第8話 玉座の間



 ルェイン大帝国の皇帝陛下がお住まいになる白銀城は、その名前の通り真っ白な壁と銀色に照り輝く瓦屋根で造られた、とてつもなく大きなお城だった。

 わたしが訪れたことがあるお城はキラ皇国の皇城だけだが、それよりも何倍も大きい。

 ルキアン様がご自分の宮をとても小さいと思い込んでいたのも、白銀城が身近にあるのだから仕方がなかった。


 わたしは本日、ルキアン様のお父様である皇帝陛下に初めてお目通りをすることになっている。

 正直、とても怖い。

 キラ皇国の陛下にお会いする時の何倍も恐ろしく感じるのは、わたしがルキアン様のお父様に気に入られたいという下心がどうしてもあるからだ。

 だってわたし、ルキアン様のペットだもの。ご主人様のご家族にも気に入ってもらいたい。ルキアン様のお傍にいることを黙認していただきたい気持ちでいっぱいだ。

 皇帝陛下に気に入られるような芸を習得しようと思い、お目通りが決まってから宙返りや歌やルェイン大帝国の盤上遊戯を練習し始めてみたが、まだうまくいかない。まともに披露出来そうなものは相変わらず掃除や草むしりくらいだが、それを皇帝陛下にお見せするわけにはいかないだろう。

 笑い方もまだまだ下手なので、わたしには愛嬌すらなかった。詰んでいる。


「大丈夫か、シェリ?」

「はいっ!!!」


 緊張しているわたしのことを心配して、ルキアン様はお声を掛けてくださったのだろう。

 けれどルキアン様のお声に驚いて、わたしの返事はとびきり大きくなってしまった。思わず穴を掘って隠れてしまいたいほどに恥ずかしい……。

 ルキアン様のお側に立っているクローブさんが、口元に手を当てて表情を隠しながら「ブハッ」と声を漏らした。完全に笑っていらっしゃいます……。


「そこまで緊張すると、シェリの心臓が持たないぞ。お前は人間の国では名家の娘だったのだろう? 礼儀作法に違いがあれど、シェリが無礼を働くようなやつだとは、俺は思っていない。いつも通り丁寧な態度で、相手と向き合えばいいんだ。俺の父上であっても」

「ありがとうございます、ルキアン様……」


 今度はものすごく小さな声になってしまった。


 ルキアン様はわたしをさらに励ますように、明るく笑う。


「シェリはいつも可愛かったが、今日のシェリはいつもより綺麗だ」


 ルェイン大帝国の女性の衣装は、釦のない上衣に、お腹の辺りを紐で結ぶタイプのゆったりとしたスカートなのだが、皇帝陛下にお会いするために、ジャスミンさんがいつもより豪華な衣装を持って来てくれたのだ。白い上衣には色鮮やかな花々の刺繍が刺され、スカートはわたしの髪色に合わせたような水色だった。

 ジャスミンさんにお化粧をしてもらい、ロドリーさんから頂いた庭の生花を耳元に飾れば、ルェイン大帝国ふうのご令嬢の姿である。


 自分でもこの衣装をとても気に入っていたが、そんなふうにルキアン様から褒められると、いくらペットの身分であるわたしもドキッとしてしまう。

 ご主人様だとはいえ、ルキアン様はわたしと同じ年の少年なのだから。それも、とても美しい皇子様なのだ。


「あ……りがとう、ございます。ルキアン様もとても素敵です」


 ついでのような形でルキアン様の装いを褒めてしまったが、実際、ルキアン様はとても素敵だった。

 いつもはもっとラフな衣装を身に纏っていらっしゃるが、今日は白地に金の刺繍が入った丈の長い上衣と、ゆったりとした紅いズボン、それから長い羽織を羽織っていらっしゃる。ふだんは一本の三つ編みに結っているルキアン様の長い銀髪は背中にそのまま垂らされ、宝石の付いた髪飾りで彩られていた。

 なんとも優雅なお姿である。


「そうか、ありがとう。銀木犀の宮の外では俺も、皇太子らしくあらねばならないからな」


 ルキアン様はそう言うと、白銀城の入り口を仰ぎ見る。


「では、シェリ。そろそろ時間だ。父上の元へ参ろう」

「はいっ、ルキアン様」


 クローブ様を付き従えて歩き出したルキアン様に遅れないように、わたしは一歩を踏み出した。





 案内されたのは豪華絢爛な玉座の間だった。

 一段高いところにある玉座にはすでに皇帝陛下がいらっしゃり、わたしはあらかじめ教わっていたルェイン大帝国ふうの礼をする。わたしはもうキラ皇国の人間ではなく、ルキアン様に拾われたペットなので、ルェイン大帝国のマナーを順守することに躊躇いなどなかった。


「ルキアン、面を上げよ」

「はっ」


 わたしの前に立つルキアン様に向けて、皇帝陛下がお声を掛ける。その声は低かったが、なんとなくルキアン様のお声に似ているような気もした。


「先日、お前から届いた文を読んだ。実に面白い内容だった。で、そこにいるのが下界から来た人間の少女で、お前の逆鱗というわけか?」

「はい、父上。名をシェリと申します」

「この場でシェリの『逆鱗の証』を余に見せることは可能か?」

「問題ないかと思います」

「そうか。シェリよ、面を上げよ」


 わたしは「はい」と返事をし、ゆっくりと顔を上げる。

 そこでようやく、皇帝陛下のお顔をハッキリと確認することが出来た。


 皇帝陛下のご年齢はよく分からないが、十三歳の息子がいらっしゃるとは思えないほど若々しく、ルキアン様によく似た端整なお顔立ちをしている。

 銀色の髪はスッキリと結いあげられ、宝石が簾のように縫い留められた黒い帽子を被っていた。その間から覗く瞳は蒼かった。ルキアン様の紅い瞳は、もしかしたら母親似なのかもしれない。

 銀龍の刺繍が入った礼服は闇のように黒く、皇帝陛下の威厳をさらに強めていた。


「シェリ、お前の『龍の逆鱗の証』を見せよ」


 皇帝陛下にそう命じられ、わたしは戸惑う。りゅうのげきりんのあかしとは、一体何かしら……?


 わたしの動作が止まったことに気付いたルキアン様が、詳しく説明してくださる。


「シェリ、お前の胸元の紅い石のことだ。少し胸元を広げてくれ」

「は、はい!」


 あの宝石のことかと思いながら、わたしは上衣の合わせ目に手を掛ける。

 令嬢として育ち、修道女として修道院で過ごした経験から、他人の前で衣類を寛げることは恥ずかしいという感情もあったけれど。淑女として守らねばならない部分はギリギリ見えないし、なによりルキアン様と皇帝陛下のご命令なのだから、ペットとして従うまでだ。


 ようやく何をお見せしたらいいのか理解したわたしの様子を見て、皇帝陛下が「なんだ、ルキアン。シェリに何の説明もせずに連れて来たのか?」と呆れたように尋ねた。


「申し訳ありません。……俺自身、逆鱗が現れたことに戸惑っておりましたので」

「要は恥ずかしがっていたということか。思春期の少年気取りか? ……いや、まだお前も十三か。確かに思春期だったな」

「それより父上、ご覧ください。シェリの証です」


 わたしの鎖骨の下に輝く、大きな赤い宝石を見て、皇帝陛下は「ほぅ」と頷いた。


「確かにこれは『龍の逆鱗の証』だな。ルキアンのもので間違いないのだろう。もう閉まっても良いぞ、シェリ」

「はい」


 わたしが上衣を直すと、皇帝陛下が玉座から立ち上がった。


「ルキアンのやつがお前に何の説明もしていないようだからな。それも含めてじっくり話す必要があるな。場を移し、茶にしよう」


 皇帝陛下がそうおっしゃったので、わたしたちは玉座の間から別室へと移動することになった。

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