第七話 音角鹿を叩っ斬る

縞猪シュトライバーンに襲われた場所から半日。

夕日が落ちる頃に大きな町へと辿り着いた。


商人の女性は門を過ぎた所で、大の字になって転がる。

体力の限界だ。


なおここまで、リベルは一切手伝っていない。

衛兵に邪魔だと言われて、やっと彼女は荷車から降りた。


「よっ。」


荷車の下に手を入れ、ぐいっ、と力を入れる。

それなりに荷が載った状態のそれを軽々と持ち上げ、道の脇にドスンと置いた。


「え、えぇぇ…………。」


汗だく大の字のまま、女性は何か言いたげに声を漏らす。

リベルは意に介さず、疲労で動けない彼女を肩に担ぎ上げて宿屋に放り込んだ。


翌日。


今日はどうしようか、とリベルは着替えつつ考えていた。

さっさと出発しても良いし、ちょっと運動山賊とかを虐殺してもいいかもしれない。


ぐぅ……


とりあえず、一番初めにする事は決まっている。

お腹の魔獣討伐だ。


朝食の時間であるからか、町には露店が幾つも立っていた。

軽食もあれば、朝からそれは無理だろうという料理を出している店もある。


リベルは迷うことなく後者を入手し、適当なベンチに腰掛けた。

小さな彼女が四人座れそうなそれを料理が占領している。


肉、野菜、魚、何種類ものパン。

一つ一つがかなりの量、本来は家族全員で分けて食べるものなのだろう。


おそらくは露店の店主も、お使いに来た感心な子供に売った、と思っているはずだ。

実際は一人で全部食べる、欲張り頬張りちびっ子なのである。


綺麗さっぱりそれを平らげて、リベルはゴミを片付ける。

元々料理が入っていた紙袋に放り込んだ。


それを手に、テコテコ歩く。

道にゴミ箱は無い、購入した店に返すのだ。


「お?」


爽やかな朝の街。

道行く人々は今日を元気に過ごそうと活力一杯だ。


が、その一角の空気が淀んでいた。

発生源は、リベルが助けた商人の女性である。


「はぁぁぁ…………。あれが無くなったのは痛い、痛すぎるぅぅぅ。」


溜め息を目一杯吐きながら露店の準備をしている。

その姿を見た客が近寄りたくなくなるレベルの淀みっぷりだ。


「珍しい魔獣の素材が安く手に入ったのにぃ。くっそぅ、あの縞猪めぇ……。」


時々、忌々し気な怒りの表情に変わる。

それもまた、客を遠ざける雰囲気だ。


「アレは近くの洞窟にいるって言うけど、私が取りに……は行けないよな~。」


もう一度、大きく溜め息。

陰気臭いにも程がある。


「ふーむ。」


リベルは顎に手を当て、少しばかり考える。


「よしっ。」


何かを閃いて、リベルはてくてくと歩き出した。

今日やる事を決めたのだ。


どうせ何をするかなど自由なのだから、好きにしよう。

それが彼女の旅のモットーなのである。







どむんっ!


吹き飛ばされた人間大の芋虫が洞窟の壁に叩きつけられる。

ぶちゅり、と潰れて緑の体液を吐いた。


ぱぁんっ!


天井から襲い掛かってきた、リベルの二倍程度の大きさの蝙蝠が空中で爆ぜる。

斧の柄によって叩かれたのだ。


ここは町から少し離れた所にある洞窟。

リベルの二倍以上ある斧を振り回しても、壁に全く当たらない程に内部は大きい。


あちらこちらに光を発するりょく水晶が露出する、何とも幻想的な場所だ。


際立って強い魔獣はいないが、とにかく数が多い。

先へ進めば襲われ、分岐に達すれば全ての道から襲撃を受ける。


面倒だと考えて壁を破壊したら、芋虫の大群が現れた。

鬱陶しいと思って魔力を込めた一撃で粉砕したら、驚いた蝙蝠の襲撃を受けた。


そう、先程から戦闘を繰り返している原因は自業自得なのである。


攻撃、破壊、そして突破。

洞窟を崩す気かと思うほどの轟音と衝撃を繰り返す。


「ほいほいっ。」


右に左に魔獣を撃ち飛ばす。


それが別の個体に直撃して、虫団子と蝙蝠団子に早変わり。

色々なモノが付着した事で、水晶がおどろおどろしい色で洞窟を照らしていた。


大量の芋虫と蝙蝠を殲滅して、リベルは奥を目指す。

今の所は順風満帆計画なんて存在しない惨状である。


ここへ訪れる前に商人組合ギルドに寄った。

目的は強い魔獣がいる場所を調べるため。


洞窟の奥に何かがいる。

撤退した冒険者が持ち帰った情報だ。


そこに何がいるのかは分からない。

命からがら逃げだした者たちは、その姿を見るよりも先に撤退したのだから。


「お?」


芋虫と蝙蝠の巣を突破して少し。

水晶の光に照らされた、緑色の大きな物体が洞窟を塞いでいる。


グルル……


唸り声、出所は目の前の巨大な何かだ。

それは、ぐるり、と顔だけをこちらに向けた。


人間のような顔に目玉が一つ。

リベルの三倍以上の身長、手には羽箒リベルの得物よりも巨大な岩の棍棒。


人に近い姿でありながら知性持たぬ魔獣、一ツ目の巨躯なる鬼人である。


口が赤黒く汚れている。

そこから覗くのは、肘当てを付けた腕だった。


「おお~。」


相手を見上げてリベルは感嘆の声を漏らす。

そんな彼女の事を認識した鬼人は体もこちらに向けた。


その目は次なる餌を見付けた獣のそれだ。

齧っていた残骸をプッと吐き捨てた。


どずん、どずん、と重い足音と共にリベルに近付く。

そして岩棍棒を振り上げた。


ガアァァァッ!


洞窟に雄叫びが反響する。

人間など容易に粉砕する一撃が振り下ろされた。


ドォォォンッッ!!


衝撃が洞窟を揺らす。

天井から顔を覗かせていた水晶が落ちて大地に散った。


「ぬふふ。」


リベルは剛撃を斧で防ぎ止めていた。

地に付けていた足が衝撃を大地に流し、それを破砕する。


だが彼女は笑みを浮かべていた。

まるで楽しい玩具と遊ぶ子供のような表情だ。


「今度はこっちの番。」


頭上から自身を押しつぶそうとしていた岩棍棒を易々と弾き返す。

鬼人はその勢いで、半歩後ろへと下がる形で体勢を崩した。


リベルは跳び上がる。

自身の三倍以上ある鬼人よりも高く。


そして空中で一度縦に回転して、鬼人の頭目掛けて斧を振り下ろした。

目を見開いてそれを認識した鬼人は、岩棍棒で自身を守る。


再び衝撃が洞窟を揺らした。

先程よりも強い振動で、あちらこちらの水晶がバラバラと大地に落ちていく。


ガ、ガァ、ァ………………


声にならない声、とでも言うべきか。

虚空を見つめ、そして鬼人の視界は二つに割れた。


岩の塊とも言える棍棒と人体よりも遥かに頑丈な鬼の体。

それをリベルは、頭の先から股まで真っ二つ。


縦に分割された鬼人は、右半身はうつ伏せに左半身は仰向けに倒れた。


「むむむぅ。」


リベルは不満げ。

たった一撃で終わったのが面白くないようだ。


これが冒険者を追い返した魔獣だろうか。

いや、違う。


冒険者たちは姿を見ていない。

鬼人は隠れようとしても隠れられない程の巨躯だ。


これの姿が見えないとなったら、彼らの目は余程の節穴という事になる。

流石にそんな事はあり得ないだろう。


斧を肩に担ぎ、リベルは更に奥へと歩を進めた。






かなり広い空間に出た。

先の宝石蟻ジャウハルミーガの巣よりは小さいが、半径15m程度の半球ドーム状である。


足元を埋め尽くすように、エノキのような緑のきのこと同じ色の苔が満ちている。

リベルよりも大きな水晶が壁から幾つも生えていた。


全てが淡い光を放っている事で、その空間は中々に明るい。

魔獣さえ出なければ、観光名所になりそうな幻想的な場所である。


壁の岩が階段状になっているが、天井や壁には先へ進む道は無い。

どうやらここで行き止まりのようだ。


「はぁ~。」


何もない以上、引き返すしかない。


リベルは溜め息を吐き、きびすを返そうとする。

その時、彼女の鼻腔にとある臭いが飛び込んできた。


腐臭。

何かが腐り果てた臭いだ。


耐え難い程ではない事を考えると、死してからかなりの時間が経っているのだろう。


「ん~?」


リベルは鼻をくんくんさせながら、歩き回って発生源を探す。


右左、上下。

…………全ての方向から臭いがする。


ざりっ、と靴が何かを踏み潰した。

リベルは足元を見る。


そこに有ったのは髑髏されこうべ

人間の頭蓋だ。


周囲をよく観察する。


緑の茸や苔の下にあったのは、人間や動物、魔獣の死骸。

途轍もない量のそれが、この場所には敷き詰められていた。


「?」


幻想的に光を放つ風景がにじむ。

ユラユラと揺れているような、目が回るような。


リベルは気付く。

冒険者たちが危険を感じて撤退したのは、この場所だ。


眩暈めまいと意識の混濁。

それによって、この場所で起きた事の記憶を失った。


だから何かに襲われたとしか報告できなかったのだ。


何かが岩の階段にいる。

緑の光を受けて目が光っている。


あれが、原因だ。


それを理解するよりも先に、リベルは行動した。


「ふんっ。」


魔力を込めた斧を振り抜いた。

斬撃波が生じ、それがいた岩場を粉砕する。


だが、何かは直前に軽やかな足取りで別の足場へと飛び退いた。


「やっ、ていっ、とうっ。」


何度も何度も斬撃波を放つ。

放ったそれの数よりも多くの足場が粉砕された。


そして最後の一つが粉々に砕ける。


遂にそれの姿が光に照らされた。


枝分かれした白い角が身体以上に大きい、ただの鹿。

それが多くの者が感じる印象だろう。


体は茶色だが、背中に苔を生じさせている事で緑に見える。

この空間にある苔とは違うようで、光は発していない。


口には牙は無い。

となると、この魔獣は草食だ。


「ん~?」


眩暈めまいが強くなっていく。

視界の中心に立つ魔獣を中心に、グルグルと景色が回る。


「あー。」


リベルは何かに気付く。

彼女は斧を振りかぶり、思い切り地面へと叩きつけた。


ばがぁぁぁんっ!


地面と死骸、茸と苔が宙に舞う。


そして眩暈が消えた。

この空間で感じていたそれの原因。


それは、音だ。


人間の耳では認識できない程の高音。

しかし音とは振動、人体を僅かに震わせる。


三半規管を揺さぶられた事で眩暈を生じさせたのだ。


倒れて意識を失えば、洞窟に棲む魔獣の餌食。

とはいえ鹿に食われるわけでは無い。


この魔獣は農業をしているのだ。

茸と苔を栽培しているのである、人間の死骸を使って。


洞窟で農地を作る、賢い魔獣。

それがこの鹿、音角鹿 ―イーコルケス― である。


「こういうのも、良いね。」


斧を右に左にクルクルと回転させる。

刃が風を切り、びゅおんびゅおんと音を発す。


音には音。

魔力を孕んだ風切り音が、鹿の発する殺人音波を防ぎ止める。


だっ


リベルは大地を蹴る。

一足飛びで鹿の目前へ達し、斧で首を薙いだ。


鹿は跳ぶ。

その斬撃を飛び越えた。


だが遠くには行かない。

至近距離、斧が届く範囲にとどまっている。


「うっ。」


眩暈がさらに強くなる。

脳を揺らす振動を目の前から直接打ち込まれれば、当然だ。


あまりの眩暈に吐き気が生じる。

朝に食べた物が逆流しそうだ。


「勿体ない。」


折角食べたご飯。

無駄にするのは、リベルの流儀に反する。


美味しい料理を食べるのも、旅の醍醐味だいごみなのだから。

食べて吐いてしまっては意味が無い。


「えいっ。」


もう一度、今度は斧を縦に振る。


どがぁんっ


地面を破砕するも、鹿はまた飛び退いた。

眩暈もあって行動が遅くなっているのだ。


が、リベルはそれも織り込み済み。

同じてつを踏むほど、彼女は愚かではない。


どずんっ!

ギャッ!?


悲鳴のような短い鳴き声が響く。

発生源は音角鹿イーコルケスだ。


その腹には、隆起した岩の槍が下から上へと貫通していた。


魔法である。

リベルは斧を避けられる事を前提に、着地地点に地の魔法を放ったのだ。


勝負あり。


ぶおんっ、と斧が縦に風を斬る。

鹿の体は押しつぶされ、緑の光を放つ大地に巨大な角がカランコロンと転がった。


「おわり。うぷっ、気持ち悪。」


右手で口を押さえて、リベルは角を拾い上げる。


「まったく、キミの戦い方は優雅じゃないねぇ。」


洞窟には似合わぬ、随分と気障な金髪男がリベルの前に現れた。

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