5章(5)
マーリンドはメルフェリーゼの髪を掴んだまま、血に塗れた少年たちを見た。不機嫌そうに鼻を鳴らし、顎で他方を指し示す。
「お前たちはもう行ってよい。娘を助けたくば、大人しく去ることだ。分かったな?」
従者の空けた道を、二人がじりじりと後ずさる。その目は少女の背中に張りついたまま、動かない。葛藤が少年たちを支配していることは明白だった。自分たちのために王族の前へ身を投げ出した彼女をどうにか救おうと必死に頭を働かせている。
マーリンドはメルフェリーゼの髪から手を離すと、細すぎる手首を握って彼女を引き起こした。マーリンドの指がぎりぎりと手首に食い込み、メルフェリーゼの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
それでも彼女は二人に向かって、はにかんだ。淡い桃色をした唇が、言葉を探すように迷いながら開かれる。
「行って……ミハイも、ミライも、まだ生きなきゃ」
少年たちがメルフェリーゼに背を向けて駆け出すのと同時に、アウストルは大きな槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。
この歳で、自分の身を犠牲にしてまで幼い子どもを守ろうとすることができるのはなぜなのか。野次馬の大人たちが皆、一様にして目を逸らすのにメルフェリーゼだけはためらいなく飛び込んできて王族に頭を垂れ、許しを乞うた。
それはどれほどの勇気と恐怖に塗れた決意だっただろう。
マーリンドに手首を掴まれたメルフェリーゼの脚は、生まれたての子鹿のように震えている。そばに立っていることさえ怖いだろうに、気丈な言葉で二人の背中を見送ったのだ。
マーリンドの手が、メルフェリーゼの身体を検分するかのように撫で回す。唇を噛み、固く目をつむって耐えている彼女の姿を見て、アウストルは葛藤した。
「お前、月のものは来ているか?」
メルフェリーゼが引きつったような悲鳴を噛み殺し、まっすぐにマーリンドの顔を見つめ返す。
「まだ、来ておりません」
マーリンドの顔に醜悪な笑みが浮かぶ。想像するまでもない。マーリンドは徹底的に彼女を弄ぶつもりだ。そうして壊れたら、路傍に捨てるつもりなのだろう。彼が年端もいかない少女で遊ぶのが好きなことは、城の中ではよく知られている。マーリンドのせいで、若い侍女が何人も使い物にならなくなるまで壊された。城壁の外に捨てられた。アウストルはそれを、黙って見てきた。
この先ずっと、そんなふうに生きていくつもりなのか?
自分の身かわいさに兄に楯突くこともできず、その蛮行を近くで眺め続けて生きていこうというのか?
それが本当に、王族である自分の役目なのか?
アウストルに失うものなど、なにもない。所詮、娼婦の子だ。はじめから王位継承など狙っていない。父であるドゥアオロ王に好かれる必要もない。マーリンドに反抗したところで、首が飛ぶわけでもあるまい。なんたって自分は、娼婦の子でも国王の血を引いているのだから。
マーリンドの手がメルフェリーゼの太ももに這わされた時、アウストルは大股で彼に近づき、その手をひねり上げていた。
「おやめください、兄様」
マーリンドが胡乱な目つきでアウストルを見る。
「なんだ、お前まで邪魔するのか」
「王族による民への蛮行は、国王の顔に泥を塗るようなもの。兄様は父様の権威に傷をつけるおつもりで?」
淡々としたアウストルの物言いに、マーリンドはぐっと息を詰まらせる。上手く反論の言葉が思い浮かばないのか、魚のように口をぱくぱくさせているだけで喉からはなにも引き出てこない。
メルフェリーゼのあからさまにほっとした表情を見て、これでよかったのだと強く思う。
「む、娘の一人どうなろうが、お前の知ったことではないだろう!」
唾を飛ばしながら、マーリンドが反撃する。なるほど、そうきたか。アウストルも頭を回転させ、どうにか兄を捻じ伏せようと策を練る。
「それともなんだ? お前もこの娘を気に入ったのか? 正直に言うのであれば、遊びに混ぜてやってもよいぞ」
「それはいい案ですね」
アウストルはマーリンドの手を振り払うと、メルフェリーゼの細すぎる身体を引き寄せた。腕の中でメルフェリーゼが小さく悲鳴を上げる。じわりと滲み出した涙が薄汚れた頬を伝う。
アウストルはメルフェリーゼを抱きしめたまま、呆けるマーリンドを睨みつけた。
「決めました。この子は俺が娶ります。いくら兄様といえど、嫁に手を出すような男は決して許しません」
マーリンドがまじまじとアウストルの顔を見つめる。そしてアウストルが冗談ではなく、本気でそう言っているのだと見て取ると、豪快な笑い声を上げた。腕の中でメルフェリーゼがびくりと震える。
「お前、ついに気でも狂ったか? そいつは貧民で、まだガキを産めば死にそうな娘だぞ? そんな奴を本気で、お前は嫁に、王族に迎えようと言うのか?」
マーリンドの目をまっすぐに見つめ返し、アウストルはうなずく。誰にも反論はさせない。
これまではずっとドゥアオロ王に敷かれた道を歩いてきた。産まれの時点で劣っているせいで、道を踏み外してはいけないと思っていた。敷かれた道以外に、自分の通れる道はないと思っていた。
しかし、今は違う。これからは、自分で歩く道を決める。たとえそれが兄に歯向かい、国王の意に反することであったとしても。
自分の信じた道を進む。自分の思う、王族らしい道を。蛮行から目を逸らすのはやめる。貧困を仕方のないものだと思うのはやめる。自分の持っている力のすべてで、王族を、この国を変えてみせる。
アウストルにもできることが必ずあるのだと気づかせてくれたのは、紛れもなくメルフェリーゼという名の、一人の少女なのだから。
「お前はなにをしても娼婦の子だ。国王にはなりえない」
それはマーリンドの捨て台詞だった。彼は従者に当たり散らしながら馬車へと引っ込んでいく。
マーリンドの姿が完全に見えなくなってから、アウストルはメルフェリーゼを解放した。腰が抜けたように地面に座り込むメルフェリーゼに視線を合わせてしゃがみこむ。
アウストルは胸につけられたブローチを引きちぎると、メルフェリーゼの小さな手に握らせた。不安げな顔をしてアウストルを見つめるメルフェリーゼに向かい、ぎこちなく唇を歪めて、自分なりの笑顔を見せる。
「君が十八歳になった時――俺は必ず君を迎えに来る」
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