chapter8 勇者様とお嫁さんと賢者様


 こんな馬車は見たことがなかった。流線型のフォルム。車輪は、弾力性のある不可思議な素材でコーティングされていた。窓硝子越し、見える座椅子は機能的で、王城に置かれていたとしても、違和感がなかった。


「乗って!」


 アオイ様の声ではっと我に返る。平騎士達が作ってくれた時間を無駄にするワケにはいかない。促されるまま乗った座席には、まるで大型船の舵輪のような、円形のグリップがあった。


「へ? アオイ様……?」


 ▶オフロード対応四輪駆動SRV「アイリス号」のマニュアルをダウンロードしました。情報酔いにご注意ください。


 青い小鳥が、私の肩に止まる。おびただしい量の情報が、脳裏に直接流れる感覚。思わず、目眩を憶えて――。


(……アイリス号って、アオイ様?!)


 グッと唇を噛む。危うく意識をもっていかれそうになった。猶予は無いのだ。見れば、貴族騎士組と、平騎士組が、衝突している。日頃、、稽古をさぼっている貴族騎士組の劣勢は明かだが、増援が来ればこのパワーバランスはあっさり覆されることは必至だ。悠長に構えている時間はないのだ。


「アオイ様? 運転は私よりも、アオイ様がした方が良いのではないのですか?」


 素朴な疑問を投げれば、アオイ様が切なそうに俯いた。


 ▶PUPUPUPUププププ

 青い小鳥さんが、さえずった。


「笑うなっ!」

「勇者様、誰も笑っていませんが……」


 ラベンダーが首をかしげる。改めて、そうかと納得する。この青い鳥は、アオイ様と私にしか、視えていないのだ。


「アオちゃん、アオイ様をからかっちゃダメですよ?」


 私は、アオイ様と小鳥――アオオちゃんにだけ、聞こえるように囁いた。


「アオ……ちゃん?」

 ▶アオちゃん?


「だって、人工知能AIは、あくまで呼称であって、名前じゃないんでしょう? アオイ様をサポートする、ナビゲートAIなら、アオちゃんが可愛いかな、って」


 膨大な情報量の全てを理解はできなかっったが、多分この解釈で間違っていなあと思う。


「いや、そんな。ちょっと、それは恥ずかしい――」


 ▶AIの呼称を登録しました。私は今日からアオちゃんです。


「お、おい! ちょっと、待って……」

「うん。よろしくね、アオちゃん」


 にっこり笑う。それから、私はアオイ様にクスリと微笑む。


「それから、アオイ様。気にすることはないですからね」

「べ、別に気にしてないし……」

「アクセルに足が届かなくても、アオイ様は私のアオイ様ですからね」

「――だ、だから! 今はそういうことをしている場合じゃないって!」


 ぎゅっと、抱きしめれば、アオイ様は真っ赤な顔で、抵抗してくる。でもね、と思ってしまう。物作りクラフトが得意なアオイ様。騎士団で、体を鍛えた私。軍配がどちらに上がるのか――思わず私は、アオイ様の手首を絡めとって、その頬に唇を寄せる。


(可愛い、かわいすぎです)


 アオイ様も、年相応の男の子なんだと、感じる瞬間だ。

 この年代の子達は、女の子より強くあろうと、自分を大きく見せようとする。貴族組の騎士見習いは、そんな子が多い。アオイ様と、決定的に違うのは、彼らは結論を押しつける。アオイ様は、相談をしてくれる。


 ――アイリス姫。5分だけ、僕に時間をください。

 誰よりも紳士的で。

 そして、その結果。


 このオフロード対応四輪駆動SRV車を完成させたのだから、本当にこの人はすごい。


(後は、私がマニュアル通り、運転できたら……)


 そうシフトレバーを握る。

 どぉん、ッ――。

 車が、大きく震動して。

 そして、駆動音が止まる。


「エンスト? アイリス姫、大丈夫、落ち着いて。もう一回、エンジンをかけて、クラッチを半分――」


 アオイ様が言うことは、頭に入っている。エンジンストップ――エンストは、私が上手くギアを入れることができなかったせいだ。


(練習する時間が欲し――)

 そう思いかけて、自分の頬を打つ。


「お姉様?!」


 ローズ、安心して。ミラー越し、小さく微笑んだ。アオイ様が、その小さい手で、私の頬を撫でる。大丈夫ですから、アオイ様にそう小さく呟いた。


 戦場に出る前に、練習をさせて――そんな戯れ言が通用するはずがない。

 いつだって、剣を構えれば、真剣勝負だ。


 この鉄の塊の運転だって、一緒だ。

 もう一回――。


 そう思った、瞬間。

 閃光が走って、目の前に嵌め込まれた、窓ガラスが割れた。





■■■






「ワイズマン?」


 ローズが、後部座席から唸るような声を上げた。

 勇者パーティーの一人、智恵のワイズマン。魔法国家リエルラからの賓客で、ローズが留学している間は、彼女が私の過剰魔力の対処療法を担っていた。


 今回、自然厄災・死霊王ノーライフキングを討伐した立役者の一人であることは、間違いない。


「少し、お巫山戯ふざけが過ぎたようですね」


 騎士達が、まるで波が引いたように割れる。その中心を、コツンコツンと音を立てて、ワイズマンは歩いた。


「アオイ君、まさか探していた子って、アイリス姫じゃないですよね?」


 まっすぐに、彼女はアオイ様を見る。

 私は、つい最近、同じような視線を見た。


 鏡で。

 焼け付くように、焦げつくように。じれったいと思うくらいに。心焦がれてしまった――私と、同じ視線で。智恵のワイズマンがアオイ様を、そんあな視線で見ていたことに、驚きだった。


「そうだけど。だったら、どうするのさ?」


 アオイ様、そんな風に言ったらダメです――。でも、心の声は届かない。実際に、声にするワケにもいかなかった。


 彼女は、私と同じように、貴方に恋い焦がれていた。それは、その目を見れば、分かる。分かってしまう。


 魔法国家リエルラに所属する賢者だ。彼女が、その気になれば、魔法国家の魔法兵すら動かせる。法皇に近い権力を持っているのが、賢者なのだ。


 智恵のワイズマンは目を細める。

 ブツブツと、何かを呟いていた。


「……ログアウトできないのも、そうだけれど。橘君が、ゲームに入れ込むのもそう。結婚? 全部、納得できないよ――」


 指先をのばす。

 その一点に、光が灯るのが見えた。




 しゅんっ。

 光が凝縮して、束ねられる。



 ▶回避を推奨します。賢者ワイズマンによる【光の裁き】は、HPが全員ゼロが濃厚。戦闘不能になる可能性があります!


 そのアナウンスすら、最後まで聞いていなかった。

 エンジンをかける。


 クラッチに足をかけて。

 シフトレバーを滑らせ――そして、アクセルを踏み込んだ。


 ぎゅるんぎゅるんぎゅるんっ。

 震動とともに、車輪が回転するのを感じる。


「散開っ!」


 ワイズマンが叫ぶや否や、魔法を行使して、その姿を消す。

 時空魔法で、きっと移動したに違いない。


 でも、そんなことを考えている余裕はない。

 ギアを上げて、加速させる。


 騎士団――貴族組は、どう対処して良いか分からず、あたふたしている。

 そんな彼らを轢き殺さないように、留意しながら。ハンドルを回転させる。厩舎の壁に沿うように、回転して――それから、反転させて。壁を突き破った。


「お、お、お姉様っ! スピードがすごいです! もうちょっと、スピードを落として……」

「むしろ、このまま行くから。しっかり掴まっていて!」


 スピードを上げて。王城の壁に沿って走りながら。

 窓ガラスが割れたので、風が直接、叩きつけてきて、目を開けていられな――。


「コーディング」


 アオイ様が呟いた。光が溢れて、私の目元にゴーグルが装着されていた。


「前を見て、きっと行ける!」

「はいっ」


 私はハンドルを切る。


「「いやぁぁっぁぁぁぁっ!」」


 ローズとラベンダーの悲鳴が響く。王城の門が閉まりかけて。サザンカは静かに、十字を切っていた。


 跳ね橋があげられる、その瞬間だった。

 ギアをさらに上げて、加速する。

 門を抜けて。跳ね橋は角度45度。行ける、これなら行ける。さらに加速。下手をすれば、湖に落ちてしまう。でも、アオイ様と一緒なら、バッドエンディングなんか全然、想像できない。


「アイリス、行って! 行けるよ! 絶対に行けるから!」

「はいっ!」


 アオイ様の小さな手が、シフトレバーを握る私の掌に重ねられて。

 その瞬間、車が宙を跳んだ。


 刹那――空白。そして、衝撃が襲う。タイヤが、土を抉るように、街道の土を巻き上げて。それでも、そのまま前進を止めない。


「ウソ?」

 ローズは目を大きく見開いた。


 王城を抜け出した、この異形の鉄の箱は、まるで動じず街道を走り続ける。

 無造作に、砂埃を巻き上げて。


「このまま行こう!」

「はいっ!」


 まるで夜逃げにも近い勇者様への嫁入り。

 月明かりだけに祝福され、ようやく私のセカンドライフが幕を開けたのだった。





■■■




 ▶Next Stage

 ▶自治領ブロッサム

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