第6話 シェリの隠された能力



 わたしはロドリーさんからいただいたお菓子を持って、自室に戻った。

 水晶硝子戸を開け放し、縁側の下に置かれていたサンダルを履いて中庭へと下りる。


 お隣のルキアン様の部屋を外から覗いてみたが、無人のようだ。

 ルキアン様はこの部屋を寝室として使っていて、そのほかにも宮のあちこちに執務室や書斎やお昼寝部屋など様々な用途の部屋をお持ちだ。今もそのうちのどこかの部屋にいらっしゃるのだろう。


 もし寝室にいらっしゃったら、ルキアン様と一緒にロドリーさんからいただいたお菓子を食べようと思ったのだけど……。

 少しガッカリしつつも、わたしは中庭の真ん中にある銀木犀の根本へ歩いて行った。


 下から見上げると、とても大きな木だ。銀木犀の老木をキラ皇国でも見たことが無かったけれど、ルェイン大帝国でも建国時代の木が残っているのはかなり珍しいことなのだと、ルキアン様がおっしゃっていた。

「季節を問わず咲くような木だからな、相当強靭なのだろう」と、ルキアン様は笑っていた。


「この中庭の土の栄養がとても良いとかかしら……」


 わたしはそう独りごちながら、銀木犀の根元に腰を下ろした。

 膝の上にお菓子の包みを乗せ、紙を広げる。中には色とりどりの星の欠片が入っていて、思わず「わぁっ」と声が漏れた。

 ルェイン大帝国に来てからたくさんの異文化に触れたけれど、食べ物もキラ皇国では見たこともないものがたくさんあった。このお菓子もキラ皇国では見たことがない。とても素敵なお菓子だった。

 ピンク色の星の欠片を口に含むととても甘くて、噛むとシャリシャリと流れ星が流れるような音が聞こえた。純粋な砂糖の味がする。


「おいしい……!」

「そんなもの、子供向けの駄菓子だろ。声を上げる程のことか?」


 わたしが星の欠片に感動して呟けば、頭上から声が降ってきた。

 他の人がいるとは思わなかったので驚いたが、木の上から人が現れるのはルキアン様に続いて二人目である。もしかするとルェイン大帝国の人たちは木登りが好きなのかもしれなかった。


 銀木犀の古木から飛び降りてストンと着地したのは、黒髪の美しい少年だった。瞳はルキアン様と同じ紅色なので、もしかすると血の繋がりがあるのかもしれない。顔立ちもなんとなくルキアン様に似ているような気がした。


 わたしは慌てて頭を下げる。ルキアン様のお血筋の方ならば皇族だ。のんびりと座っているわけにはいかない。


「お初にお目にかかります。ルキアン様の宮に住まわせていただいている、シェリと申します。あなた様がこちらでご休憩をしていることに気付かず、大変申し訳ありませんでした。今すぐ、ここから立ち去りますので……」

「べつに、いい」


 黒髪の少年はぶっきらぼうな様子で答えると、わたしの顎を乱暴に持ち上げ、わたしの顔をまじまじと覗き込んだ。

 そのまま五分もわたしの顔を無遠慮に観察したかと思うと、パッと手を放す。


「もういい。私が出て行く」

「はぁ……」


 よく分からないまま、黒髪の少年の方が中庭から立ち去っていった。

 わたしはただ見送ることしか出来なかった。





 あの少年は一体どなただったのだろう?

 ルキアン様のご親戚、もしかしてご兄弟とか……? ルキアン様の口からは時折皇帝陛下の話が出るだけで、ほかのご家族のことは聞いたことがなかった。


 そもそも、あの少年はどうやってルキアン様の宮に入り込んだのだろう。

 宮の中の使用人はとても少ないが、宮の外には護衛の兵士がいて、さらには庭園を巡回している兵士もたくさんいると聞いている。わたしはタイミング悪く、兵士たちをちっとも見かけたことがないけれど。


 そんなことを考えていると、俄然、わたしはルキアン様に会いたくなってきてしまった。今朝も一緒に朝食を取ったというのに。

 まぁ、でも、ペットというものはご主人様を愛し求めるものだ。ペットとして正しい欲求なのだろう。

 わたしはルキアン様を探して、宮の中を巡った。


 ルキアン様がいらっしゃったのはお昼寝部屋だった。

 大きな寝台が置かれ、読書スペースもあるこのお部屋は、ルキアン様が日中休憩するときによく使っているようだ。

 ルキアン様は寝台に横たわり、疲れた表情で眠っている。

 側には従者のクローブさんがいらっしゃった。両腕には黒い染みのついた衣類やリネン類を抱えていた。……インク瓶でも溢したのかしら?


「おや、シェリですか。ちょうど良かった」


 ジャスミンさんのお孫さんであるクローブさんも、狐の獣人だ。茶色いフサフサとした尻尾と大きな耳を持っている。使っているところを実際に見たことはないが、きっとジャスミンさんのように妖孤の術が使えるのだろう。

 生真面目そうな雰囲気の青年だが、ルキアン様とお話しする時は主従というより親友といった雰囲気で、ちょっと羨ましい。それだけ長く一緒にいるのだろう。


 クローブさんはたくさんの布類を抱えたまま、顎の先を動かすことでルキアン様を示す。


「僕はこれを洗濯場に運んだ後、調べもののために白丁花の宮まで出掛けてきます。そのあいだ、ルキアン様のお傍にいてくれませんか」

「はい、クローブさん。承知しました」


 クローブさんは「たぶん、一度発作が起きた後だから、当分は大丈夫だと思うのだが……」と言ったような気がしたが、小さな声だったのでよく聞こえなかった。


「では、頼みました」


 部屋を立ち去っていくクローブさんを見送り、わたしはルキアン様の寝台の側の椅子に座る。

 ルキアン様はぐっすりと眠っていた。


 どうもルキアン様はあまりお体が強くはないらしく、皇太子としての勉学や執務を執り行う合間合間に、こうして休まれることが多い。

 ご病気ならきちんと療養してほしいのだが、「生まれついてのものだ。治療法も見つかっていなくてなぁ」とルキアン様はおっしゃった。

 生まれついてのものなら尚更、ほかの方に皇太子の座をお譲りして、体に無理のない暮らしをしてほしいとわたしは思ったが、もちろんそんな無礼なことは安易に口に出せるはずもなかった。出会ったばかりのわたしには、ルキアン様がどんなお気持ちでその地位に立っていらっしゃるのかも分からないのだから。


「あまりご無理をなさらないでくださいね、ルキアン様」


 わたしはそう呟いて、寝台の縁に手を掛け、ズレていた上掛けの位置を直すことにした。

 せっせと上掛けのシワを伸ばしていると、突然ルキアン様が両手で胸元を押さえて苦しみ始めた。


「うっ、ぐぁぁぁ……!!」

「どうされたのですか、ルキアン様!?」


 ルキアン様は額に脂汗をかき、苦渋に満ちた表情で寝台の上を暴れまわる。

 その際に口からインクのような黒い液体を吐き出し、寝台のあちらこちらに染みが広がった。

 そして衣服の胸元の合わせ目から、おどろおどろしい黒い靄が現れ始めた。


「なんなんですか、この黒い靄は!?」


 クローブさんはすでに白丁花の宮に行かれてしまった後だ。そこはどうやらキラ皇国で言う図書館のような場所らしいのだが、わたしはこの銀木犀の宮に来たっきり、一度も敷地の外に出たことが無いので、ルェイン大帝国の城の敷地が一体どのようになっているのかを知らなかった。


 クローブさんが呼べないのなら、代わりにジャスミンさんかロドリーさんに、ルキアン様の容体を知らせなくちゃ。

 でも、わたしが目を離した隙にさらにルキアン様の容体が悪化したら……?


 傍にいるだけでは役にも立たないくせにそんなことを一瞬考えてしまい、その瞬間にルキアン様の胸元から立ちのぼっていた黒い靄が大量に噴出した。


「ルキアン様!!」


 黒い靄に覆われるルキアン様を見て、わたしはとっさにその靄を振り払うために黒い靄の中に両腕を突っ込んだ。


 その途端、わたしの胸元に隠されていた赤い宝石が、強い光を放った。

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