第5話 呪われた銀龍皇子



 気が付けばわたしは、ルキアン様に恩義以上の親愛を感じていた。

 自覚しないようにしていた自分の心の中の暗い気持ちに、寄り添ってもらえたから。

 生まれて十三年間、わたしには心を打ち明けられる家族も友達もおらず、自分でも自分の心をずっと放置していたので、わたしは自分自身がどれだけさみしがっていたのかを知らなかった。

 ルキアン様がわたしの心に触れてくださって初めて、わたしは独りがつらかったことを理解した。

 ずっと自分の中にあった気持ちなのに、ずっと気が付かなかったなんて。わたしは今までどれだけぼんやりして生きてきたのだろう、と自分にちょっと呆れた。


 わたしはそんなことを考えながら、宮の裏庭へと足を運ぶ。

 今日もまずは自分の出来ることでルキアン様のお役に立つのだ。


「ロドリーさん」


 裏庭には小さな物置小屋があり、そこに白兎の獣人である庭師のロドリーさんがいた。

 彼は五十代くらいらしいのだが、日に焼けている分もっと年老いて見える。


「草むしりのお手伝いに来ました。今日はどこの雑草を取りましょうか?」

「……東だ」

「分かりました」


 ロドリーさんはムスッとした表情とぶっきらぼうな口調で言い、わたしにカマを貸してくれる。

 わたしがお礼を言うと、ロドリーさんはやっぱりムスッとしたまま頷いた。


「ロドリーも表情にはまったく出ない男だが、お前のことを面白がってるみたいだぜ」とはルキアン様のお言葉だ。

 この宮の使用人はあともう一人いるけれど、三人とも考えていることが表情や態度に出ない方ばかりで難しい。


「行くぞ、人間の娘っ子」

「はい」


 ロドリーさんの後について行き、庭を移動する。

 東と言われた場所まで来るとロドリーさんは地面を指差し、「ここら辺の雑草を取れ。花は傷付けるんじゃねぇぞ」と言った。


「俺はここらの松を選定する」

「はい」


 黒松の幹に梯子を掛け、上の方の枝に向かって行くロドリーさんを見送り、わたしは地面にしゃがみ込んで雑草取りを始めた。


 異界に来て、ルキアン様のペットになってから、わたしの毎日はこんなふうに自由だ。

 ジャスミンさんのお手伝いをしたり、ロドリーさんのお手伝いをしたり。ルキアン様がやって来てこの国の文化や歴史について教えてもらったり、一緒におやつを食べたり。

 時折、キラ皇国のことを考えたりする。

 国難のために『神様へのお輿入れ』をしたのに、異界の門の先には神様がいなかったなんて、陛下たちが知ったらきっとガッカリするだろうな。もうわたしがキラ皇国のために出来ることは、何も無いのだけれど。

 それでも目を瞑れば、枯れ草ばかりの土地や干上がった川の様子を思い出し、胸が痛んだ。





 二時間ほど雑草取りに集中していると、ロドリーさんに呼ばれた。


「人間の娘っ子。もう雑草取りはいい」

「あ、はいっ」

「取った雑草はいつもの場所に捨てておけ。カマは物置に戻して手を洗ったら、……ほれ」


 ロドリーさんはポケットから取り出した、紙で包まれたものを、わたしの土で汚れた手のひらに押し付ける。


「手を洗ってから、おやつに食え」


 どうやらこれはお菓子らしい。

 ロドリーさんの表情はしかめっ面しいままだったけれど、頭の上の白い兎耳がぴょこぴょこ揺れていた。


「ありがとうございます、ロドリーさん!」

「……ふん」


 わたしはこの宮に来てずいぶんとお礼が言えるようになり、笑えるようになったと思う。





 今日は窓から、庭の東側が見えた。

 庭師のロドリーの後から、水縹みずはなだ色の髪と藍色の瞳を持った、人間の少女が現れる。俺が飼い始めたシェリだ。

 シェリはロドリーから何か指示を受けた後、地面にしゃがみ込んで雑草取りを始めた。


 最初は表情に乏しい少女だと思ったが、この宮で一月も経てば少しずつ雰囲気が柔らかくなってきた。

 それがまるで野良猫が少しずつ警戒心を薄れさせていくのにそっくりで、見ていて楽しかった。

 シェリと一緒にいると居心地が良く、ちっとも飽きない。勉学を教えたり、おやつの時間だと理由を作ってはシェリに会いに行き、つい構い倒してしまう。


「また見てるんですか? シェリのことを」


 俺の従者であり、ジャスミンの孫であるクローブが、書類をまとめる手を止めてそう言った。

 窓から視線をはがし、俺はニヤリと笑う。


「見ていて面白いだろ? 俺の愛玩動物は」

「あいにくと、動物を可愛がる心は僕には無いんで」

「つまらん人生だな、クローブは」

「他者の人生をつまらんと断じるような主に、僕は仕えたくないありません」

「すまん! 俺が悪かった! クローブの人生は薔薇色、いや、もはや虹色に輝き、女神に祝福され……」

「プッ……。冗談ですよ。なんなんですか、虹色に輝きって。僕は自分の無味乾燥な人生を気に入っておりますよ」


 クローブの言葉に一言返そうとして――、俺はまた酷く咳き込んだ。

 口元に手を当てると、黒い液体が付着する。

 またしても呪いの発作が始まった。


「ルキアン様……! 早く寝台へ移動を!」


 クローブにそう言われたが、呪いの発作が始まると胸が苦しくて移動もままならない。

 咳き込む度に苦くて黒い液体が口から吐き出され、机の上に広げていた書物の上にびしゃびしゃと撒き散らされる。

 あーあ、また書物を一冊駄目にしてしまった。


「僕に肩を預けてください、ルキアン様!」


 俺よりもつらそうな表情をするクローブが、必死に俺を寝台へと連れていこうとする。

 クローブの方が二、三歳年上だからといって、体格にそれほど大きな差もない。俺を運ぶのは一苦労だろうに、それでも毎回必死で俺を寝台へと運んでくれる。


 咳の合間に、俺はクローブに笑いかけた。


「ああ、口の中が苦くて不味い。発作が終わったら、春の季節に採れた花の蜜をたっぷりくれないか、クローブ」

「……もう無いですよ。この間、ルキアン様の愛玩動物が熱を出した時に全部あげていたじゃないですか」

「ああ、そうだった。ならば仕方が無い」


 シェリがルェイン大帝国にやって来てすぐの頃、五日間ほど熱を出し、俺がずっと大事に食べていた花の蜜を全部分けてしまったのだ。

 分けてしまったのだから仕方が無い。おかげでシェリはすっかり元気になったのだ。


「まったく。あれほど大事にしていた好物を、愛玩動物にあげてしまわれるとは……」

「べつにいいだろう。ジャスミンにも言われたのだ。シェリを飼うのなら、きちんと面倒を見ろと。シェリの老後まで、と」

「母上らしい」


 クローブは小さく笑うと、「では、シェリのためにも長生きしてくださいね、ルキアン様」と言う。


「最期まであの子の面倒を見るおつもりなら、あなたはそれ以上に生きなければ」

「俺はそう簡単には死なんよ、クローブ。呪われた身だとて、銀龍族の体だ。しぶといぞ」

「……そうでしたね」


 寝台に横たわった俺を見下ろし、クローブが泣きそうな顔で笑う。これから本格的に始まる発作を思って、そんな表情をするのだろう。


「そうだ。代わりにこちらを口直しにどうぞ。ロドリーさんからいただいた砂糖菓子です。分けて差し上げますよ」

「ああ。さきほどシェリがロドリーから渡されていたやつだな? ありがとう、クローブ。愛している」

「気持ち悪いことをおっしゃるな」


 クローブは、わざとスン……っとした表情を浮かべたが、俺は気にしなかった。

 幼少期から共に育ったクローブにはどれほど冷たい表情をされても、心には熱い忠誠心があることを知っていた。


 これで心に希望を抱いたまま、呪いの発作に挑むことが出来る。


「……ルキアン様に掛けられた呪いさえ、解くことが出来れば」

「お前は十分やっているよ、クローブ」


 遠い昔に銀龍族に掛けられた呪いなのだから、お前は気に病むことなど一つもないのだ。


 そう思った途端、俺の胸元から黒い靄が溢れだし、体中を痛みが駆け巡る。

 発作はだいたい三十分から一時間ほど痛みに耐えれば終わるのだが、体を引きちぎられるように苦しい。


 クローブが何度も俺の名前を呼ぶのが聞こえたが、返事をしてやることも出来ず、俺はそのまま気を失った。


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