第10話 妃教育
わたしは表面上はルキアン様の婚約者になったので、妃教育というものが始まった。
せっかくルキアン様からルェイン大帝国の歴史や文化について学んでいたのに終了してしまうことになり、とても残念だったけれど。でも、妃教育が開始したおかげで、ある御方にお会いすることが出来た。
妃教育の授業を受ける場所は、紫雲木の宮だ。
皇后様――つまりルキアン様のお母様のお住まいの屋敷である。
皇帝陛下とお会いした時には皇后様とお会い出来なかったが、紫雲木の宮へ初めて訪れた時にその理由が分かった。
皇后様はルキアン様を妊娠中に呪いが譲渡された影響で、あまり長い時間起き上がることが出来ないのだ。
「本日もご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします、皇后様」
「うむ。本日も逃げずによく来たな、シェリ姫」
皇后様は燃えるように赤い髪とぱっちりとした黄金の瞳を持つ、迫力のある美人で、獅子族の丸みを帯びた耳を頭頂部に生やしていらっしゃる。
以前ルキアン様の紅い瞳はお母様譲りなのかな、と思っていたが、そうではなかったらしい。たぶんご先祖の中に紅い瞳の方がいらっしゃって、それがルキアン様に隔世遺伝したのかもしれなかった。
皇后様はお付きの方に車椅子を押してもらい、わたしのほうへと近付いた。
そして、たたんだ扇を指揮棒のように振りながら指示を出す。
「ではシェリ姫、ルェイン大帝国のお辞儀の仕方を復習しようか。三種類の礼を各千回ずつだ。始めっ!」
「はいっ!」
皇后様は皇帝陛下とご結婚なされる前、獅子族の里で女性戦士として活躍されていたらしく、授業はとても肉体派だ。
「礼儀はすべて筋肉に覚え込ませろ。そうすれば己の脳がとっさの判断が出来ずとも、体が勝手に動いてくれるはずだ」とのこと。
この礼儀作法の時間が終わると、学問や芸事のお勉強に移るのだけれど、その頃には皇后様もお疲れになられ、ご自身の寝室へとお戻りになる。
「けっしてシェリ姫に勉学を教えたくないわけではないのだがな、私自ら教えてやりたい気持ちはあるのだがな!? まぁ、私よりもっと頭の良い女官とかが良いだろう。わはは!」……だそう。
体調が理由であるはずなのに、どうしてか皇后様の言動は典型的な
本日も礼儀作法の時間が終わると、皇后様は寝室へと戻ろうと女官に声を掛けようとして――、わたしの方へと振り返った。
「たまにはシェリ姫に寝室まで送ってもらうか。姫、車椅子を押してくれ」
「はい。かしこまりました」
皇后様の寝室へ向かう長い廊下を、車椅子を押しながら進んで行く。
わざわざこうしてわたしとの時間を作ったのだから、皇后様から何か大事な話があるのだろうと思ったのだけれど、特に何もなかった。
ただ、「最近ルキアンの体の調子が良いらしく、久しぶりに私に会いに来てくれた。シェリ姫のおかげだ」とか、「ルキアンの呪いの発作を抑え込んでくれてありがとうな、シェリ姫よ」などと話してくださった。
今まではルキアン様のほうも伏せがちで、皇后様もこの紫雲木の宮からなかなか出ることが出来なかったので、母子で会える時間が少なかったのかもしれない。
わたしがルキアン様の呪いを吸収することが出来るのは、わたしがルキアン様の逆鱗だからだ。
わたしの努力や才能ではなく、ただ運命より備わっていた力だというだけのこと。わたし自身は特に何もしていない。
けれど、こんなふうに皇后様が喜んでくださっているのを聞くと、わたしも嬉しくなる。
キラ皇国では何も役に立たなかったわたしだけれど、ルェイン大帝国では役に立つ人間でいられて誇らしい。
「お、そういえばシェリ姫が紫雲木の宮のこんなに奥まで来たのは初めてだろう。そろそろ廊下の窓から、ご自慢の紫雲木の大木――ジャカランダがよく見えるぞ」
「ジャカランダ? ですか?」
「枝に青い花をたくさん咲かせる、とても美しい木だよ」
皇后様がそう言い終わらないうちに、廊下の大きな水晶硝子の窓を通して、不思議な青い花をぎっしりと枝々に咲かせるジャカランダが目に飛び込んで来た。
「わぁ……! とっても綺麗な大木ですね……!」
「そうだろう? 一年中咲いていて、いつでも花見が出来るんだ」
釣鐘型の青い花を見上げながら、わたしは尋ねる。
「もしかしてこのジャカランダも、銀木犀の宮の大木と同じ『狂い咲き』なのですか?」
「ああ、そうさ。白銀城の四大『狂い咲き』大木だよ。東の青いジャカランダ、南の赤い紅梅、中央の黄色いイチョウ、西の白い銀木犀だ」
「そうなのですね。それだと北側には何もなくて、ちょっと寂しいですね」
「北か? あそこには黒い古い石碑が一つあるくらいだなぁ。確かに東西南北に中央で『狂い咲き』の大木が揃っていれば、面白かったよなぁ。わはは!」
皇后様とそんなふうに廊下を通り過ぎようとした、その時。
ジャカランダの大木の影から、一人の少年が立ち去っていく後ろ姿が見えた。
あの黒髪は、もしかしたら銀木犀のところで会った少年かもしれない。
わたしが車椅子を押す手を止めてしまったので、皇后様が「どうした、シェリ姫?」と首を傾げる。
「いえ、すみません。ジャカランダの木の側に少年がいたのが見えたものですから……」
「少年? どこかの文官見習いか、下働きだろう」
「あの、皇后様」
わたしはあの黒髪の少年がどうしても気になってしまい、皇后様に尋ねることにした。
「この白銀城にいらっしゃる皇族の方で、ルキアン様と同じ紅い瞳を持つ少年って、どなたでしょうか? 黒い髪をした……」
「ルキアンと同じ紅い瞳? そんな者はおらんよ。ルキアンは本当に珍しい先祖返りで、始祖王と同じ瞳をしておるのだ。確か、ここ数百年はいないはずだ」
「……そうなのですか」
では、一体あの黒髪の少年は誰なのだろう?
他の種族の中にも、紅い瞳の者がいるのだろうか。
わたしは考え込んでぼんやりとしてしまったが、皇后様に「シェリ姫、前進!」と言われて、慌てて車椅子を押した。
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