5月 - その1

「ゆづっち、なんか最近ぼーっとしてるよね」

「えっ、そうかな」

「ぜったいそうだよ。なんか、『ペリカンがウサギを丸呑みにしているところを目撃して、驚いて固まっちゃったカニさん』みたいな感じがしてるよー」

 なんじゃそりゃ、と心の中でツッコミを入れつつ、わたしは校舎の渡り廊下で窓の外の景色を眺めていた。

 今日はよく晴れていて、遠くのほうには都心の電波塔が小さく輝いている。

「なんというかね、自分の見たものが信じられなくて……」

「え、もしかしてUFOでも見ちゃったとか」

「いや……」と、わたしは返答しかけて、そして口を閉じた。

 あの日見たあの出来事は、ある意味ではUFO的なものかもしれない。というか、UMA(未確認動物)である。

 しかし、モンスターのほうはさておき、あの魔法使いは何だったのだろう?

 何度もあの夜のことを反芻はんすうしてしまう。しかし、ますます謎は深まるばかり。

 あまりにも不可思議な出来事で、誰にどう打ち明けて良いか分からず、途方に暮れているのであった。

「あー、わかった。さては恋煩こいわずらいかな。やれやれ、ゆづっちもそんな年頃か〜」

「なわけあるかい。ま、シノに話してもしょーがないことだし、それに、夢って可能性もあるしね」

「夢?」

「そ、だから別に、たいしたことないの」

「ふーん」

 シノは納得いっていないようだったが、しぶしぶ頷いた。

 そう、あの夜のことが夢だった、という可能性はある。気がついたとき、わたしは自分の部屋で目覚めた。廃墟からどうやって帰ってきたのか、まったく覚えていない。実は、家から一歩も出ておらず、そのまま寝ちゃっていたと考えるのが、一番常識的だ。

「ま、なにか悩みごとがあったら相談するっちゃね。あたしとゆづっちの仲なんだからさ」

 シノはそう言うと、わたしにヘッドロックを掛けてきた。

(ちょ、痛い痛い痛い……)

 わたしはシノのお腹にエルボを食らわせて、その拘束を解いた。

「わ! なにすんのさ」シノが抗議の声をあげる。「暴力に頼っていたらポル・ポトになっちゃうよ!」

「仕掛けてきたのはそっちでしょ」

「あたしのはスキンシップじゃん。せっかく励ましてあげようと思ったのに〜」

「励ますも何も、落ち込んでないっての」

 と言いつつ、こいつの適度な察しとアホっぷりに、励まされていたのは確かだった。

「ところで」とシノが話題を変える。「最近、盗難事件があったらしいよ」

「盗難? このあたりに宝石店とかあったっけ?」

「あー、いやいや。盗難ってより失踪ってほうが近いのかも」

「?」

「裏山近くに小さい牧場あるの知ってる?」

「……ヤギミルクのアイスクリームを売ってるところだっけ」

「そうそう。で、その牧場、除草目的でヤギを放し飼いにしてたらしいんだけど、たった一晩のうちに十頭以上も消えちゃったらしいよ」

「柵を抜け出したんじゃないの」

「ま、普通はそう思うじゃん。でも、近隣を探し回っても、一匹も見つからなかったんだって。盗難だとしても、怪しい車が通った形跡もなくて、どうやって運んだかがぜんぜん分からないとか」

「じゃあ、集団で協力してヤギさんを運んだ……とか」

「金塊ならともかく、ヤギを盗むのにそんなに大掛かりなことしないっしょ。だからこりゃもう神隠しだよね。あるいは、四次元ポケットを使ったのかな。いずれにせよ、魔法のような所業には違いないね」

 魔法……。その言葉を聞いて、わたしの心はざわついた。

 あの魔法使いが、何らかの魔術を使うためにヤギを生け贄にした……?

 いやいや、そんなわけはない。あれは疲れていたわたしが見た夢の話だ。現実と虚構の区別がつかなくなったら、わたしもそろそろ危ないぞ。きっと神経過敏になっているだけだ。これ以上気にしないようにしなければ。


 ☆


 シノと一緒に教室に戻って、自分の席に座った。

 もうすぐ朝の会が始まる。クラスのみんなは、休日にお出かけした場所とか、最近流行りのアニメの話をしている。

 5月病という言葉通り、わたしはあまり元気がなかった。ゴールデンウィーク初日に自信満々でYouTubeにアップした新曲の再生数があまり伸びなかったからかもしれない。もちろん、わたしはまだボカロPとしては新人だし、自分の未熟さも充分自覚している。でも、やっぱり頑張ったからには報われるはず!という甘い期待を捨てきることはできず、その反動で憂鬱になっているというわけだ。

 あー、わたしの曲に低評価をつけたやつ、超ムカつくんですけど。IPアドレス特定して代金着払いで粗大ゴミ送りつけてやりてー。

 教室の扉が開き、担任の麻宮先生が入ってきた。

「はーい、みなさんおはよーございまーす」

 いつものように眠そうな声であいさつをする。ゴールデンウィーク開けだというのに、目の下のくまが相変わらず黒かった。髪の毛もぼさぼさで、とかした様子もまったくない。社会人として大丈夫なのだろうか、と勝手に心配してしまう。

 朝礼が済み、出欠確認が終わると、先生は椅子から立ち上がって教壇に立った。

「今日は皆さんにお知らせがありまーす。とても大事なお知らせでーす」

 お知らせ? いったいなんだろう?

 いつもの麻宮先生なら、淡々と情報を伝えて、さっさと職員室に帰ってしまうのが普通なのに。これは珍しい。

「本日から、皆さんに新しいクラスメートが増えまーす」

「えっ、クラスメート!」「先生、転校生ってことですか?」

 ワイワイガヤガヤと教室が盛り上がる。

「はい、そうです。海の向こうから来た方で……と、本人に説明してもらうのが早いかな」麻宮先生は扉のほうを向いた。「ルーシーちゃん、入ってきていいよ」

 そして、その転校生は姿を現した。

 教室に入ってきた途端、クラスがしーんと静かになった。皆、その転校生に釘付けになっていた。

 誰よりも驚いていたのは、きっとわたしだっただろう。

 だってそれは紛れもなく、わたしがあの夜出くわした、あの魔法使いの少女だったからだ。


「はじめまして、名前はルーシー・ムーンライナーといいます。フィンランドのヘルシンキから来ました。得意なことは裁縫で、好きなものはアイスケーキです。まだ日本語があまり分かっていませんが、よろしくおねがいします」



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