第7話 龍の逆鱗



 生まれた時からわたしの胸元にある、紅い宝石。

 どうしてこんなものが埋まっているのかも分からず、使い道さえ知らなかったその宝石が、眩く光り輝いた。

 あまりにも眩しくて目を閉じてしまいたかったが、ルキアン様が心配で、どうにか目を細めて事態を確認する。

 わたしの胸元の輝く宝石は、ルキアン様の体を覆っていた大量の黒い靄をどんどん吸い込んでいき、しまいにはすべてを吸収した。紅い宝石の中で黒い靄が不気味に渦巻いているのが見える。

 この黒い靄は何だったのだろう?

 私の宝石の中に入ってしまったが、宝石の見た目が変わっただけで、私自身は体調不良等の変化は特にない。


「……うぅっ」


 不可思議な現象に自分の胸元ばかり見てしまっていたが、ルキアン様が声を上げた。

 先ほどまで苦しんでいたルキアン様の表情はすっかりと和らいでいて、ゆっくりと瞼を開けた。

 涙で潤んだ紅い瞳が、わたしを見上げた。その時わたしは初めて、ルキアン様の瞳の色とわたしの胸元の宝石の色が同じ紅だということに気が付いたが、切迫した現実の中ですぐに忘れた。


「しぇり、か……?」

「ルキアン様っ! ご無事ですかっ!?」


 わたしは牀の縁に縋りつき、ルキアン様の顔を覗き込んだ。

 彼のどんな不調も見逃さないという気持ちで、顔の筋肉の動きや体の動きを観察する。苦しんでいた先ほどとは違い、すっかり落ち着いた様子だった。


「どこか苦しいところや痛むところはありませんか、ルキアン様!?」

「……あぁ。あれほど苦しかったはずなのに、今は和らいでいるようだ」


 ルキアン様は自分の体を確認しながら言う。

 そしてわたしに尋ねた。


「先ほどの紅い光は、シェリか?」

「はっ、はい! どうして光ったのかは分かりませんが……」


 わたしはそう言いながら、衣服の合わせ目に両手を掛けて、ぐいっと開いて見せた。

 ルキアン様は一瞬「シェリ、何を……!」と顔を赤くされたが、すぐにわたしの鎖骨と胸との間にある紅い宝石に気が付き、目を見開いた。


「わたしの体には生まれた時から、このような物が埋まっているのです。これがなぜか光りました」


 ルキアン様の体から出ていた黒い靄を宝石が吸い込んだことを話し、今も宝石の中で渦巻いているそれを示すと、ルキアン様は両手で頭を抱えた。


「……『逆鱗』か」


 ルキアン様は唸るみたいに何事かを呟く。

 わたしの耳が拾えたのは途中の「そういうことか。完全に呪いが消えたわけではないだろうが、だいぶ……」という、ルキアン様が何かに納得したようなお言葉だけだった。


 ルキアン様は真っ青な顔でわたしを抱き締めた。


「すまない、シェリ。お前が私の逆鱗だったとは気付かなかった……。その上、お前を俺の呪いに巻き込んでしまうとは……。本当にすまない! そんなつもりなどなかったのに……!」

「ルキアン様……?」


 謝罪ばかりで話が見えないが、今分かることは、ルキアン様が抱えていた何らかの事情に偶然とはいえということだ。

 それは、ちっとも嫌なことではなかった。

 むしろ嬉しいとまで思ってしまう。

 ルキアン様がわたしの苦しみに触れてくれたように、わたしもこの方の苦しみに触れたかった。そして役に立ちたかった。どのような形でも。


「まだルキアン様が抱えられている事情は分かりませんが、巻き込んでいただけて、わたしは嬉しいです。だってルキアン様はわたしのただ一人のご主人様だから」


 わたしがそう言ってルキアン様の背中を撫でると、彼は戸惑ったような表情をしてから、ゆっくりと笑った。


「……そうか。確かにお前は俺の逆鱗なのだな。その心の在り方までもが」

「はい? それはどういう意味でしょうか、ルキアン様?」

「いや、いい……。シェリ、ありがとう。お前のおかげで助かった。まだ一時かもしれんが」


 ルキアン様はわたしの体から腕を離すと、わたしの頬に手を添えて、気遣わしげにこちらの顔を覗いてきた。


「シェリには何か不調はないか? 痛みや吐き気は……」

「いいえ。ちっともありません。わたしは変わらず元気です」

「……そうか。なら良かった。お前が苦しんでしまったとしたら、俺は俺を許せそうにないからな」


 ホッとしたように呟いたルキアン様は、わたしの衣服の合わせ目に手を滑らせて、胸元に埋まっている紅い宝石に触れた。


「これが俺の逆鱗か……。中で俺に掛けられた呪いが渦を描いているのか。一体どういう状態なのか……」

「あっ、あの、ルキアン様……!」


 ルキアン様はわたしのご主人様なので、ペットとしてはどこに触れられても喜ぶべきだと思うのだが。乙女としての恥じらいがどうしても湧いてきてしまう。

 そんなわたしに気付いたルキアン様は、真っ赤に照れて手を離した。


「すっ、すまん、シェリ! 今のは純粋な探求心だったが、女子のお前にするべきではなかった……!」

「い、いえ……」

「とっ、とりあえずクローブとジャスミンを呼んできてくれ」

「はいっ、承知いたしました」


 ジャスミンさんはすぐに呼べるけれど、クローブさんは白丁花の宮へお出掛けになってしまったので、申し訳ないけれど庭師のロドリーさんに呼びに行ってもらおう。わたしでは白丁花の宮がどこにあるのかも分からないから。


 体調が良くなったルキアン様に水差しに用意されていた水を渡してから、わたしはジャスミンさんとロドリーさんの元へ向かった。





「それで、シェリの体に『龍の逆鱗』が存在していたとおっしゃるんですか、ルキアン様? それも、あなたの色である『紅い逆鱗』が?」

「ああ。その通りだ、クローブ」


 俺の言葉がまだ呑み込めないらしいクローブは、祖母であるジャスミンの顔を見つめ、「おばあ様は何度かシェリの着替えを手伝ったことがありましたよね? 本当に逆鱗があったんですか?」と詰め寄った。


 ジャスミンは小首を傾げながら答えた。


「シェリの胸元に何か大きな紅い宝石がくっついているのは知ってましたけれどね、あれが『龍の逆鱗』だとは私は知りませんでしたよ。下界の人間たちの馬鹿な流行かと思っていたくらいで」

「おばあ様だって『龍の逆鱗』の話は知っていたじゃないですか!? それでも、シェリの逆鱗が理解出来なかったとおっしゃるんですか!?」

「ならばクローブ、あんたは『龍の逆鱗』の実物を見たことがあるというのかい?」


 ジャスミンは尖がった狐耳と大きな尻尾を不機嫌そうに揺らし、ルェイン大帝国に広く言い伝えられている『龍の逆鱗』の伝説を話し始める。


「〝龍族の者は、稀に運命の伴侶となる者と出会うことがある。その者は印となる『龍の逆鱗』を体に宿して生まれ、龍族に合わせた健康な体と長い寿命を持ち、お互いの欠けたるものを補い合う〟……そういう伝説だがね、肝心の『龍の逆鱗』がどんなものかは、まったく伝えられていないじゃないか。見ただけで分かるはずがないじゃないか!」

「ですが、おばあ様……!」

「家族喧嘩はそのくらいにしてくれ、クローブ、ジャスミン」


 寝台の上から俺が制止を掛ければ、二人は口論をピタリと止めた。


「クローブ、ジャスミンを責めるな。『龍の逆鱗』がどういう形状の物なのかは、全龍族の決定で公表されていないんだ。始祖王の時のように、自分こそが龍族の伴侶だと騙る偽者が現れては困るからな」

「申し訳ございません、ルキアン様」


 思い返してみればシェリに出会ったあの日、たまたまいつもより体調が良くて庭園内を散歩し、イチョウの庭まで辿り着いたこと自体が、俺にとっては珍しいことであった。

 俺がそのままイチョウの木の上で休んでいたら、閉鎖されたはずの『下界の門』からシェリが現れた。

 下界から人間が現れることが数百年に一度ほどあるとは聞いていたが、自分の目でその瞬間を見ることがあるとは思わなかった。

 俺の不自由な日々に突然現れた、不可思議な人間の娘・シェリ。

 あの子に興味を持ってしまうのは無理からぬことで、宮で飼うと決めた時は「どうせ下界から来た人間に行く当てなどないのだから、保護してやろうか」くらいの気持ちだった。


 そんな経緯で傍に置いたはずのシェリが、俺の逆鱗だったとは……。

 下界から来たわりにシェリと言葉が簡単に通じていることも謎だったが、そういう部分も逆鱗ならではの能力なのかもしれない。


「……これは正式に、父上に報告をしなければならないか」

「つまり、シェリをルキアン様の正妃にするということですか?」


 クローブの言葉に、「分からん」と俺は首を横に振る。


「下界の人間相手では、いくら『龍の逆鱗』といえど、貴族の反発があるかもしれない」

「そんなもの、言わせておけばいいではないですか」

「それに、まだ俺もシェリも十三だぞ?」

「数百年ほど前の皇帝陛下に、たしか当時五歳の『龍の逆鱗』と婚儀を挙げた方もいらっしゃいましたね」

「あれは皇帝であって、俺のような皇太子の身分ではない。……というか、なんだか乗り気だな、クローブ」


 まるで早くシェリを娶れと言われている気分になり、俺はクローブに尋ねた。


 クローブは狐耳をピンと立てて、真面目な調子で言う。


「シェリがルキアン様に掛けられた呪いをその身に抑え込んだのは事実ですから。正妃としてシェリを傍に置き、『龍の逆鱗』として備わった力をルキアン様に使ってもらわないと」

「それではまるで、シェリを俺の呪いのために搾取するみたいじゃないか」

「僕はルキアン様のほうが大事なので」


 きっぱりと言い切るクローブに、俺はつい苦笑してしまう。

 ジャスミンはそんな孫の様子に一言言うこともなく、むしろ頷いていた。


「クローブ、我が父上がおられる白銀城まで文を届けてくれるか?」

「承知いたしました、ルキアン様」

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