第7話 アルガーの過去

 時は20年前に遡る。




 僕が覚えている最古の記憶は2歳の時のこと。

 両親が泣きじゃくる僕を孤児院の門の前に置き、笑い泣きのような表情を浮かべて「元気でね」と言ったときのことだ。

 大体の孤児は捨てられるときのことを忘れてしまうらしいけど、僕は今でも鮮明に思い出せる。

 きっと、何度もあの時のことを思い出しているからだろう。

 今日みたいに、木陰から空を眺めながら。


 「はあ」


 空は今日もくすんだ緑色だ。

 最近、青い空を見ていない。空が緑色なのはどうせ、敵国の箒狩り作戦のせいだろう。


 「はーあ」


 戦争なんて大嫌いだ。

 青い澄んだ空が眺められない。

 今日もパンは出てこない。

 夜中は大勢の大人の「「帝国に勝利を!!!」」「「宿敵に死を!!!」」がうるさい。

 孤児院に来る大人の長い長いお話を聞くのもうんざりだ。

 孤児院を出たお兄ちゃんたちの半分は戦争で死んだらしい。

 だから僕は戦争が嫌いだ。


 「はあーあ」


 「やあ」


 僕の目の前に女が現れた。

 いつも孤児院でイタズラばかりしている変な女だ。


 「邪魔。僕は今空を眺めている」


 「そうかい」


 そっけない感じ返事をして、女はどっかに行ってしまった。

 なんだったんだアイツは。


 「...はあ」


 「溜息なんかついて、どうしたんだいアルガー君」

 「うわっ!!」


 木の上からいきなり黒髪と逆さまの顔面が現れた。

 さっきの女だ。いや怖いし、なんなんだよ。

 てか近い近い近い!!


 「お前、何やってんの?!」


 「畑の手伝いが嫌だからサボりに来たら、先客がいた」


 「それで?」


 「暇だったから話しかけた」


 「僕邪魔って言ったよね?!」


 「でへ。だから邪魔じゃないように上から声かけてみた」


 女は「してやったり!」と言いたげにニンマリと笑い、僕を煽ってくる。イラつくやつだ。

 あとギリギリパンツ見えそう。


 「ああそうかい分かったよ。お前が馬鹿だってことがね!!」


 そう言い放ち、僕は女から離れていった。


 「ばいばいアルガー君」


 あーくそ、せっかくのサボり時間を無駄にされたし、イライラする。

 それに「アルガー君」って君付けされるのは僕は嫌いだ。僕の嫌いな大人たちも僕の事を「アルガー君」って言ってくる。だから同じ言われ方はされたくない。


 「あ! おいアルガー! さっきから見当たらねえと思ってたらこんなところほっつき歩いてサボりやがっていたのか?!」


 「やべ、に兄ちゃん...大人には言わないでくれ」


 「ごっめんなさいが先だろうが!!」


 兄ちゃんにサボりが見つかったのもあの女のせいだ。クソ。




 それから僕はあの女に見つからない場所に隠れてサボることが日課になった。

 僕もあの女も同じサボり魔なんだから一緒の所でサボっていればいいと思うかもしだけど、それは違う。

 僕はあの女が気に食わない。あの女と一緒にいるくらいならそこから離れて他の人に見つかっちゃう方がマシだ。でもサボれるならサボりたい。

 だから僕はあの女に隠れられる場所を頑張って探して、サボることにしたのだ。


 とはいえ、


 「なんでそんな所に隠れているんだいアルガー君」


 女の方が一枚上手なのは間違いなさそうだ。


 「なんでお前は僕をすぐに見つけるんだよ!! てかそもそもなんでお前は僕を見つけようとすんだよ!!」


 「そりゃあアルガー君がバレバレだし、アルガー君が面白くてかわいいからに決まってるじゃないかー」


 そう言って女はニコニコ笑う。


 「かわいいなんて言うな!!!」


 「アルガー君、静かにしないと見つかっちゃ―」


 あ。


 「おいお前らぁ、今月だけでぇ、これでぇ、何回目になると思っているんだぁー!!」


 孤児院の埃の溜まった天井裏。兄ちゃんの怒鳴り声はよく響いた。




 それから半年後、女が怪我を負った。


 「包帯、しみるよ」


 「う、うん」


 畑仕事をしているとき農具で足をぐっさり刺されてしまったらしい。

 しっかりと処置しておけば一か月あれば治る傷だけど、孤児院には処置をするための薬も生命液も満足に無い。それに正しい処置が出来る人もいない。傷が悪化すれば治らないかもしれない。


 僕が処置をやると言った。


 自分でもなぜ手を上げたのかは分からない。でも、僕がやるのが一番いいと思った。お兄ちゃんたちは畑仕事で忙しいし、孤児院の大人はいつも忙しそうにしている。

 なら、非力で大して畑仕事に貢献していない僕が処置をするのが孤児院にとって一番いいだろう。


 でも、そう考えて手を上げた訳ではない。考えるよりも先に手は上がっていた。


 「痛い!」


 苦しそうに痛みを我慢している。

 怪我してからずっとこうだ。僕はいつもの楽しそうな笑顔を見たいのに。


 「お前、僕の手を繋いでろよ」


 「なんで?」


 「その方が痛くないだろ」


 手を握ると、女は少しだけ笑ってくれた。


 「本当だね」


 そう言いながら。


 「じゃ、処置は終わったから僕はもう行く。お前は寝てろ」


 「ダメー。いいって言うまで手は離さないでね」


 結局、女が眠るまで女と手を繋ぎ続けることになった。


 「...寝顔は可愛いな」


 僕は何を言っているんだ。

 ダメだ、早く畑仕事に戻ろう。




 一週間後、僕の処置は適切だったのか、女の痛みは引いたらしい。

 まだしばらくはベッドの上で過ごさなきゃいけないらしいけど。


 「アルガー君のお陰だよ。ありがとね」


 「別にそんなことねーよ」


 「ううん。アルガー君が手繋いでくれなかったら痛いままだったよ」


 そんな風に言われると耳が熱くなってきて、頭の後ろの方がモヤモヤしてくる。

 なんなんだよ。


 「実はね、アルガー君にお礼のプレゼントがあるんだけど欲しい?」


 「別にお前のプレゼントとか欲しくないし」


 「アルガー君は嘘つきだね。顔に欲しいって書いてあるよ」


 「そ、そんなことよりお前『アルガー君』って言うのやめろよ。その呼び方はカッコ悪いし鼻につく。普通に『アルガー』って呼んでほしい」

 

 「そうかい? じゃあねー、アルガー君が私を『お前』って呼ぶのやめてくれたらいいよ」


 「ならなんて呼べばいいんだよ」


 「そうだねー。『アモルちゃん』って呼んでくれたら嬉しいよ」


 「アモル...で、いい?」


 「いいよ。じゃあ改めて言うねー。 ...アルガーは私のプレゼント、欲しいかい?」


 耳が凄く熱いです。なんでですか。


 ちなみにプレゼントは手縫いの長袖セーターだった。

 アモル、今、真夏だよ?




 さらに一か月後、アモルの傷が完全に治った。


 「皆さん。アモル‐フラーテルの傷が無事治りました。これは偉大なる皇帝神陛下、そして毎日看病していたアルガー君のお陰です。皆さん皇帝神陛下に忠誠を、傷に打ち勝った彼らに祝福を」


 「おめでとね」


 「頑張ったね」


 「大事にならなくて良かったよ」


 夕食時、孤児院のみんながアモルの完治を祝ってくれた。

 孤児院の大人も短めの祝辞を話し、夕飯を少しだけ豪華にしてくれた。久しぶりに麦粥じゃなくて本物のパンが配られたし、スープの味も濃いめだ。


 「ありがとうみんなー! これからはまたいっぱい畑仕事頑張れるよ」


 アモルはまあまあ畑仕事をサボっていたと思うけど、よくもまあいけしゃーしゃーとみんなにそんなこと言えるもんだ。


 でも、そんなあざといところも...




 その日の夜中。

 僕はとあることの決行を決心した。


 緊張する。

 でも、そこでくじけたらいつまで経っても何も変わらない。

 僕は一歩踏み出さなければならない。

 そう、心に言い聞かせて僕はアモルのもとへ近づく。


 「なあアモル、ようやく自由に歩けるようになったんだし、ちょっとだけ外に出てみたら?相変わらず星は見えないけど、夜風は涼しくて気持ちいよ」


 「名案だねえアルガー。一緒に行こ」


 第一関門クリア。

 顔が赤くなってないか心配だ。

 緊張で足もおぼつかないし、心臓もバクバクだ。

 でも、それがバレちゃ終わり。男らしくないって思われる。それはいやだ。


 「ふふ」


 僕が内心ものすごく四苦八苦している中、アモルはにんまりと笑いかけてくる。

 僕の心を見透かしているかのように。

 くそ、アモルほんっとうにあざとくて...可愛い。


 タッタッタッタ。

 タッタッタッタ。


 孤児院を出て二人で歩いてしばらくして、僕は僕たちの足音が一つに重なっているのに気づいた。

 アモルがわざと僕に重ねているのか、それとも偶然合わさったのかは僕には分からない。

 でも、そのことは、僕に自信をくれた。


 アモルに告白する自信を。


 ...タタ。


 僕とアモルは同時に立ち止まる。

 僕がよく横たわって空を眺めていた木、アモルがよく木登りして遊んでいた木のもとで。

 ここは僕が最初にアモルを意識した時の場所だ。

 別に意識してここに来たわけじゃないけど、小さな孤児院の庭で、ここ以外に印象的な場所はない。


 僕はうつむき、アモルに言いたい事を言おうとする。


 「なあアモル...」


 自分が立っているのか座っているのか横になっているのかもよく分かんないくらいにフワフワとした感覚が体を帯びている。

 つま先から頭へ、凄く熱いものが上がっていく。

 息が荒くなって、心臓がバクバク鼓動している。

 だめだ、頭がパンクする。何をどこから言えばいいのか分かんなくなっちゃった。


 「なにかな?アルガー」


 『なにかな?』じゃねーよ。こっちは真剣なのに。

 そう心の中でツッコミ、ハッと顔を上げた。

 僕の目に映ったのは、神妙な表情をしているアモルだった。彼女のその表情を見たとき、僕は自然と言いたいことを口に出していた。


 「なあアモル。僕はアモルの笑顔が好きなんだ」


 「うん」


 「だから...これからもアモルの笑顔を見たい」


 「うん」


 「僕に...僕と、付き合ってください」


 「仕方ないなあ。いいよ」


 しっかり、アモルの目を見て、言いたいことを全部、告白できた。

 それを、アモルは全部、受け取ってくれた。

 そして、最後には僕の見たかった笑顔を見せてくれた。


 僕は、幸せだ。




 しかし、そんな僕の幸せは長くは続かない。




 三日後、帝国軍から帝国全土の孤児院へ全児童回収通告が通達された。


 僕らは帝国軍の行う定期健康診断と伝えられ一人ずつ孤児院の特別室に呼ばれた。そしてそこで目隠しをされ、手足を縄で縛られ、麻袋に入れられる。

 そうした軽やかな流れ作業の後、悠々と帝国加護保持者動員科研究所へ連れていかれた。


 後になって考えると、孤児院の孤児を回収する目的はおそらく二つだろう。


 一つ目は、帝国の財政軽減。孤児院の多くは帝国が運営している。だから、孤児院そのものが帝国の財政の負担になる。それを少しでも減らそうと思っていたのだろう。


 二つ目は、体のいい実験体が欲しかったから。孤児院の孤児は家族がいないから孤児なのだ。何人実験で殺しても、プロパガンダで帝国民はいくらでも騙せる。


 まあ、そんなことは凄くどうでもいい。その後に待ち構えていた地獄に比べれば、帝国の思惑なんて、本当にどうでもいい。


 要するに、とにかく、つまり、僕は帝国の実験材料にされたのだ。




 実験内容は僕には分からない。それどころじゃなかった。なにをされていたのかも、僕には分からなかった。


 口を無理やり開かれ、何かを入れられ続けた。

 常に口には太い管を差し込まれ、ドロッとした何かを入れられる。

 許容量を超えた内臓は悲鳴を上げ激しく暴れる。ドロッとした何かは僕の体内で何度も逆流したが、吐き出すことは出来ない。

 目隠しで何も見られない中、涙を流し続けた。


 たった一秒過ぎるまでが凄く長く感じられ、拷問としか言えない実験は永遠に近い時間続いた。


 永遠に近い時間続いた実験は突然止まる。

 とっくに涙は枯れていたはずだったけど、その時「もう実験は終わったんだ」って思って、嬉しくなってまた涙を流した。


 ひとしきり涙を流したあと、眠りについた。体は硬く拘束され、口にも管が差し込められたままだったけど眠りにつけた。


 内蔵の悲鳴と苦しみを感じ僕は目を覚ました。

 この時、僕はようやく絶望を理解した。まだ実験開始から一日しか経過していないのだと。


 それからは無限に近い苦痛の時間とほんの僅かな睡眠の時間が何回も繰り返される生活が始まった。


 程なくして、僕の精神は崩壊した。


 しかし、僕の精神が崩壊しても実験は続いた。

 精神が壊れ実験に対する反応が薄まっていると気づいたのか、度々、腕に薬を注射され、無理やり正気を保たされた。




 途中からは実験の内容が変わり、胸骨を開かれ、鼓動し続ける僕の心臓そのものへ何かの注入が始まった。


 心臓は激しく暴れ、鼓動の度に激痛が走り回った。

 それだけではない。心臓を通して異物は僕の心に直接入り込んでくるのだ。本来の僕の魂が押しつぶされていくような想像を絶する苦しさと気持ち悪さを感じた。


 僕の心の悲鳴に肉体は呼応し全身の筋肉は痙攣を始めた。内臓は、いまだ胃に注ぎ込まれ続けているドロッとした何かを、より吐き出そうと蠢いた。肺と横隔膜は出来る限り空気を吸い込んでしまおうと過呼吸を始めた。

 僕の意志に反してもがき続ける肉体のそれもすごく苦しかった。


 絶え間なく酷使され続けた肉体は限界に達したのか、ある時から全身から血を噴き出し始めた。

 実験中常に自分の意思に反して激しく悶え暴れようとしていた手足首の拘束部。

 太い管を差し込まれてから常に消耗していった喉、口、食道。

 鉄製の器具でこじ開けられ固定されている胸部全域。

 限界を超えて圧迫され続ける胃腸。

 そんな僕のボロボロの器官は、赤く腫れたりひび割れたりプツリと裂けたりしてダクダクと血を噴き出すのだ。


 これで、ようやく楽になれる、死ねると本能的に感じた。

 でもそうはならなかった。


 死すら実験体である僕には許されなかったのだ。




 僕はあることに気づいた。

 僕の口へ注がれ続けているのはドロドロに粉砕された新鮮な人間の死体なのだと。

 そうでなければ僕が死なない説明が付かない。


 人間が生き続けるためには肉体が必要で、肉体を維持するためには生命力と肉体の材料が必要だ。生命力とは要するに血液で、肉体の材料ってのは要するに他の生物だ。失われた血液や損傷した肉体を修復させるのに最も効率の良い食べ物は人の死体。それも新鮮なものでなければいけない。


 常に壊され続けている僕を生かし続けるためには常に僕に人を食わせ続けることしか手段はないだろう。


 魂はそれを拒絶し続けるが肉体はそれを吸収していく。

 苦しい。


 苦しい。




 苦しい。




 あるとき実験は終わった。


 口や心臓にはめられていた管が取り除かれ、僕の胸骨や下あごは再生を始める。

 複数の金属の棒で体中を貫かれ指一本動かせないように固定されたが、割とどうでもいい。

 その後、脳天にも金属の棒が差し込まれ、僕のあらゆる思考は制限された。

 脳天にぶっ刺さった棒によって、憎しみと殺意とどうしようもない苛立ちだけが強制的に増幅されていく。


 殺す。


 殺す。


 なにもかも殺す。


 外部から注ぎ込まれた強迫観念によってずっとそんな思考が頭を回る。




 程なくして僕の目隠しは取り除かれる。


 目に映ったのは三人の子供。

 包帯でグルグル巻きにされ、手足を縄で縛られた状態で、僕の目の前に立たされていた。


 そいつらを見たとき、僕は殺そうと思った。その気持ちが純粋な自分の気持ちだったのか、強迫観念によるものだったのかは分からないけど、少なくとも僕はそう思った。


 一秒後、そいつらは床に倒れていた。


 また目隠しが付けられる。




 次に目隠しが取り除かれたとき目に映ったものは、大勢の人間だった。


 僕はどうやら上空にいて、大勢の無数の人間は地上でせわしなく蠢いていた。少数だけど、僕と同じ高度にも人間はいた。魔法の箒の上で僕に近づこうとしていたり、何かを打ち出そうとしていたりもした。


 十数秒後、僕の目に入った人間は一人残らず地上に倒れていた。

 地上には、無数の死体といくらかの赤い斑点が見える。


 また目隠しが付けられる。




 そのまた次に目隠しが取り除かれたとき目に映ったのは大きな都市だった。

 今回は目隠しだけではなく、耳栓や鼻を覆うマスクも取り外されているようだった。


 大都市は僕のいる所からはるか遠くにあるようだった。

 でも距離は関係ない。

 大都市で蠢くあらゆる生物の生命活動は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、あらゆる感覚器を通して僕に流れ込んでくる。


 数秒後、僕に流れ込んでいたあらゆる生物の生命活動の痕跡は聴覚を最後に、全て途絶えた。


 また目隠しが付けられる。




 実験が終了してからはほとんどの時間、覚醒しているのか眠っているのかもよく分からない朦朧とした意識で暗闇の中にいた。残りのほんの一瞬の時間、目隠しとかが取り除かれ、大勢を殺し、またすぐに暗闇の中に戻る。そんな生活が長い事続いた。


 実験のときとは比較にならない程穏やかに過ごせたが、生きている実感は欠片も湧かない。


 非常にぼんやりとした薄く長い時間だ。


 ぼんやりとした時間は長かった。


 1年か。


 10年か。


 100年か。


 そんぐらい長い時を過ごしているんじゃないかと錯覚するくらい、少なくとも体感時間は長かった。




 そんなぼんやりとしたときを過ごしていたとき、突然強烈な衝撃が身を襲った。

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