第16話 サムゴの月の不思議

今日は橋げた設置の補助仕事の予定だったが、朝から大雨で中止となった。念のために一応現場へ向かおうとした直前、連絡用の小型の使い魔が玄関ベルを鳴らし工事の中止を告げていったのだ。


使い魔による通信は、手紙よりも早く魔法電信よりは遅いという位置づけにあり、料金も両者の中間となっている。また手紙と魔法電信で返信が必要な場合は、それぞれ自分でアクションを起こさなければならないが、使い魔であればその場でかなり長い返信を彼、または彼女に託せるので便利と言えば便利である。


しかしボクは、使い魔通信が苦手だった。この手段に用いる使い魔は、それなり以上に知性が高い主に羽が生えた人型の妖精となる。また往来の妨げになるのを防ぐため、大抵は12~3センチと小型の者が使われる。


使い魔はそれを使役する魔法使いと法令に基づいた契約を結んでいるので、強制労働させられているわけではない。しかし通常の郵便業とは違い、明らかに”小さくひ弱な存在を扱き使っている”印象が強いのだ。


そんなわけで今日は、急に一日暇となった。


間近に迫ったダンジョン探索の準備もほぼ済んでいるので、これといってやる事もない。むしろ何か予定外の事を行う事により、それが元でダンジョン探索時に万全の態勢で臨めなくなる方が怖かった。


どうしようかと考えあぐねたが、屋外では大雨が猛威を振るう中、思索にふける事を楽しもうとお茶を入れ安楽椅子に身を委ねる。


サムゴの月は他の月と違い第29日目までしかない。これは単純に天文学と暦における整合性の問題なのだが、迷信深い人たちの間では”実はサムゴの月にも第30日と31日があるのだけれど、人々はこの二日間を過ごした記憶を失くすのだ”とまことしやかに語られている。


サムゴの月の第29日目から翌月の第1日目の間に奇妙な出来事が起こった時、たとえば人が急にいなくなったとか、庭の石の位置が突然移動したとか、そういう事があると”記憶を失くした日々に、何かがあったに違いない”と理由づけをするのである。


またお調子者は”お前に借りた金は、第30日に返したよ。忘れちまったのかい?”などと言い出し、あわよくば返済を免れ、そうでなくとも期日を延期させようとしたりする。


もちろん他愛のない迷信である事は分かっているが、こんな風に考えると楽しいかも知れない。


第30日と31日を過ごす時、それらの日の記憶が無くなる事を皆知っている。だから普段は言えないような事、やれないような事を行っているに違いない。望みのない恋の告白、普段は逆らえない上司とのケンカ、果ては仕事をさぼって小旅行などなど……。そうやって一年の間に二日だけ、好き勝手をやって日ごろのストレスを解消しているのだ。


ただそう考えると、ボクはその二日間に何をやっているのだろうか、普段はそこそこにしている酒を浴びるように呑んだり、かねてから気に食わない奴にケンカを吹っ掛けたり……。でも大それた事はしていないだろうなぁ。万が一、その年に限って記憶が残っているかも知れないって考えるだろうから。


まぁ、こんなだから姉のサンシックや弟のボイルには「小心者」とからかわれるのだけれども。


ただ、ボクは姉の様な裏組織の頭領ではないし、弟の様な武闘派の放浪者でもない。堅実な生き方をしている一庶民なのだ。小心者のどこが悪いかと、自分自身に言い聞かせる。


ただ、もしかしたらオリジンは、その二日間の記憶が保たれる魔法を会得していて、誰の記憶に残る事もなしに、この世の歴史に干渉すべく暗躍を続けているのかも知れない。だったら、ボクら兄弟が彼を見つけられないのも無理のない話になるのではないか……。


そんな取りとめのない想像をしている内に、いつしか収まってきた雨音の心地良いリズムも手伝って、気づかぬ内に意識は遠のき深い眠りに陥ってしまう。目が覚めると陽は既に落ち、ランプがなくては辺りが見えない暗さになっていた。


こんな事で生活のリズムを崩しては、ダンジョン探索に支障をきたすかも知れない。今日は眠りの魔法を使って狂い始めたリズムを元に戻す事にしよう。思索を楽しむどころが、とんだマジックエッセンスの無駄遣いになってしまったようである。

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