chapter3 (system)お嫁さんは勇者様と婚姻を結ぶ



 こんなものなのか。


 ぼーっと文官を説明する様を私は眺めていた。書類を見やる婚約者の表情がうかがえない。父王の意見が未だ、脳裏にこびりつく。


 ――あくまで契約の解除だ。勇者殿とは、あくまで顔合わせ。婚約ではない、そこを勘違いするな。アルトリッチとの関係を蔑ろにするつもりはない。事が済めば、再契約を結び直す。だから案ずるな。


 父王の言い訳がましい弁解は、私の視線を感じたからだろうか。


(……そんなの、詭弁だ)


 私は小さく息をつく。リリー王国では、貴族の顔合わせとは、婚約を前提にしたお披露目を意味する。つまり、婚約とイコールなのだ。経済規模の面からも、アルトリッチ商業連盟はリリー王国を小国とみなしている。


 アルトリッチは、各国の風習はリサーチ済みだろう。あの国が、この小国にこだわる理由は、潤沢に採掘される魔石でしかない。帝国が、魔石の輸出を行っていない以上、唯一の取引先なのだ。


 だけれども、と私は思う。

 経済大国にあまりにもの非礼。


 由緒正しい。伝統と誇り。そんなもので、民の生活を保障できない。一害あって百利なし。それが、どうして分からないのか。


 ――自治領ブロッサムを下賜しよう。

 私は目を大きく見開く。


 今回の、自然災厄・死霊王ノーライフキングで、最初に被害を受けた土地だった。本来はティエルス帝国と接点をもち、交通網が整理された要所。言うなれば、この場所の防衛は帝国対応で重要なカードになる。


 ――あの小僧ではまともな統治など、できないだろう。

 そんなの当たり前だ。


 ブロッサムは、壊滅状態で資源となる人がそもそもいない。父王は援助を行うつもりが毛頭ない。言うなれば、ラッピングされた負債だ。何が、下賜なものか。成果が出せないまま、没収。国領に転換。何かしら言いがかりをつけて、アオイ様の爵位の剥奪。隷属紋を刻んで幽閉――【旅人】からの恩恵を搾取しようというシナリオか。そんなこと……。



〈こんこん〉

ノックの音で、私の思考は中断を余儀なくされた。



「お姉様、私です。ローズです。少しだけ、よろしいでしょうか?」

 妹の声に、私は小さく頷くしかなかった。





■■■





「……婚約の解消をされたのですね」


 テーブルに投げ出された書類が目に飛び込んできたのだろう。隠すつもりの無い私は、コクンと頷いた。


「……あの意気地なしは、本当に」


 なぜか憤慨した様子を見せるローズ。でも、もともとは婚約に本意でなかったダンデライオンだ。

それ以上も以下も無い気がする。元婚約者にとっては、理想的な閉幕だったように思う。


「お話の前に、お姉様。魔力循環を診察します」


 そう言ってローズは、私の首筋に触れる。

 聖女のスキルは数多くあるが、死霊に効果のある【悪霊退散】と並んで注目を浴びるのが、【治癒術】だ。本来であれば、この役を担うのは回復術士である。だが聖女として認定されれば、この限りでは無い。癒やしたい人を癒やす。支えたい人を治せる。それこそが、聖女なのだ。


 ローズがいない三ヶ月は、王家直属の回復術士が担っていた。以前のように、不調を感じないのが不思議だったのだが――。


「あら?」


 ローズが目をぱちくりさせる。


「魔力循環が格段に良い? 何か依り代に……コレが魔力を外に……?」


 つーと、ローズの指が首筋を這って、ネックレスに触れる。思わず、私は妹の手を振り払ってしまった。


「あ――」

「あ、ごめんなさい、ローズ。私、そんなつもりじゃ……」


 動揺して、表情が崩れることを自覚する。夢で良かったの、夢で。ただの夢で。アオイ様が作ってくれたネックレスがあれば、私はそれで良かったの。これがあれば他のことは、いくらでも諦められるのに。それなのに、変な期待を。変に夢を――。


「気してませんわ」


 ローズはにっこりと笑みを溢す。


「なんだか、昔のお姉様が戻ってきてくれたみたい」


 そうクスクス微笑んで。


「今までのお姉様は、王女の役柄を必死に演じていた気がします。全ては、この国のためって。でも、私は魔法国家リエルラで学んで、違和感を感じるようになったんです。女だからと言う理由で、政治に口を出すなとは、おかしな話ではありませんか。果たして、今の彼らに私達ヌキの打開策を打ち立てられますでしょうか? 結局の所は、私とお姉様頼み。こんなの施策でも何でもないと思うのです」


「ローズ……」


 私の言葉に、彼女は口を噤む。ドコで誰が聞き耳を立てているか分からない。それほどまでに王族の言葉というのは、政治を動かしてしまう重さがあるのだ。


「浅慮でした、お姉様」


 しゅんと、俯く。むしろ、私の方がそんなローズを久方ぶりに見た気がした。


「それで、ローズの要件は? 私の【診察】をしに来たワケではないのでしょう?」

「あ、はい……」


 現実に引き戻されて、その表情に翳りを見せる。


「ローズ?」

「婚約破棄されたお姉様に、今いうべきことではないと思うのですが。創造クラフトの勇者アオイ様が、帰国してから意識がなくて。あ、もちろん、私が聖魔法で治療をしているのですが……。一向に回復されず。アオイ様からは、お姉様に、出立前に励ましてくれたと聞いております。お姉様にお声掛けいただくのも、一つかなと思っ――て?」





■■■





 聖魔法を行使するのは、王城併設の礼拝堂。その救護室だ。通常、使われることはないが、リリー王国では私がこんな状態だからこそ、常にローズか回復術士が、稼働している状態だったのだが。

 場所はよく分かっていた。


「お、お姉様! は、はやっ……これが騎士団仕込みの【韋駄天】でしょうか。はやすぎ――」


 ローズの声が後方から聞こえてくる。侍従達が何事かと目を丸くするが、今は構っていられない。


 分かっていることだ。【旅人】は使命を果たしたら、いなくなる。

 そして、また自然厄災が訪れた時、別の【旅人】が来訪する。


 分かっている、分かっている――。


 夢も見た。

 夢を見てしまった。

 あなたの隣で微笑む私を。


 リリー王国第一王女として、ではなく。

 ただのアイリスとして、私を見てくれた貴方だから。

 きっと知らなかったんだと思う。


 私が【怪物姫】と言われていることを。

 平民ですら、操れる魔術を、私は操作できないことを。


 そんな私は、社交界に出る資格はないと。ダンスすら学ばせてもらえなかった。

 貴方が使ったのは、何かの魔法で。


 スムーズに足を踏むことなく。あの短い時間のなか、踊りきった。

 私を女性として扱ってくれた、ただ一人の人。

 その人が、今、目を覚まさない。


(イヤだ――)


 初めて、自分のワガママを吐露した気がする。

 こんな別れはイヤだ。


 私、まだ何も始めていない。

 貴方のこと、何も知らない。自分だってワガママだと思う。でもイヤなの。絶対にイヤなんだ。






 救護室のベッドに、アオイ様が横たわっていた。

 燦々と――というよりは、禍々しいまでに、黄色い光が、彼を包み込む。


▶魔力枯渇状態持続。

▶魔法薬は過剰摂取状態オーバードーズにより代謝できません。

▶代用としてHPを転換。

▶HPは間もなく0です

▶使用できるアイテムはありません。

▶セーブポイントは存在しません

▶ログアウトしますか?


「ログアウトできなかったでしょ?」


 薄ら笑みを浮かべる。


「ログアウトしようとしたら、体力も魔力も根こそぎ持っていったんじゃないか」


 吐いた。それは、血だった。

 私は思わず、息を呑む。


「だれ?」


 アオイ様が呟く。手をのばした。


「見えないんだ」


 その手を私は掴む。その状態は私も憶えがある。アオイ様は魔力枯渇状態。私は、魔力過剰状態。どちらも言えることは、正常な判断や視野認識ができなくなる。私の場合は、全員が敵に思えた。アオイ様は、きっと何も見えていない。その差は、些事でしかないと思う。


 なんとなく理解した。

 聖魔法は、人体の魔力に作用する。でも、魔力が枯渇した人間には、毒でしか無い。


「アオイ様――」

「アイリス姫?」


 声だけで、私を認識してくれた。

 嬉しい。

 本当に嬉しいって、思う。



▶HP0を確認




 アオイ様の体が、紅い光に包まれた。

 まるで、天使が宙へ舞い上がるように。

 光の泡が、アオイ様から飛び立とうとした、その刹那。



 私は衝動的に、アオイ様の小さな唇に、口吻を交わした。

 血の味がする。


 それでも、構わずに。


 はしたない女だと思われても。

 貴方はズルい人です。


 お帰りなさいを言わせること無く、旅立とうというのですか。


 今年、25歳になる。婚期を逃したと散々言われた私に、少女のように恋をさせておきながら。


 アオイ様が手をのばす。


 その指先が、ネックレスに触れて。

 何かが、つながる感じがした。


 流れていく、一体感を感じながら。

 その小さな躰を満たしてあげたい。

 枯れた、その体に甘美な美酒を注いであげたい。

 そんな衝動に、突き動かされて。



 行かせない。

 逝かせない。


 一心にそれだけを思って、唇を啄んで。





■■■




▶ 婚姻が結ばれました。




 どこか遠く。そんな異国語で私達に囁いた気がしたのは――魔力の過干渉が見せる夢だったのかもしれない。

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