4月 - その4
『ごめんなさい。私のほうからお誘いしたのに……』
『だいじょぶだいじょぶ。わたしだって乗り気だったし。それより、カモメちゃんは体調どう?』
『ちょっとした微熱なので、大丈夫です。それより、ユヅキさんのほうこそ気をつけてくださいね。夜間に出歩くわけですから』
『もし本当に亡霊がいたら、なんだっけ、こう、悪霊退散! みたいな感じで撃退するよ。最近【九字切り】の動画を見て練習したし』
『無茶はしないでくださいね……』
心配し過ぎだな〜と思いつつ、じゃあねーとあいさつをして電話を切る。
今は、土曜日の夜11時。丑三つ時にはまだ早いが、あまり遅い時間だと眠くなってしまうのでこの時刻にした。
パパとママはもう寝ている。わたしは靴を履いて、音を立てないようにこっそりと家を出た。自転車に乗って、あの廃墟へと向かう。
昔からホラーとかオカルトには興味なかった。小学校でホラー番組が流行っていたことがあるが、今ひとつわたしは乗れなかった。
お化けよりも、現実世界での戦争とか貧困とか、そうした問題のほうが怖かった。将来仕事につけず、のたれ死んでしまうのではないかという不安。特に、わたしは音楽の道に進もうとしているから、それこそギャンブルである。
わたしは作曲家になれるのだろうか。というか、こんなふうに自転車を漕いでいる暇があったら、もっと楽器やパソコンに向き合ったほうが良いのでは……?
いや、身体を動かすことは大事だし、ちょうどいい息抜きだと考えよう。春休み1キロ太っちゃったしね……。
気がつくと、例の団地へと到着していた。隕石騒ぎから一週間以上経っている。もう誰も気に留めていないようだった。KEEP OUTの黄色いテープが貼られているが、簡単に敷地内へ入ることができた。
団地は広かった。並んでいる建物の前には広々としたスペースがあり、遊具がいくつか設置されていた。昔はきっと、大勢の人が住んでいたのだろう。
敷地を歩いて、棟を探す。隕石が落ちたのはB棟だ。
廃墟を見上げると、たしかに建物の一部がえぐりとられたような形をしていた。
らせん階段を上がって、B棟の屋上に出る。フェンスもほとんど壊れているし、反対側の階段付近は隕石の影響で削り取られていた。
このあたりは電灯も少なく、かなり暗い。懐中電灯を持ってきて正解だった。
さて……とわたしは、周りを見回しつつ、亡霊がいないか確認する。
A棟、C棟、D棟……他の建物も見てみるが、特に変わった様子はない。
「魔法使い、ねえ……」
もし魔法が使えるとして、何がしたいかと考えても……特に何も思い浮かばない。魔法を題材にした小説や漫画を読んだことはあるし、そうした世界に対する憧れはある。しかし、科学文明で育ったわたしが、テクノロジーの恩恵を捨ててまで行きたいかというと、ちょっと微妙である。
結局、科学の世界でも魔法の世界でも、学習したり修行したり、色々な努力をしなければいけなくて……それならネットでだらだらできるこの世界のほうが良さそうだと思ってしまったり……。
魔法というより、願い事が叶ってくれたほうがいい。例えば、有名な作曲家になって、チヤホヤされて、お金持ちになって……
と妄想を膨らませていると、背後から何かが聞こえてきた。
それは足音のように聞こえた。何かが階段を登ってくるようだった。
足音……いや、違う。それにしては不規則な感じがする。
急に恐怖がせり上がってきた。わたしは慌てて、給水塔の近くに隠れた。そして、らせん階段のほうを見やる。
そこには、動物がいた。
動物?
いや、動物なのかどうかすら分からない。黒っぽい見た目をしていて、触手が躰からたくさん突き出ている。目玉のような丸い球体が、前方に8つくらいついている。クトゥルフ神話に出てきそうな、奇怪なモンスターがそこにはいた。
な、な、なんじゃこりゃ。
まるで、エイリアンじゃないか。
エイリアン……?
そういえば、隕石の本体はまだ見つかっていないらしいけど、ま、まさかこれって……。
わたしはパニックで叫びそうになった。自分の両手で口をふさぐ。
とにかく、気配を消さなきゃ。音を出さないように、動かないように……。このままじっとしていれば、気づかずに階段を引き返してくれるかも……。
しかし、現実は非情である。その化け物は、どんどんこちらへとやってきていた。まだ気づいていないようだが、ここに来るのも時間の問題だろう。
これはダメな予感がするぞ。死という概念が脳裏に浮かぶ。あんな恐ろしいモンスターに喰い殺されるのが、わたしの最期なのか。
手段がないわけじゃない。今からフェンスに走って、飛び降りれば、もうちょっと楽な死に方ができるだろう。
あるいは、あのモンスターと対峙する……か。戦わなくても、側面を通り過ぎて、そのままらせん階段を駆け下りれば――
わたしは覚悟を決め、走り出そうとした。しかし、焦りすぎたのか、脚がもつれて転んでしまった。
モンスターの前に投げ出されるわたし。
もしかすると草食動物かも……という淡い期待を打ち消すように、モンスターの顔が裂けていき、大きな牙が現れた。絶対的捕食者の姿がそこにはあった。
ダメだこりゃ。
バイバイ、パパ、ママ。わたしは今夜、エイリアンのステーキとして、この一生を終えるようです。
わたしは全てを諦めた。せめて一瞬で終わりますように……と願っていると、頭上から光が降り注いだ。
それは、光でできた大きな「矢」だった。
光の矢が、モンスターを貫いたのである。モンスターはグエっと音を漏らし、そのまま動かなくなった。そして、形が崩れ、灰へと変わっていく。
わたしは、気配を感じて背後を振り返った。
給水塔の上を見る。
そこには……あの金髪碧眼の魔法使いがいた。濃紺色のローブと、
彼女はこちらを
ほ、本当に実在したんだ……。
わたしは何かを言おうとするが、言葉がうまく出てこない。
そして、
わたしは呆然としてしまい、そのまま、しばらく動くことができなかった。
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