第4話 ルェイン大帝国
「ジャスミンさん、ジャスミンさん! その荷物はわたしが運びます!」
「ちょいと、シェリ」
「ジャスミンさん、ジャスミンさん! その洗濯物はわたしが洗っておきます!」
「あんたはルキアン様の愛玩動物であって」
「ジャスミンさーん! 野菜の皮むきは終わりましたよー!」
「話をちゃんとお聞き、シェリ!! あんたは下女ではないんだよ、シェリ!!」
「分かってます! 暇を持て余してお手伝いをしているだけですからー!」
ルキアン様のペットになって早一ヵ月。
わたしはすっかり元気になり、ルキアン様に拾われた恩を返すべく、銀木犀の宮の掃除や食事作りを手伝っている。
本当はもっとペットらしい方法でルキアン様をお喜ばせすることが出来ればいいのだけれど、ペットだったことなど一度もないわたしには、雑用くらいしか役に立つ方法が分からなかったからだ。
それに、このだだっ広い銀木犀の宮に常駐する使用人は三人しかいないのだ。人手が必要な時はその都度都度で使用人を呼ぶらしいのだけれど、今のところ、他の使用人は荷物を運んで来る者しか見たことがない。
狐の獣人のジャスミンさんは、食事作りや洗濯ものなどを担当している。
なんと、ジャスミンさんは妖孤の術というものが使えるので、分身してこの宮を切り盛りをすることが出来るのだ。
見た目は完全にお婆さんなのに、とても元気で働き者なのである。
「でも、わたしの手伝いがジャスミンさんにとって邪魔でうっとおしいだけなら、止めます」
「シェリ、あんたねぇ……」
もしかすると他人に仕事を手出しされるのが嫌なのかもしれない。
ジャスミンさんがそういう性質の方だったら、わたしの手伝いなど迷惑なだけだろう。
そのことにようやく思い至って、わたしはルキアン様の革の小物を磨く手を止めた。
やはりもっとペットらしい方法でルキアン様のお役に立つべきなのかもしれない。芸を披露して楽しませるとか、番犬のように危機を知らせるとか……。
「まったく……」
ジャスミンさんはしわだらけの顔に苦い表情を浮かべ、狐の耳と尻尾を垂らした。
これはどういう感情を表しているのかしら?
「気にするな、シェリ。ジャスミンはただ天邪鬼なだけだ」
「ルキアン様」
換気のために開けていた戸から、ルキアン様が顔を覗かせた。
ルキアン様がひょいっと首を傾げると、銀色の三つ編みも一緒にぴょんと揺れて輝いた。
この方はいつでも太陽のようにまばゆい。
「ジャスミンは、本当はシェリのことを新しい孫が増えたみたいに嬉しくて、手伝ってくれると危なっかしいけれど可愛くて、目が離せなくなっているだけだ。そうだろ、ジャスミン?」
「そうなんですか、ジャスミンさん?」
「……オッホン。そんなことよりもルキアン様、何用でしょうか? 朝食後から見当たらないと思っておりましたが、また散歩でもしていらしたんですか?」
「ほら、シェリ。ジャスミンの耳と尻尾がピーンと立ってるだろ。『図星を突かれた』という反応だ」
「わぁ。本当ですね。わたし、ジャスミンさんのご迷惑になっていなくて良かったです!」
「ルキアン様!! ご用件は何なのでしょう!?」
「ジャスミンがシェリを気に入っているところ悪いが、ルェイン大帝国の言葉を教えようと思ってな。書庫で教科書を探していたんだ。シェリを借りるぞ」
「もともとシェリはルキアン様の愛玩動物ですので、どうぞご自由になさってください!!!」
ジャスミンさんは真っ赤な顔でそう叫ぶと、ぷいっと横を向いてもうこちらを見ようとしなかった。
「あのっ、ジャスミンさん。この革の小物、あとでわたしが片付けておきますので……」
「それくらい私がやりますから、シェリはとっととルキアン様の元にお行きなさい。あなたはルキアン様の無聊をお慰めするのが本務なのですから」
「はい」
そう言われて部屋から出ると、数冊の書物を持ったルキアン様が廊下に立っていた。
ルキアン様は端正な顔に無邪気な笑顔を浮かべる。
「シェリの部屋で勉強をするか」
「はい、ルキアン様」
▽
ルキアン様は美しい刺繍が施されたクッションが並べられた長椅子の上にドカリと腰を下ろした。
またルキアン様の銀の三つ編みがポンと跳ねる。まるで気高い動物の尻尾のように綺麗で、わたしは思わず見とれた。
「シェリはここな。さっ、ルェイン大帝国の文字を教えてやる」
長椅子の開いているスペースをぽんぽんと叩き、ルキアン様がニヤッと笑う。この方は本当によく笑う。
わたしも口元や頬の筋肉を意識し、頑張って笑みを作る。
「ご教授お願いいたします、ルキアン様」
「おっ。ちょっとは笑顔が上手くなったな、シェリ。えらいえらい」
そんな小さなことをルキアン様に褒められ、頭を撫でられた。
ルキアン様のお役に立つようなことじゃないから褒めてくれなくていいのに、という気持ちと。ルキアン様に褒めてもらえるならなんでも嬉しい、という気持ちが入り交じる。
最後には嬉しさの方が勝ってしまい、胸の奥のふわふわした心地に顔がだらしなくゆるんだ。
「あ。いま、すごく可愛く笑えたな、シェリ!」
「え?」
「すごく自然で良かったぞ」
「そうですか……?」
部屋の壁際にある鏡に視線を向けてみたが、そこにはいつも通り水色の髪と、それより濃い夜空のような青い色の瞳を持つ瘦せっぽちの少女が、ぼんやりとした表情で映るだけだった。
鏡を見ているわたしに、ルキアン様が「では、始めるか」と声を掛けた。
「文字を学ぶついでに、ルェイン大帝国のことを学べる書物を選んできたんだ。まずはこの国のことを知らなければ、シェリも過ごしにくいだろからな」
ペットの生活をそこまできちんと考えてくださるなんて、ルキアン様は本当に素晴らしいわたしのご主人様である。
「ありがとうございます、ルキアン様!」
ルキアン様が用意してくださった書物はキラ皇国の絵本に似ていて、文字が少なく、墨で描かれた大きな挿絵がたくさんあった。
その書物を横から覗き込んだわたしは、思わず首を傾げてしまう。
「……あの、ルキアン様」
「ん? どうした、シェリ。難しそうか?」
「いえ、そうではなくて……。わたし、この書物に書かれた文字が読めます。どうしてか分かりませんが、見て、理解出来てしまいます……」
「はっ!?」
ルキアン様は赤い瞳を見開き、驚愕といった表情で固まった。
「……そういえば、シェリは下界の人間の国から来たはずなのに、なぜか俺やジャスミンたちとも普通に会話をしているな!?」
「確かに、そうですね……?」
一体どうしてなのかは分からないが、わたしはすでにルェイン大帝国の言葉をすでに習得しているみたいだ。
「『異界の門』をくぐったせいでしょうか……?」
そもそも、あのトンネルは何故存在していたのだろうか。
そしてルキアン様はキラ皇国を『下界』と呼ぶのは何故だろう?
ルキアン様はその辺りも含めて説明してくださった。
「シェリたち人間はあの門を『異界の門』と呼んでいるがな、本来は『下界の門』と呼ばれているんだ。かつてこの国で犯罪を犯した者たちを、下界に追放するためのトンネルだったんだよ。しかし、流刑者を下界に追放するのは、人間たちに迷惑を掛けるんじゃないか? という世論が出てきて、とっくの昔に使われなくなったんだ。
だがそのうち逆に、人間たちがあの門を使って生贄を送るようになって来てな。たぶん流刑者たちがこっちの世界のことを、神々の世界だの天上の世界などと人間たちに話した結果なのだと思う」
「まぁ、そうだったのですね。あの、このルェイン大帝国はもしかすると、キラ皇国の奥地にある巨大な山脈の向こう側に存在するのですか?」
「ああ、そうだ。トンネルの中の次元が歪んでいて、短時間で下界に辿り着くようになっている」
「どうりで……」
トンネルの中は確かに不思議な空間だったと、わたしは思い返した。
「だが、『下界の門』はただの近道なだけで、シェリのように言語を習得する力を手に入れるわけじゃないんだよなぁ。今まで下界から送り込まれてきた人間はかなり少ないが、残っている記録によると、こちらの言語を習得するのに時間がかなり掛ったはずなんだがなぁ?」
わたしとルキアン様は顔を見合わせて首を傾げたが、答えなど出るはずもなかった。
「まっ、文字が読めることは良いことだ。じゃあ、今日はこの国の歴史の授業ということにするか」
「はい」
後頭部をポリポリと指で掻きながらルキアン様が言い、わたしは頷いた。
ルェイン大帝国の歴史の授業が始まる。
はるか昔、地上に女神様が姿を現し、銀龍族の男に「この地を治めよ」と言ったことから、ルェイン王国の始祖王が誕生したらしい。
「ルキアン様も銀龍族なのですよね? ジャスミンさんのように特徴的な耳や尻尾があるわけではないのですね」
パッと見た分には龍らしい特徴はなく、わたしと同じ人間のように見える。
もしかすると衣類の下に龍の特徴があるのかもしれないが、それは分からなかった。
「銀龍族は普段は人間のような見た目をしているが、いざというときには龍化して空を飛ぶことが出来るんだ」
「まぁ! 龍に変化出来るのですね」
いつかルキアン様が龍に変身するところを見てみたい。きっと太陽の化身のように美しいのだろう。
わたしがそう思ったのが伝わってしまったのか、ルキアン様は苦笑した。
「そんなに期待した目で俺を見るな、シェリ。……いずれ飛べる時が来たら、シェリを背中に乗せてやろう」
「はい、ルキアン様っ」
ルキアン様は、ルェイン大帝国の成り立ちについて、話を戻した。
ルェイン王国(ルェイン大帝国の前身らしい)は、女神様のお力のおかげで国にたくさんの実りをもたらした。
その豊かな土地を求めてたくさんの種族が集まり、時にはいくつもの小国が属国として下り、ルェイン王国から現在のルェイン大帝国へと国の形を変えていったのだそう。
その後、始祖王は二人の妃を娶り、国はますます繫栄して今に至るのだそう。
「では、ルキアン様も始祖王の血を引いておられるのですか?」
「ああ、そうだ」
「由緒あるお血筋なのですね」
ルキアン様はふと、中庭に見える銀木犀を指差す。
「あの銀木犀も、建国の頃からあると文献が残っている」
「まぁ、そんなに昔から。建国の頃から『狂い咲きの銀木犀』と呼ばれていたのですか?」
「時代によっては多少名称が違っただろうが、奇跡とも怪異とも呼ばれ、扱われてきたみたいだな」
まるで、わたしみたいな木だな、と思う。
同種の生き物と少し違うだけで、吉兆だったり凶兆だったりと、生まれてきた意味を探られてしまう。
「ルキアン様はこの木が怖くないのですか? 他の狂い咲きの木も」
「怖い?」
ルキアン様はわたしの質問を笑い飛ばした。
「この木も他の木も、あるがままに生きているだけなのだろう。俺にとって怖いことは、季節を無視して咲く木などではないさ」
あるがままに生きているだけ。
それは中庭の銀木犀に対して言われた言葉だったのに、わたしは勝手にその言葉に救われて、わたしの心はすっかりルキアン様に開いていた。
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