友人A
財前は遅刻魔だ。お決まりの通知が来たからすぐにOKとサムズアップするスタンプを送った。これで三十分遅れようものならしっかりと注意してやるのだが、あいつの"少し遅れる"というのは本当に五分、十分だからたちが悪い。累計遅刻時間で考えればかなりの悪人だが、一回あたりの不快感は少ないから印象に残りづらい。遅刻のチキンレースでもしているのだろうか。
今日は思っていたより暑い。同窓会の会場はなかなかへんぴな場所にあって物理的には近いが、電車で行くには最寄り駅から路線一大きい駅で乗り換える必要がある。西日がホームの屋根の隙間から差し込んできて眩しい。喉が渇いたので構内のコンビニに寄った。さっとお茶を手に取り、会計を済ませてあいつが見つけやすいように階段前に陣取る。
毎回遅れることが分かってるようなものだからいつもより丁度遅刻する数分だけ後ろにずらしたことがある。けれどいつも通り同じメッセージが来たからその一回でやめにした。
「今どこ?」
と送ると
「もう駅着いてる」
と素早い返事。買ったお茶を飲みながらぼんやりする。
「すまん、遅れた」
息を切らしながら奴がやって来た。電車はたった今、出発したところだった。
「宮本武蔵の生まれ変わりかよ」
嫌味を一つまみするくらいの権利はあるだろう。財前は苦笑いした。
クラスメイトだった頃、話かけてくれるのはいつだって財前の方だった。その時はリーダーシップがあって凄いなと思っていた 。受け身のコミュニケーションばかりだった私は、積極的に話しかけてくれる財前を尊敬していた。高校に入ってからは、会う機会がなく、地元でも見かけなかったが、高二の夏たまたま地元の夏祭りで一人で回っていたところを見かけた。俺は咄嗟に話しかけた。それ以来、定期的に連絡を取り続けている。もう五年前くらいのことで何を話したかなんて忘れたけど、一つ覚えているのは今と変わらない濁った目をしていたことだ。
「みんなどんな感じになってるかとか気にならん?」
今は俺が話を振る側だ。財前は少し俯いた後、
「あんま楽しみじゃない」
とこの話題を終わらせるように言った。
「皆と会うのが怖い?」
反射的に言葉が飛び出た。
「今の自分を皆に見せるのが怖い」
やはりそんなところか。中学の同級生で連絡を取っているのは俺だけというのは以前聞いていた。それに地元の成人式でも財前の姿はなかった。つまり卒業式ぶりに会う人ばかりってことだ。相槌を打ちながら次の言葉を必死に探すが、財前は続ける。
「皆自分に何があったとか、最近どうって絶対聞いてくるし。昔くすぶってた奴に嘲笑われる気もする」
自嘲気味に零した。二人で話すようになってから意外と繊細な奴なことが分かってきた。その細い糸を切らないように言葉を選ばなければ。恋人が出来てからその大切さを学んだ。
「でもさ、もしかしたら気づかれないほうが辛いんじゃないの。そうやってずっと一人で抱えてさ。確かに話す瞬間は痛いかもしれんけど、終わったらスッキリすると思うなー。まぁ話す相手は考えたほうがいいとは思うけども」
何万回と擦られてきたであろう言葉を投げかける。これなら大丈夫だというラインを狙った。すると財前は立ち止まって、
「なるほどね」
と零した。どうやらかける言葉を間違えたみたいだ。次はどう話そうかと財前の方を向き直ると、彼は叱られた子供のように背中を丸めて立っていた。それを目にした時、自分が長い間忘れていた何かが心の真ん中にせり上がってきた。分からないふりはできそうになかった。
久々に財前に会ったときは驚いた。けれどずっと前を走っていた財前が立ち止まっていたのは少し嬉しかった。高い次元で悩んでいることは想像できたけれど、あいつだって打ちのめされるんだと分かって安心した。俺はあの日から狡い奴になってしまった。
車内は大きな鞄を背負った学生や定時帰りのサラリーマンがほとんどでクーラーを打ち消すような暑さが漂っている。俺は罪悪感に駆られ、ぎこちない話し方になっていた。財前は平常運転だ。仕方ないので温存していた新作ゲームの話題を取り出す。財前もゲームの話になると食いつくようで数分前の垂れた背中とはまるで別人だ。気まずい空気を流せて安心した。けれど俺はずっとホームでの会話を忘れないように頭の中で復唱していた。
「横のサラリーマンっぽい太ったオッサンがさぁ、顔色一つ変えず立ってんの見て初めて尊敬した」
財前はデフォルトの姿に戻っていた。
「自分の親父もあんな感じでよくごろごろしててかっこ悪い親父やわ、て思ってたけど頑張ってたんやな」
返ってきたのは小さな相槌だけだった。どうやら社会人間近トークも違うみたいだ。高校から半年に一回くらいのペースで遊んでいるがほぼゲームやアニメ、漫画の話でそれ以外の話をしようとしない。何なら話してくれるのかと大学やバイト、恋愛の話などを試したものの、大抵話を逸らすか、今みたいに黙り込んでしまうかだ。
「何を考えてんのか分からんわ。なんか思うことあるから今日来たんやろ、腹割って話そうや」
もどかしくなって言ってしまった。財前は何かを呟いたが、夏の音にかき消されてしまった。
「じゃあ、俺が今日思い出したこと話すわ。夏祭りでたまたま会って話したときめっちゃ嬉しかってん。あんなに前行ってた財前が悩んでたの。順調そうな奴だってもがいてるんやって。自分も頑張ろうって。でも心のどっかで優越感をさ、感じてたと思うねん。今ならお前を抜いたんじゃないかって。だからずっと今までお前のこと無意識に見下しながら接してたと思う。ごめんな」
「別にそれ俺に言わんで良かったんじゃないの?」
財前は驚いた表情で見つめてくる。
「確かにそうなんやけど、今言わないとずっと言えへんままやと思ってん。だから衝動的に言っちゃったよ」
少しおどけてみせる。そのまま続けて、
「だからさ、俺不義理なことしたから罪滅ぼしさせて欲しい。今日なんで来たのか教えてくれ。俺も一緒に考えるから」
どんな返事をするのだろう。
「無いよ。今日だって本当は行きたくなかったよ。でもさっきも言ったけど自分が居ないところで何か話されるの嫌やん。だから渋々来たんやって」
財前はいつもより大きい声量でそう言った。
「上手く取り繕うよ。大丈夫、俺結構そういうん得意やから。」
隠し事は昔から苦手だったろ。
「取り繕ってんのバレたらどうすんの?」
「そのときは正直に打ち明けるよ、がっかりされそうで嫌やわ」
飄々と言ってのけた。やっぱり傷つくのが怖いんだな。気持ちは分かる。でもそれなら尚更、今日の絶好の機会を逃しちゃいけないと思うんだ。
「やっぱりお前、今日にちょっと期待してたんやろ。本当は気づいて欲しいんじゃないん?強い自分を演じている今の弱い自分を。自分から言ってガッカリされるのが怖いんやろ?それでもし気づいてくれたらそのときは打ち明けよう、みたいな逃げ腰な態度じゃ変わるきっかけにはならんと俺は思うぞ」
言い終えたときには道端で立ち止まっていた。人生で一番強い言葉を使った。落ち着くためにお茶を飲みながら財前の反応をじっと待つ。少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「そう、怖かってん。だから他人に委ねたかった。流れに身を任せたかった。そうすればもし傷ついても自分の意志じゃなかったって言い訳できる。もう一つ言うと、俺の虚勢を見抜いた人だったら優しく接してくれると思った。」
財前は用意していたかのようにすらすらと言葉を並べていく。
「なるべく傷つかずに、でも気づいてくれてもいい、みたいな都合のいい作戦を思いついたんやな。じゃあさ提案あんねんけど、一緒に頑張らん?実は俺も結構緊張しててさ」
財前は俺を信頼して、認めたくなかったはずのことも教えてくれた。今度は俺が応えないと。
「んー、じゃあそうしてみよかな」
行き交う車に負けない大きな声でそう言った。少しにやけていた。
「じゃあどうするか考えよか」
額の汗も拭かず、作戦会議を始めた。
「明日からの自分が楽しみやな」
少し元気な声でそう言った。昔の楽観的な性格が戻ってきている。
「そんなすぐ変わるわけないやろ」
「それもそうか」
分かりやすくしょげてしまった。これで急に気を変えられても困るのでフォローしておく。
「まぁでも絶対に明日頑張れるパワー貰えると思うから。それがまた明後日のパワーを生むからさ、案外お前の言っていること間違ってへんかもな」
チラッと横を見ると満足そうな顔している。お面を付け替えているような喜怒哀楽も印象的だったなと心の中で懐かしむ。もう結論は出ているじゃないか、そう言ってしまおうかと思ったけれど、あっちで話している間に気づいた方が驚くだろうな、と悪知恵が働いたからこの答えは酒の肴に取っておく。
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