家庭3
スタ吉が死んだことも、やはり家族の前で話すことはできなかった。クラスメイトに対しては納得いかない思いがあったので、陽太にとってスタ吉の死を分かち合える相手などひとりもいないということになる。ハムスターは体調が悪くても隠そうとすると村田先生が言っていたが、なんだか自分と似ているなと陽太は思っていた。
悲しみを胸に秘め続けると、どうしたって精神的な負担が大きくなるのだろう。陽太は日を追うごとに気が滅入っていったが、それでも表面上は何事もなかったかのように日常を送っていた。
そんなある日の週末、陽太は家族でキャンプに行くことになった。
最近、息子の元気がないことに気づき、両親が心配したため――というわけではない。
これもまた美月のためだった。人混みよりも、空気がよいところのほうが喘息持ちの美月にとってはいいだろうということで、家族で出かけるときは自然が豊かな場所に行くことがお決まりになっていたのだ。
自然を感じられる行楽の中でもキャンプに行くことが多いのだが、それにも理由があった。父の趣味である。美月が生まれる前から、父は休みの日でも家族サービスより、自分ひとりでキャンプに行くことを優先する人だったのだ。
そんな父に対し、以前の母は「あの人は自由人だから」と苦笑いしているだけだった。だが、美月が喘息を患っていることがわかり「療養にもなるかもしれないから一緒に連れて行ってほしい」と申し出たのである。
父は最初は嫌がっていたのだが、交換条件として出した『新しいキャンプ用品の購入』を母が呑んだため、渋々といった感じで同行を認め、こうして一家でキャンプをすることが定番になったのだ。
「話に聞いてた通りのいいところね。人も全然いないし、空気もおいしいし、最高の場所じゃない」
母の言う通り、到着した先の河原には陽太達以外に誰もいなかった。一般に解放されたキャンプ地というわけではないので当然である。ここ数年でスピリチュアルなものに傾倒し始めた母の考えにより、一家は隠れたパワースポットばかり巡るようになっていたのだ。
もちろん、本日訪れた場所にもパワースポットがある。すぐ近くの滝がそれに該当し、母によるとしぶきを浴びただけで運気が上昇するらしい。陽太自身はそういった話を信じていたわけではないが、10メートルほどの高さから水が勢いよく流れ落ち続ける光景は、パワースポット云々を抜きにして圧巻だった。
美月も滝の壮大さを目の当たりにして感情が昂ぶっているのだろう。その場でぴょんぴょんと飛び跳ねて興奮を体現している。
「すごい、すごいっ。ミーちゃん、もっと近くで見る!」
「ミーちゃん、危ないからひとりで行っちゃダメ。お母さんは、お父さんと一緒にテントを張らなきゃいけないから、それが終わるまで待っててちょうだい」
「やーだ! ミーちゃん、いますぐ見に行きたい!」
父と美月、どちらの機嫌も損ねたくないのだろう。母は困り切った顔をしていたが、ふと陽太に視線を移すとにっこりと微笑みかけてきた。
「陽太、ちょっと美月のことお願いしていいかしら」
「あ、うん」
「水辺に行くときは、手を繋いで、美月が中に入らないようにちゃんと見ててあげてね。美月は泳げないんだから」
「……うん」
「じゃあ頼んだわよ、お兄ちゃん」
そう言うと母は、父と一緒にテントを組み立て始めてしまった。
水辺は危ないけど心配なのは美月だけ。先ほどの母の言葉は、陽太にはそんな風に変換されて聞こえていた。
被害妄想だと信じたかったが、感情を抑制し続け、すでに精神が摩耗していた陽太に母へ確認できる勇気が残っているわけもない。仕方がないので、言いつけ通り美月と手を繋いで滝を見に行くことにした。
滝は近くで見るとより迫力が増し、自然の力強さというものを肌で感じられる。崖上から落ちてきた水が溜まっている滝壺は、水流が渦巻き、深い
と、不意に美月が繋いでいた手を振りほどき、滝壺を興味深げにのぞき込んだ。
「こら、美月。ちゃんと手を繋いでなきゃ危ないだろ」
「お魚さん、いないかなぁって思ったの。お兄ちゃんも、お魚さん一緒に探そう」
美月は振り返ると、上唇を内側にめくり上げる特徴的な笑顔をみせた。
その瞬間、陽太はハッと息を呑んでしまう。前歯をみせて笑う妹の顔が、スタ吉と重なって見えたからである。
同時に脳内に蘇ったのは、スタ吉の代わりにハム夫を可愛がる移り気なクラスメイト達の姿だった。
陽太は、まだ幼いとはいえ小学三年生である。その歳になれば誰だって善悪の分別くらいはつく。
ただ、幼い小学三年生だからこそ、移り気だと思っていても、悪だとわかっていたとしても、どうしても手に入れたいものがあるということなのだろう。
最後に美月の頭を優しくなでてやると、たったひとつの願いを込めて、陽太は深淵をのぞき込む妹の背中を強く押していた。
愛願動物 笛希 真 @takesou
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