土が問題なのだ。荒れた土を耕し、均すことまでは魔法はもとより錬金術では不可能だった。
「データベース」
アオイ様が呟く。
「検索」
様々な映像、文字が流れて。旅を共にしたSRV「アイリス号」を彷彿させる、馬無し四輪馬車がカタチ作られていた。
「……これは?」
「トラクター。耕すことも、肥料をまくことも、種を蒔くことがアタッチメント変更で目的別に可能。ついでに瓦礫撤去目的で、ブルドーザーとショベルカーを。それから防衛用のドローンも作ろうと思って――」
「焦らないでください。ちょっと、ずつで大丈夫ですから。それに、魔力切れ起こしちゃいますよ?」
ニッコリ笑って、アオイ様に囁く。
「領民のみんなに、キスしている所を見られたいのなら別ですけど」
「いや、な、な、な、何を言ってるのさ?!」
真っ赤に叫ぶ、アオイ様が可愛い。そう思うのなら無理は少し控えて欲しいと思うけれど、現状はそうもいかない。再開発はまった無しで、アオイ様に頼る以外、今は手段が無い。
でも――幸いにも。私の魔力は無尽蔵で、多少の目まいを感じても、すぐに魔力が溢れかえる。むしろ、ガス抜きするような感覚だった。
自分の動作が、研ぎ澄まされるのを感じる。
例えば、今。ちょっと淀んだ、この感じは――。
『お姉様、結界に侵入した賊を検知しました』
耳元に囁く、ローズの声。
アオイ様が開発した骨伝導式イヤホン。驚くことに無線で伝令を報告し合える。魔法にありがちな、混戦もなく、音はクリアだった。
彼女もまた寮館で、聖女としての労務に従事していた。祈祷、祝福、治療。元領主とともに、術士が逃げ去ってしまったブロッサム自治領で、聖女の存在は貴重と言わざる得ない。
▶ティエルス帝国所属の騎士を確認しました。夜盗に扮しています。
私とアオイ様は目を合わせる。
「行って参りますね」
「ムリしないでね」
アオイ様に、そう声をかけられて、頬が緩む――が、それはこっちのセリフだ。
目を離すと、すぐに無理をする旦那様だ。とっとと、このミッションを終わらせて、旦那沙那にキスしてあげないと――って、私は最近キス魔になっている気がする。集中、集中、ちゅー。違う、集中。
ティエルス帝国は、ブロッサム自治領到着時も、夜盗に扮して王国領土内に侵入していた。混乱に乗してスパイを、ということか。あの時は油断して取り逃がしたが、今度はそんなヘマはしない。
ペコリとお辞儀を一礼。それから、厩舎に並ぶ愛馬へと向かった。
アオイ様の国で、ダビッドソンと言われる機種らしい。
二輪走行で走る機械仕掛けの馬は、最初こそ躊躇したが、平騎士隊――否、ブロッサム騎士団は、誰一人脱落しなかった。貴族組ではこうはいかなかったに違いない。
ダビッドソン――古代語で神馬。まさに、その名が相応しいと思う。
「伝令を確認し、ブロッサム騎士団参集しました」
サザンカの敬礼とともに、軍靴を鳴らす騎士達。結成して、まだ3日――ブロッサム自治領、運営再開から一週間というのに、急ピッチで再開発が進む。税金の納付など、些細な問題のように思えた。
騎士団全員が、骨伝導イヤホンを装着。神馬がうなり上げる爆音も、まるで問題ない。
「全員、騎乗!」
「応っ!」
私の掛け声のもと、全員が騎乗。エンジンを点火させれば、神馬が勝ち鬨をあげるが如く、うなり声を上げた。
「出陣っ!」
ブルンンッ――。
うなり声を上げ、神馬が風の如く、疾った。
________________
※作者注
豆腐建築とは、某ゲームにおいて、まるで豆腐のように四角い形をしたシンプルな建築をすることです。
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