第二話 毒蜘蛛を叩っ斬る

とことこ、とことこ。

てくてく、てくてく。


分かれ道を左に進んで、半日。

看板が見えた。


この先に村があるようだ。


なぜ先程の分かれ道に、この看板を立てないのだろうか。

謎である。


ここに至るまで誰ともすれ違っていない。

人があまり通らない街道なのだろう。


看板も少々古ぼけており、強めに触ったら壊れてしまいそうだ。


「休憩。」


丁度良い目印を見付けたリベル。

看板の側にあった、彼女の腰高程度の岩に腰掛ける。


先程の村で買った球パンブールサンドイッチを取り出した。

飲み物は水筒に入れた水である。


がふがふ

くぴくぴ


僅かに雲が流れるが快晴、周囲が草原である事もあって、随分と長閑のどか

ピクニックにちょうど良いような風景だ。


だが、街道から外れると魔獣だらけ。

この道は先人たちが見つけた、魔獣を避ける安全地帯なのである。


「ごちそうさま。」


ぱんぱん、と手に付いたパン屑を払う。

岩から飛び降り、ぽんぽん、とお尻についた砂ををはたいた。


とことこ、とことこ。

てくてく、てくてく。


道を行く。

村が見えてきた。


小さいが周囲に防柵がある。

多少なりと魔獣の襲撃があるという事だ。


周囲は草原とはいえ、多少の起伏はある。

洞窟などもあるだろう。


そうした場所から、魔獣がやってくるのである。


「おや、お嬢ちゃん。まさか一人旅かい?」

「そ。」


槍を持って見張りをしていた村民の男性が、リベルに声をかけた。


小さい彼女が一人旅、普通に考えれば妙である。

というよりも、心配になる状態だ。


「もう日が暮れる。危ないから、早く中に入りなさい。」

「ん。危ない方が良い。」


リベルはそう言って村の中に入った。


彼女を見送って、男性は首を捻る。

聞き間違いだろうか?


そんな事を言うわけないか、と彼は笑ったのだった。


適当に食事を済ませ、しばし休憩。


寝る前には身体を綺麗にしなければならない。

とは言え、こんな小さな村に風呂などという贅沢なものは無い。


ならば魔法を使えばいい。

だが、ただ単純に水や湯を生成したら水浸みずびたし。


それは流石に宿に悪い。

であれば、水も湯も最小限にして一瞬で乾かせばいいのだ。


自室で服を脱ぐ。

周囲に物がない部屋の中心で、リベルは魔法を使った。


まずは風の魔法。

身体を宙に浮かせる事で、床が水に侵される事を防止する。


続いて水の魔法。

少量の水を生成し、布巾タオルのように全身をくまなく綺麗に拭く。


続いて火の魔法。

身体を清めた水を一瞬で蒸発させて消し飛ばした。


頭に関しては、多めの水でざぶざぶ洗う。

洗い終わったら、火の魔法で跡形もなく消滅させた。


最後に風の魔法と火の魔法の合わせ技。

全身くまなく温風で包み、完全に乾燥させる。


髪の毛の先から足の裏まで、湿気の一つも残っていない。

すっかり綺麗になった身体を風で浮かせたまま、リベルはベッドへとダイブした。


窓から入る風が、そよそよと気持ちいい。

そのまま彼女は夢の中へと旅立った。






翌朝。


宿で朝食に硬めのパンと太いソーセージを、がぶり。

食べ応えたっぷりである。


お腹を満足させて、ゆったりとお茶を啜る。


「ほへぇ。」


ぽややんとでも言うべきか、という気の抜けた顔と声。

全力全開で脱力中だ。


「おはようございます!」


元気な挨拶と共に、短い黒髪の少年が宿に入ってきた。

年の頃は十二くらいだろうか。


その服装や雰囲気から、彼は旅人ではない。

この村の住人だ。


「おう、テル坊。おはようさん。」

「テル坊っていうの止めて下さいよ~。僕にはテルエルって名前があるんです!」

「ははは、悪い悪い。」


ぷんすかと怒る彼に店主は笑いながら謝罪する。


どう考えても悪い事と思っていない。

テル坊の戦いは、まだまだ先が長そうだ。


「しかし、お前さんが働き出して半年か。あんな事が無けりゃぁなぁ。」

「仕方ないですよ。運が無かったんです、僕の家族は。」


店主の言葉に、表情に諦めを滲ませて少年は首を横に振る。


労働に従事するのは、大体十五を超えてからが多い。

十二でそれを始めているというのは、かなり早いだろう。


彼の家族に何かあって、働かざるを得なくなった。

少年の言葉から予想できるのは、そういった背景だ。


「じゃあ、水汲んできます!」

「おう!終わったら薪割りもな~。」


元気よく外へ出て行く少年。

店主はひらひらと手を振り、彼を見送った。


出入り口の扉が完全に閉まった事を確認し、リベルは店主に近付いた。


「何があったの?」

「ん?ああ、テル坊か。家族が魔獣に襲われたんだ。命は助かったんだが……。」


店主の顔が苦悩に歪む。


「毒魔蜘蛛 ―ソムアブート― の毒で寝たきりでな。」


眉間を押さえて、店主は首を横に振る。

先程の少年が浮かべていた諦めの感情が、彼からも滲んでいた。


「なまじ意識があるせいで、なお大変でな。どうにかしてやりたいが……。」


悔しさに、ぎりっ、と奥歯を噛みしめる。

おそらくは、この村に住む者全員にとって共通の思いだろう。


それだけ、テルエルとその家族は村人に愛されているという事である。


「解毒剤は?」

毒魔蜘蛛ソムアブートの体液壺の中身に解毒効果があるらしいんだが……。」

「買えないくらい高い。」

「そうだ。そもそも毒魔蜘蛛は強力な魔獣だ、倒せる冒険者や傭兵も少ないんだ。」


はあ、と溜め息をく。


解決方法が分かっているのに、それを実行できないというのは無念極まりない。

溜め息が出るのも当然である。


「そっか。」


そこまで聞いて、リベルは店主に背を向ける。

彼女が急に興味を無くしたように見えて、彼は呆れて自身の仕事へと戻っていった。






毒魔蜘蛛は巣を張らない蜘蛛である。

平原を駆けまわり、積極的に獲物に襲い掛かるのだ。


その体は人間の三倍以上、十本の脚を含めると人間よりもかなり大きい。

体色は黒、腹の部分には網目状の紫色の模様がある。


彼らが牙から注入する毒は非常に強力。

獲物の体の自由を奪う麻痺毒、その効力はほぼ永続的だ。


だからこそ、そんな危険な魔獣を狩りに行く者は少ない。

リターンがある程度あったとしても、リスクの方が遥かに大きいからである。


わざわざ毒魔蜘蛛と戦いに行く者など、余程の愚か者か物好きに違いない。


はたして、リベルはどちらだろうか。


「どこかな。」


小高い丘の上に生える大木に登り、彼女は周囲を見回した。


毒魔蜘蛛の体色は黒。

もし動き回っていれば、緑だらけの平原では目立つはずだ。


「ん、いた。」


目的の魔獣の姿を見付け、リベルは木の上から飛び降りた。

急がなければ見失ってしまうだろう。


「急ご。」


走りながら、彼女は魔法を行使した。


全身を風が包む。

走る速度が次第に上がっていく。


草原を滑るように、流れるように彼女は走る。

リベルは、馬の何倍もの速度に達していた。


丘と洞がある地形を縫うように、這うように。

道を塞ごうとした小型の魔獣を跳ね飛ばし、轢き潰し。


そして彼女は、目標の前へと躍り出た。


ずざざざざあっ


しかし、あまりの速度に停止できず、地表を削っていく。

その先にあった岩を粉砕し、なおも草原を破壊する。


「おっとと。」


斧を取り出す。

滑り続ける自身の前の大地に突き刺す事で、ようやく停止した。


「んー、よいしょっ。」


低い放物線を描くように跳び、斧と共に身体を回転させる。

ぐるんぐるんと回りながら、オーバーランしてしまった対象の前へと舞い戻った。


カチカチッ


毒魔蜘蛛が牙を鳴らす。


突然目の前に現れて消え、再び出現した相手を威嚇している。

蜘蛛にとってかなり不可解な存在である以上、その行動も理解できるというものだ。


「ごめん。」


リベルは謝る。


何についての謝罪なのか。

それが意味しているのはただ一つ。


「倒し遅れた。」


前傾姿勢をとり、斧を身体の後ろへ引く。

巨大な刃が日の光を浴びてギラリと光った。


自身を攻撃する意図を持って行動する相手に対して、蜘蛛も戦闘態勢をとる。


右はリベルが走ってきた草原、平らで何一つなし。

左はリベルが粉砕した岩の残骸、ごろごろと周囲に彼女の背丈以上のそれが転がる。


だがリベルと毒魔蜘蛛以外、周囲には何もいない。


ざわっ、と風が両者の間を抜け、草原をざわめかせた。


「ふっ。」


とっ、とリベルは軽く大地を蹴る。

ただ、軽く。


しかし彼女は一瞬で蜘蛛の頭部の直下へと到達した。

その様は瞬間的に移動したかのようだ。


ギチチッ


急に視界から消え、気配が真下に移動した。

毒魔蜘蛛は反撃も回避も出来ず、ただ鳴いただけ。


リベルの斧が大地を削り、下から上へと振り上げられる。

蜘蛛の胴体に刃が直撃した。


どがんっ


かなりの重量をもつ毒魔蜘蛛の体が僅かに宙に浮く。

だが、両断出来ない。


「むう、頑丈。」


一旦距離を取るために後方へと飛び退いた。


ギシャァッ


怒り心頭となった毒魔蜘蛛は口を開く。

その奥から水鉄砲の如く、バシュッ、という音と共に紫色の液体が発射された。


かの魔獣が毒魔蜘蛛と呼ばれる所以ゆえん

未来永劫、身体を完全に麻痺させる毒液だ。


「よっと。」


斧の穂先の槍を、左方向の大地へ突き刺す。

刺した勢いを使って身体を送り、棒高跳びの要領で大きく移動した。


彼女がいた場所を毒液の弾が通り過ぎる。

攻撃が回避された蜘蛛は、すぐさま八本の脚を動かして体をリベルへと向き直した。


彼女が着地する、その場所へ目掛けて再び毒液が発射される。

飛来するそれは、先程よりもずっと速くそして大きい。


このまま着地すれば、逃げる間もなく直撃する。

だが、リベルは回避する事も無く大地へと降り立った。


バシャンッ!


毒液が物体に衝突して弾ける。

だが。


「さっきで分かった。魔法で止められる。」


彼女の前で、風が渦を巻く。

毒液はそれに巻き込まれ、ぐるぐると渦潮うずしおのように回転している。


「えいっ。」


斧を右手で支え、左手を前へ突き出した。


風に巻かれていた毒液が、渦の中心に集まる。

そして、勢いよく毒魔蜘蛛に向かって発射された。


ばしゅんっ!


風の魔法を纏っている事から、先程の蜘蛛の一撃よりも速い。

巨体の毒魔蜘蛛が、それを避けられるはずもなかった。


どばあっ!


顔面にそれを受けてしまう。

途端に蜘蛛の体が動かなくなり、巨体を支える八本の脚ががくがくと揺れる。


ずずん……っ


腹を大地に付ける形で、蜘蛛が倒れた。


強力すぎる毒。

自身もそれに耐性が無いのだ。


「終わり?」


斧を右肩に担ぎ、蜘蛛に近付いていく。

と。


ギギギ

シャアァァッ!


体が麻痺していた蜘蛛が、突然立ち上がった。

そして、リベルへと突進する。


「ん、分かった。そこにある。」


すっ、と一瞬だけ眠たげな目が鋭くなり、赤の瞳が光る。


突撃してくる蜘蛛の体は人間の三倍以上。

小さいリベルに対しては更に巨大だ。


だがそんなものは、彼女には関係なかった。


ばずんっ!


一瞬。


目にもとまらぬ速度で、彼女は蜘蛛の向こう側へと移動していた。

その手には振り抜かれた大斧。


ずず……っ


彼女の背後で巨体が左右に分かれる。


どざぁんっ


縦半分に分割された蜘蛛は、再び大地に腹を付けた。


完全に沈黙した蜘蛛へとリベルは歩み寄る。


「よいしょ。」


分断された胴体の左側。

人間でいえば心臓の位置、そこに薄青色で柔らかい袋、体液壺があった。


蜘蛛が自身を解毒した際の体の動きから、リベルはそれの在り処を見付けたのだ。


ポシェットからナイフを取り出して、パパっとそれを切り取る。

続いて試験管のようなガラス瓶を三本取り出した。


粘度ある体液壺の中身を、むにゅり、と少し絞り出す。

ガラス瓶に分け入れた。


「むにゃむにゃ、ほいっ。」


かなり適当な、詠唱などと言えない言葉で水を作り出した。

それを瓶に注いで、ちゃぽちゃぽと体液を溶かす。


最後に火の魔法で少し煮立たせて、解毒薬が完成した。

薄黄色の布をポシェットから取り出し、解毒薬と余った体液壺を包む。


「さーて、お届けお届け。」


それを手に提げて、リベルはのんびりと村へ帰っていった。






「明日、早いから。先にお金。」


ちゃりん、と二日分の宿代を店主に渡す。


「おう、毎度あり。釣り無し、だな。ところでどこ行ってたんだ?」

「散歩。ちょっと外まで。」

「ほぉん?」


村の中ならばともかく、外へ散歩とは。

この少女は本当に不思議な感じがする、と店主は思う。


「じゃ。」


短くそう言って、彼女は自分の部屋へと引っ込んでいった。


翌朝。

リベルは日の出前に出立し、村から姿を消した。






「ふむ、綺麗なもんだ。本当にここで二日も過ごしたんかねぇ。」


リベルが使った部屋を確認した店主は感心する。


部屋の中は驚くほどにぴかぴかで、ベッドのシーツには皺ひとつ無い。

むしろ泊る前よりも綺麗じゃないか、と彼は苦笑した。


ばあんっ!


「あ、あのっ!!」

「うおあっ!?なんだなんだ、テル坊どうした?」


打ち破るかの如く入口扉が開けられ、店主は身体を跳ねさせる。

肩で荒く息をするテルエルの手には、薄黄色の布に包まれた何かがあった。


「こ、これ……。」


机ににそれを置き、結び目を解く。


その中には、薄青色の液体が入った細いガラス瓶と同じ色の体液壺。

更に薬の作り方を示したメモが添えられていた。


「な!?毒魔蜘蛛の体液壺と薬、か!?」

「やっぱり、そうなんですね……。」

「あ、ああ。俺も元冒険者だ、見れば分かる。」

「家の扉の側に置かれていたんです。一体誰が……?」


テルエルは不可思議な出来事に不安そうな表情。

対して店主は首を捻る。


(まさか、あの子供か?……………いや、そんなわけないか。)


自分が浮かべた事を頭の中で否定し、店主は笑った。


「ま、神様からの贈り物と思ってもらっとけばいいんじゃないか?」

「え……で、でも。」

「返そうにも相手が分からんだろ?」

「それは、うん、そうですね。」


テルエルも店主につられて微笑んだ。


「ありがとうございます、神様。」


笑いながらも、彼は涙を流した。






「へくちっ。」


神様リベルはくしゃみをする。

どこかの誰かに噂されているようだ。


彼女はトテトテと街道を進む。


次はどっちに行こうかと考えながら。

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