第六話 縞猪を叩っ斬る

鉱山町から出てから半日。


街道はあれど、他には何もない。

谷間たにあいである事から風が強く、ばたばたとリベルの編み物ショールがはためく。


時折、落石が街道を塞ぐ形で立ちはだかっている。

ここはあまり人が通らない道であるようだ。


岩を粉砕し、崖下へ蹴り落とす。

がらごろと音を立てて転がったそれは、遥か下の激流に呑まれて消えた。


前進、粉砕、除去。

一連の動作を繰り返し、道を清掃しながらリベルは進む。


「むむぅ。」


急ぐ旅ではないが、進む度に阻害されるのは面倒臭い。


かといって右にそびえる岩壁を登るのも面倒。

崖下へ飛び降りるのは簡単だが、そこにあるのは容易に人を押し流す川である。


一個一個除くのが面倒ならどうするか。

そう、まとめて処理してしまえばいいのだ。


左手で柄尻つかじりを、右手で柄の中ほどを持って刃を引く。

身体を低くして前傾姿勢をとった。


「よっ、と。」


魔力を刃に込めて、斧を振り抜いた。

低い姿勢から斧を振った事で、先端の槍の穂先が大地を僅かに削る。


どっぱぁぁっん!!!


目の前の岩石を砂粒未満に消滅させる。

そのまま道に沿って、魔力を載せた斬撃が飛んでいった。


ばぁん、ばぁん、と破砕音が断続的に谷に響く。

それが聞こえなくなった頃、リベルは斧を消して満足そうに腕を組んで一つ頷いた。


「うん、すっきり。」


少なくとも、彼女から見える範囲に道を塞ぐ障害物は無い。

足取り軽くリベルは道を進んでいった。






岩肌と断崖に挟まれた道は、川のうねりに沿って右左みぎひだり

うねりにうねって先が見通せない。


だが先程放った斬撃波によって、落石はきれいさっぱり無くなっている。

通行に何の支障もなく、快適な旅路だ。


あちらこちらに魔獣の残骸も転がっている。

リベルの一撃に巻き込まれて、岩石と一緒に粉砕されたようだ。


………………幸いにして、人間の残骸は無い。

というのも、攻撃の前にちゃんと探知魔法を発動していたのである。


斬撃波が届く範囲に人間はいない。

それを確認した上で、この暴挙を実行したのだ。


リベルちゃんは、ちゃんと考えているのである。

時々、常識をゴミ箱に捨てたりするだけで。


キャンッ!

キャンッ!


とても短く、破裂するような高い鳴き声が谷に響く。

ここまで大きく響く声、小型犬などではない。


リベルは進む足を止め、右肩をぐるんぐるんと回す。


近付いて来ているのが何者であるか。

それはさほど問題ではない。


やる事は一つしかないのだから。


大きくうねった道の先、見る事が出来ないカーブの先。

そこから魔獣が姿を現した。


鹿だ。


体は人間よりも少し大きいくらい。

体色はこの場に紛れる黄土色。


目は血走り、頭には枝分かれした細い角、口からは鋭い牙。

それは彼が草食ではなく、肉食である事を示している。


そして磨き上げられた鉄の色に輝く金属が、鱗のように胴体を覆っていた。

一つ一つが鋭く尖り、無数の剣の切っ先が胴体に張り付いているように見える。


毛を逆立てるように刃を立ち上がらせ、頭を下げて角をリベルに向けた。

走る速度はそのままに、わき目も振らず一直線に向かってくる。


正面から当たれば、枝分かれした角が身体を貫く。

下手に避ければ、逆立った刃に身を刻まれるだろう。


「とうっ。」


だが、そんな事はリベルには関係無かった。


鹿の上を飛び越えるような形で突進を回避する。

そして空中で上下逆さまとなり、鹿の角の先端をぎゅっと力強く掴んだ。


「ふん、やっ。」


ぐりっ、と身体を捻って、鹿の体をぶん投げる。


めぎりっ


変な方向に捻じられた鹿の首から、肉が裂けて骨が折れる音がした。

珍しくそれが引き千切れはしなかったので、鹿さんは幸運だ。


どがん、と岩壁に衝突して、空中で回転しながら崖下へと転がり落ちる。

少し遅れて水面を叩く音が谷に響いた。


「ふーむ。」


顎に手を当ててリベルは首を捻る。


斬撃波でそこそこ先まで魔獣は消し飛んだはず。

なのに鹿がやってきた。


上から降りてきたか下から登ってきた可能性はある。

しかしながら、轟音と共に破壊が発生した場所に近寄るだろうか。


「まあ、いっか。」


深く考えるのは止めにして、リベルは歩みを再開した。


が、すぐにそれは停止する。


「……け……」

「?」


何か聞こえる。

遠いのか、それとも音が小さいのか、それが何かは分からない。


首を傾げつつも、歩を進める。


「…け………て…」

「声?」


再び聞こえた。


リベルはそれが、人間の声だという事に気付く。

発生源はまだ見えないカーブの先からのようだ。


「たすけて~。」

「おおっ。」


カーブを曲がり切った先に見えたのは、横倒しになった荷馬車。

その周囲には積み荷であった木箱が数個転がっている。


ちょうど分かれ道となっている場所で、左は谷に沿う道、右は離れる道だ。


声の主は荷馬車の辺りにいるのだろうか。

テトテトと少しだけ歩を速めてリベルは荷馬車に近付いた。


「あれ?」


いない。


人間はおろか、荷馬車を牽いていたはずの馬もいない。

声の主は何処にいるのだろう。


「も、もうダメかぁ……。さよなら我が人生、ううぅ。」


左。

崖の下だ。


ひょいっ、と顔を出して、リベルは崖下を覗き込んだ。


「あー、あれしたかったなぁ。でも、諦められないよぉ。」


嘆きと共に、ぽろぽろと涙を流す女性が一人。

崖から横に伸びた枯れ木の幹にしがみ付いている。


褐色の肌に肩に掛からない程度の長さの砂色髪。

頭の上からは同じ色の狐耳、しかし気持ちに連動して力無く、へにゃりと垂れる。


装いは動きやすさを重視した、胸元が大きめに開いた半袖とショートパンツ。

足元は編み上げサンダルだ。


年齢は、多分二十代半ばであろう。


「おーい。」

「ううう、商品も崖下に落ちちゃったし、私も後を追うんだろうなぁ。」


リベルの声に、彼女は反応しない。

それ程に絶望感を味わっているという事である。


「おーいおーい。」

「痛いの、ヤダなぁ……。でも引っ掛かったまま餓死も嫌ぁ……。」


なおも反応なし。

リベルはちょっと面倒になってきた。


斧を取り出し、それの先端を女性に向ける。


つんつん


「ふえっ!?」


いきなり頭をつつかれ、彼女は身体を跳ねさせる。

その勢いで幹から落ちそうになったが、何とか耐えた。


顔を上げた彼女が見たのは、少女がバカでかい斧を自分に向けている光景。

理解が追い付かず、商人の女性は少しの間硬直した。


「おーい、生きてる?」

「……はっ!?い、生きてます生きてます!」


リベルから声を掛けられて、我に返って返事をする。

だが、彼女の表情はすぐに曇った。


「あ、あの、誰か大人の人を呼んできてくれるかな……?お願い!」

「むー。」


目の前に自分がいるのに、他の人に助けを求めろ、と言われてリベルは不満げ。


そういう事を言うなら実力行使。

彼女の前で不用意な発言をした、商人の女性が悪い。


「う、うわわっ!!??」


槍の穂先を彼女の服の首の後ろに引っ掛けて、ぐいっと持ち上げる。

幹にしがみ付いたままでいようとする女性をいとも簡単に宙に浮かせた。


「よいしょ。」


彼女の穂先に引っ掛けたまま、上に大きく弧を描く。

大地の上に女性を、すとん、と置いた。


彼女は呆気に取られた表情で、口を大きく開けたまま硬直している。

ぼんやりと自分の右手を、続いて左手を見てから我に返った。


「はっ!生きてる!私、生きてる!?ね、ねぇ、私、生きてます???」


自身を助けた張本人に問いかける。

当然の事をわざわざ聞かれて、リベルはちょこっと面倒臭そうだ。


「生きてる生きてる。……落とした方が、良かった?」

「い、いえいえいえいえ!滅相も無い!助かりましたありがとう感謝感激ですっ!」


目の前の少女は多分、やる。

それを感じ取った女性は両手を前に出して振って否定し、座ったまま後ずさりした。


後退した事で背中が荷馬車に、どん、とぶつかる。

そこで彼女は思い出す、自分の財産の一部が消失した事を。


「あ、ああぁ~~…………。商品がぁ、というか馬も!?うわーん!」


荷車に擦り付きながら嘆く。


「ん?」


リベルは少々疑問を覚える。


商品は谷底に落ちたと、さっき引っ掛かった状態で言っていた。

だが馬については、今知ったばかり、といった様子。


つまり、本来は馬は谷に落ちていない。

荷車と器具で繋がれていたであろうから、自分で逃げ出したという事も考えにくい。


となると。


「魔獣に、襲われた?」

「ひぇっ。」


背後からそれを言われて、女性は身体を跳ねさせた。


どうやら正解。

彼女は恐怖を思い出したのだろう、カタカタと身体を震わせている。


「あ、あいつが来る、あいつがぁ………………。」


大地を見つめる瞳孔は開き切り、頭を両手で守って身を縮める。

何かにトラウマを刻まれた事が容易に想像できる姿だ。


ドドンッ、ドドンッ!

ドドンッ、ドドンッ!

ドドドドドドドドッ!


規則正しい断続的な大地の揺れ、その後に続く絶え間ない連続的な地震。


分かれ道の右、岩壁の影からそれは現れる。


ブモォォォッ!!!


猪。

それもリベルの二倍近くの体高の。


見た目は一般的な猪と同じ、足が四本で二本の牙がある。

違いと言えば大きさと身体の模様だ。


茶や黒、灰一色が猪の標準的な体色。

しかし目の前の魔獣は、砂色で胴体から尻にかけて焦げ茶の横しまが入っている。


ちょうど猪の幼体のような姿だ。

だがこれでこの猪の魔獣は成体である。


何かをバリバリと咀嚼している。

その口からは僅かに、茶色で先端に黒のひづめをもつ細い物が覗いていた。


「縞猪 ―シュトライバーン― 。さっきの鹿、これから逃げてた。」


魔獣の名を口にして、リベルは納得する。

なぜ鹿が突撃してきたのかの答えを得て。


対峙する魔獣は肉食。

先程の鹿は襲われる事を恐怖して逃げていたのだ。

不幸な事に逃走路に別の危険物がいたのである。


ざかっ、ざかっ、と猪は大地を蹴手繰けたぐっている。

崖を背にした状態で戦うのは、猪相手では危険だ。


リベルは大丈夫だが、恐怖で動けなくなっている女性が今度こそ崖下に落ちる。

もう一度助けるのは面倒なので、戦場を変更する事にした。


とーんっ


大地を軽く蹴り、リベルは高く跳び上がった。

猪の頭上を超えて、空中でくるくると縦回転。


すたっ


天に手のひらを掲げる形で両腕を上に広げて、両足で着地した。

十点満点だ。


彼女を追って、縞猪シュトライバーンは振り返った。


「よし、かかってこーいっ。」


両腕を大きく広げて、犬でも呼ぶようにリベルは猪を呼ぶ。

それに荒い鼻息と雄叫びで応答して、縞猪は突撃した。


どずがぁんっ


衝突事故が起きた。


被害者が宙に舞う。

ぐるぐると回転しながら落下し、道端にあった大岩を粉砕した。


ただし、飛ばされたのは猪の方だ。

リベルは大きく万歳して、身を反らした姿勢で止まっていた。


「よし。」


逆さになった景色と足を天に向けて転がる縞猪を見て、彼女は一言。


突撃してきた猪の鼻先を身体で受け止め、両手で掴んで後ろに投げ飛ばしたのだ。

突進の勢いも相まって、良い飛距離が出た。


だが、猪は頑丈だった。

身に積もる岩の残骸から脱出し、体に付着した砂を体を振って落とす。


ブモ、ブモ、ブモォォォッッッ!!!!!!


怒り心頭。

絶叫した縞猪の体毛が逆立つ。


バチッ!


雷電が爆ぜた。


猪の体から生じた魔力が、ただの模様と思われた縞柄を光らせる。

電流が縞を伝って頭部に至り、そして立派な牙へと流れた。


「おー、バチバチしてる。」


猪に向き直ったリベルは暢気のんきに、かの魔獣の姿に感心している。

だが油断は無く、手には斧を出現させて縞猪の出方をうかがっていた。


ブゥモォォォッ!!


大きく両前脚を上げ、そして大地を踏み潰す。


ただの威嚇ではない。

電流が脚から地に伝わり、表面を弾き飛ばしながら猛烈な速度で這い寄ってきた。


ざすっ

「ほっ。」


斧の穂先を大地に刺し、棒高跳びの要領で身を空に投げる。

電流は斧に伝わるが宙へと逃れたリベルまでは届かない。


だが、それは猪の想定の内だった。


牙へと集った雷電が一層強く光る。

二つの先端を電流が繋いだ。


そして、眼前に雷の球を作り出す。


ブモッオオォォッ!


縞猪の雄叫びと共に、豪雷がリベルへと撃ち放たれた。

それは雷とほぼ同等の速度と雷声らいせいをもって彼女へ迫る。


光と音、そして衝撃が走った。

散った雷は周囲を見境なく破壊する。


勝利を確信した縞猪は、荒く鼻息を一つ吐く。


ずるり


その僅かな振動で、猪の鼻先が二つに割れた。


疑問を感じた縞猪。


だが、思考はすぐに闇へと消える。

まるで薪を割るように、その体は左右二つに分かれて倒れたのだから。


空中にあったリベルの手には羽箒大斧

彼女の背後には、真っ二つになって消滅していく雷の球があった。


「おわりっ。」


くるくると縦回転して、彼女は再び十点満点の着地を成し遂げた。






「いや~、助かっりっましったぁっ!」


商人の女性はにこやかに、だが歯を食いしばって言う。


牽く者がいなくなった荷車を彼女は牽いていた。

その上には無事だった商品を詰め直した木箱とリベル。


鉱山町へ向かうのは困難と考え、来た道を戻っていく。

縞猪がやってきた、谷から離れる方だ。


「あ、あのっ、ところでっ、手伝ってはっ、くれませんっ、かっ!?」

「や。」


悲痛な女性の言葉をリベルは一刀両断。

荷車の後ろから放り出した両足を、彼女はプラプラと自由にさせていた。

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