第一章

第一話 狼を叩っ斬る

商人が操る驢馬に牽かれた荷車は、小さな村へと辿り着く。

彼とはここでお別れだ。


「誠に、ありがとうございました。」

「別に。やりたいようにやっただけ。」


ふるふると、リベルは再び首を横に振る。


謙遜や遠慮などではない。

偽らざる彼女の本心である。


商人は苦笑しつつ、彼女に別れを告げて去っていった。


ぐぅ


お腹の魔獣が声を上げる。

林檎一個では、流石に少なかったようだ。


斧で叩っ斬れるものになら無敵だが、この魔獣相手では分が悪い。

リベルは大人しく、村に一軒だけの酒場兼食事どころへと足を踏み入れた。


「いらっしゃい。こりゃ可愛らしいお客さんだ。」


彼女を出迎えたのは、体格のいい中年の男。

この酒場の店主である。


カウンター裏に立つ彼の後ろの棚には様々な食材。

小さな村にしては、中々の品揃えだ。


入り口横には、看板のように壁に掛けられた長方形の木板。

それには幾つもの紙が針で留められていた。


ここは村唯一の酒場。

村の住民や商人組合ギルドからの依頼をここで取り扱っているのだ。


様々な依頼内容も気になるが、それよりも自身の腹の魔獣退治。


カウンター席に掛けて、パンと飲み物を注文した。

少しして、彼女の前に食事が出される。


球パンブールを横半分に切り、塩辛い猪肉ハムと村で採れた野菜を挟んだものと牛乳。


辺鄙な村で出されるにしては、中々上質な食事だ。

だが、サービス精神たっぷりなのか、球パンがデカい。


どの位かと言うと、リベルの顔と同じくらいに大きい。

それに具材が挟まれているため、岩のような姿である。


「出しといてなんだがお嬢ちゃん、食べきれるか?」

「だいじょぶ。」


店主の心配など気にせず、リベルは両手で極厚の球パンサンドイッチに齧り付いた。


小さな口で、がふがふ、と岩を掘削していく。

時々、潤滑油のように牛乳を口内へ足す。


その姿に店主は心配は無用だったと苦笑しつつ、自身の仕事に戻った。


球パンが三分の一程まで消失した頃。


「た、大変だ!」


扉を弾き飛ばすように、一人の男が駆け込んできた。


「なんだ、どうした。そんなに慌てて。」

「に、西の森に森狼 ―シルルプス― が!な、何人か、やられた!」

「なんだと!?」


村民の男性の報告に、店主は声を上げる。


「くっ、マズいな。冒険者も傭兵も不在だぞ。」


顎に手を当て、眉間に皺を寄せる。


未踏の地を切り開く冒険者、戦いを生業とする傭兵。

どちらも魔獣との戦闘に慣れた者達だ。


こうした魔獣からの脅威に対応する職業だが、今この村には一人もいない。


となれば、打つ手がない。


それを横目に、リベルは球パンサンドイッチを平らげる。

残っていた牛乳も飲み干して、木のコップを、こん、とカウンターに置いた。


「ごちそうさま。」

「お、おお。」


お代をカウンターに置き、リベルは歩き出す。


彼女の雰囲気に嫌な予感を覚えた店主。

ハッと我に返って、リベルを呼び止めた。


「どこへ行く気だ?まさか……。」

「ん。ちょっと食後の運動。狼たちと遊んでくる。」

「「はぁ!?」」


店主と報告に来た男性は、二人同時に声を上げる。

彼女の返答は信じられないものだった。


森狼シルルプスは遊び半分で倒せるような魔獣ではない。


集団で狩りをする彼らは、数十で群れを作る。

森の中を疾風はやての如く駆け回って獲物を翻弄し、打ち倒すのだ。


背中部分は深緑、腹の部分は白。

大型犬程度の大きさだが、森の緑と影の黒に紛れて視認は困難。


人間にとって、非常に危険な魔獣の一種である。


それをまるで、近所の犬と遊んでくるような言い方。

驚愕するのも当然だ。


トテトテとリベルは酒場から外に出る。


「お、おいっ!ちょっと待て!!」


自ら危険へと飛び込んでいこうとする少女。

それを止めるために店主はカウンターから出て、彼女を追いかける。


リベルから遅れる事、少し。

彼もまた、扉を開けて外に出る。


だが。


「ど、どこに行った?」


既に少女は姿を消していた。







「ぐっ、足が……っ!」


森の只中で男性が一人、うずくまっていた。


彼の脚からは血が流れ、自身で歩くのは困難な状況である。


「くそっ。みんな、逃げ切れただろうか……?」


辺りを見回す。


木々とそれが作る影しかない。

僅かに空は見えるが薄暗く、不安を呼ぶ場所である。


襲われた時に負傷した数名を仲間に託し、彼は囮となった。

大声を上げながら森の奥へとわざと入り込んだのだ。


姿は見えない。

だが、確実にそこにいる。


数十の森狼達は息を潜め、自身の周りの藪の奥でこちらの様子をうかがっている。

苦し紛れに放った火の魔法が、幸いにして牽制になってくれたようだ。


だが、それも長続きするわけがない。

もうすぐ、自身の命が尽きるのは明白だ。


恐怖から、ぎゅっと目を瞑った。

がさがさと藪を揺らす音が聞こえる。


足音が近付いてくる。

はて、森狼はこんなにも足音を立てるものだっただろうか。


自身の真後ろに気配を感じる。

ああ、もうダメだ。



襲ってこない?


「だいじょぶ?」

「え?」


唐突に声を掛けられ、男性は振り返る。

そこには、森の暗がりにいるはずがない少女がいた。


状況が分からず、男性はぽかんと口を開けた。


小さな村だ、全員の顔と名前は知っている。

だが、こんな子は知らない。


旅人の子供だろうか。

だとしても、なぜこんな所に?


彼の思考はぐるぐると巡るが、答えは出ない。

しかし、一つだけ確かな事がある。


今、この場所は危険地帯だという事だ。


「な、なにしてるんだ!ここは危ない、早く逃げ―――」


言い終わるよりも先。


森狼が二頭、後ろから彼女に飛び掛かった。

その光景が男性の目に映る。


庇いたくとも、脚の傷のせいで届かない。


「えい。」


男性の頭の少し上を凄まじい風が通り過ぎる。


ほんの少し後、めぎゃ、という、骨と肉を無理やり砕く音が森に響いた。

そして。


ばぁん!


木に二頭の森狼が叩きつけられる。

いや、残骸となった肉片と言った方が正しかろう。


「へ?」


何が起きたのか分からない。

目の前の少女の手には、いつの間にか彼女の背より遥かに大きい斧が在った。


「頭、上げない方がいいよ。」

「え。」


指示されて、一瞬思考が止まる。

が、その言葉の意味を理解し、男性は両手で頭を庇って地に伏せた。


「よいしょ。」


左手で石突の近くを、右手で柄の中ほどを持ち。

リベルはその場で、くるりと独楽こまのように一回転。


斧の刃から、魔力を孕んだ斬撃が放たれる。

それは視界を塞ぐ、森の木々を薙ぎ払った。


ずずずん……!


彼女の背より少し低いくらいの位置で、木々は伐採されて地に倒れる。


ぎゃうっ!


その轟音にかき消されるように、いくつかの狼の悲鳴。

哀れ、倒れてきた木に潰されたようだ。


「んー。あと二十五?」


リベルは、ぽつりと呟く。

彼女が示した数字は、この場に残る自身と男性以外の哺乳類の数だ。


リーダーと思しき森狼が切り株の上に躍り出た。


ワオォーン!


遠吠えに応じ、周囲の気配が猛烈な速度で動き出す。


隠れ蓑を失った森狼、だが彼らは退かない。

仲間を討たれて激昂しているのだ。


竜巻のように旋回し、二人を籠の中に捕らえる。

気配は混濁し、正確に位置を捉える事は困難。


自身よりも大型の魔獣すら倒す、必殺の技。

これこそが、狼達の最大の戦術だ。


ガァッ!


竜巻から一頭の森狼が飛び出た。

その爪牙は、仲間を害した少女を狙う。


「よっ。」


斧の刃が煌めき、右から左へ横一閃。


飛び掛かってきた狼の肉体が、口角を基準に上下に分かれる。

完全に真っ二つになったそれは、どちゃり、と大地に転がった。


グルァッ!


仲間の死を囮に、死角となる右後方から一頭。

リベルの腹を目掛けて噛みつきにかかる。


「はっ。」


左へ振り抜いた斧。

そのまま左手一本の力で、背中側を通す形で狼に向かって投げつけた。


石突が狼の体にめり込んだ。

ギャッ、という悲鳴が狼の口から漏れる。


右方向へ飛んでいく斧、その刃の反対側に付いている取っ手を右手で握った。

勢いそのままに、狼の体にめり込んだ斧の柄をこじる。


「えいっ。」


右手一本で、それを前方へ振り抜いた。

石でも投げるかのようなフォームである。


先端に付いていた森狼が飛んでいき、切り株に衝突。

それを粉砕し、肉と骨、木片と化して彼の仲間に襲い掛かった。


数頭が巻き込まれて、その一ヶ所だけが血にまみれる。


「あと、多分二十。」


森狼の行動を阻害した彼女は、そう呟いて攻勢に出る。


先端の槍部分で大地を削るように、再び斧を右から左へ振り抜いた。

ジャッ、という擦れる音と共に、衝撃波が大地を粉砕する。


その衝撃の波は大地を、切り株を、そして狼達を破砕した。

吹き飛ばされた物の残骸が宙に高く舞い、バラバラと降り落ちてくる。


「あと、八。」


持ち手を変え、右手で石突付近を、左手で柄の中腹を持つ。

背後の切り株の影に隠れる狼達を目掛けて、斧を振った。


空間ごと切れたかと思うほどの斬撃。

切り株も狼も大地も、無事だった樹木も両断する。


一瞬遅れて全てが、ずるり、と右に滑り落ちた。


「残り、一。」


元の方向へ向き直り、右手一本で斧を水平に持つ。

その穂先が指すのは、森狼たちのリーダーだ。


仲間は全滅した。

人間ならば、先の盗賊のように逃げ出してもおかしくはない。


だが、彼は違った。

誇り高き狼ゆえに。


ワオォーン!


仲間へ贈るように、大きく遠吠えを一つ。

そして彼は敵へと跳ぶ。


切り株を渡り、左右へ動き、狙いを定めさせぬように。


正面。


後ろ。


右。


左。


そして、彼は最後の勝負に出た。


前後左右、どこから?


だがしかし、リベルは見切っていた。


「うん、良いね。」


上。


太陽を背にする形で、彼は少女に襲い掛かる。

それに対して、恐れるでも驚くでも無く、彼女は小さく笑った。


がずんっ!


斧が六時から反時計回りに一回転。

脳天に超重量の一撃を食らった森狼のリーダーは、そのまま大地へ叩きつけられた。


彼の体は真っ二つ。

その目からは光が消えていた。


「うん、ゼロ。お~わり。」


斧を消滅させてリベルは、ぐいーん、と大きく伸びをした。


「な、な、な……………。」


彼女の足下では、助けられた男性が驚愕していた。







報酬などいらなかった。

だが無理やりに押し付けられて、リベルはそれなりの金額を手にする。


そのお金で買った球パンサンドイッチを手に、彼女は村を後にした。

また来いよ!という、酒場の店主の言葉を背に受けて。


のんびりと道を行く。


「分かれ道、どっち行こっかな。」


左と右。

リベルは見比べる。


「んー、こっち。」


適当に左を選び、彼女は歩を進めた。

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