第6話 ふたりの逃亡劇
聖地、中央広場。
儀式の中心に姿を現したアルガーは目を見開いたまま微動だにしなかった。
もちろん手足や首は枷と鎖で頑丈に拘束されているが、指や瞼を動かすくらいの余裕はある。にもかかわらずピクリとも動かない。見開かれた目は瞬きすらせず、ただただ静止していた。
凍らされていたのだ。
「見ろ。我が純白騎士が先の戦争で捕縛した殺戮人形だ。特異存在、名をアルガーと言う」
恐怖と驚愕と歓声が混じったような叫びが広場に広がる。しかしあまりに唐突の展開であることから、真偽を疑う者も多い。
「これが真に殺戮人形であることを証明する」
教皇が横に控えていた側近に目線を送る。
目線を送られた側近はアルガーの足元で赤い光を放っていた魔法陣を停止させ、アルガーの頭に巨大なハンマーを振りかざした。
「え?」
足元の魔法陣を停止させたからだろうか。アルガーは目を覚まし、今の自分の状況に困惑する。
しかしその瞬間、ぐちゃりと音を立てて頭蓋骨が陥没した。
側近の振りかざしたハンマーによって。
ハンマーを振り切ったときには、ぶっ潰れた頭部は下あごだけを残して首から分離していた。首を拘束していた枷と鎖は宙ぶらりんになっている。また首から噴き出だされた真っ黒な血液は水たまりを作っている。
あまりの凄惨な光景に広場の群衆は悲鳴を上げる。
しかし次の瞬間、悲鳴を上げる事すら忘れてしまうような衝撃的な事態を彼らは目の当たりにした。
「本物?!」
「これは、間違いない神の呪いの力だ」
「前にも見た...十年前に見た光景だ」
失われた頭部と首との断面が白く輝き、ゆっくりとじわじわと頭が再生されていったのだ。白い光は上へ上へ上昇していき、アルガーの赤いくせ毛の一本一本まで全て再生されていく。
ハンマーで打ち付けられる前と何も変わらない、かつてのアルガーがそこに拘束されていた。
「あ ああ うあああああああああああああああ!!!!!」
「凍結魔法陣起動しろ」
再生されたアルガーが激しく暴れ発狂するが、
「ああああ...ああ... あ.........。」
赤く光り始めた地面の魔法陣によってまたカチコチに凍結されてしまう。
「今は殺戮人形としての特異性を完全には発現していない。しかしいつまた力を取り戻すか知れない。だからこそ吾輩がここでいま殺戮人形を完全に封印する。魔法的にも、物理的にも、二度と地に足を付けさせない」
「う、うおおおおおお!!!」
「そうだそうだ!!!」
「教皇閣下万歳!!!」
広場が畏怖と恐怖と狂乱で満ちる。今までの比じゃない。広場の空気も震えているが、それ以上に個人個人の声も震えを帯びている。畏怖と恐怖と狂乱によって。
「我が敬虔なる信徒よ。吾輩は改めて宣言しよう。これより存亡大戦終結の儀式を始める」
「吹き飛べ!!!!」
ズガァン!!!!
突如、何者かが教皇に肉薄し「吹き飛べ」という言葉を放った。直後、広場に衝撃音が響き渡る。
衝撃に合わせ、鮮やかな金髪がばたつく。グラティアスだ。
もちろん教皇は守護騎士の盾によって守られるが、それでも彼の顔は驚愕の表情を浮かべた。
それもそのはず。今まで無力で愚かな少女だと思っていたグラティアスが、牙を剥き殺意の籠った力強い瞳で自分を捉えているのだから。
「吹き飛べ!!!」
ズガァン!!!!
彼女は「吹き飛べ」と叫んだ後逆手でナイフを振った。直後彼女は後ろ向きに吹き飛び、アルガーのもとへ転がった。
すぐに立ち上がり、
「吹き飛べ!!!!」
ズガァン!!!!
アルガーを縛る鎖を吹き飛ばそうとするが、対魔性能があるからか鎖は無傷だ。
「くそ! アル、少し待っててね。 ...発熱!!」
いくつもの赤い液体の入った瓶と手書きの魔法陣を鎖に投げつけ、魔法を発動させる。
空気を熱する魔法だ。効果時間は短いし範囲も狭い。でもそれでいい。そこに高温があればどれだけ硬く対魔性能を持っている鎖だって溶け落ちる。
程なくしてグラティアスはアルガーを拘束から解き放つことに成功した。
「さあ、『帰ろう』アル」
『帰ろう』その言葉がトリガーになったのか、突然グラティアスの背中のバッグがパン!!と破けて、中から物凄い量の黒い煙幕が噴き出た。
グラティアス、守護騎士、そして教皇もろとも広場全体が黒い煙幕に包まれ、群衆はパニック状態に陥る。
グラティアスはアルガーを箒に乗せて煙幕の闇に紛れ聖地を後にした。
グラティアスに逃げられた後、教皇は広場に集まった群衆に非常事態宣言を発令するとともに側近を呼んだ。
「世界政府中枢領域襲撃計画は停止。殺戮人形の回収に全戦力を注げ」
「ですが...」
「殺戮人形を封印することが出来なければ戦争の大義名分は失われ権力は大幅に失墜し教徒との信頼関係にはひびが入る。計画停止による痛手とは比にならん」
「承知いたしました教皇閣下。口答えした無礼を詫びます」
「謝るな。この事態は吾輩に落ち度がある。詰めが甘かったとしか言いようがない。...次は徹底的にやる」
教皇は親指の爪を噛んで床を睨んだあと、どっかへ行ってしまった。
「うっ、ううっ、会いたかったよティア姉」
「アル、私も。もうすぐ家に着くよ」
真夜中。
箒で空を飛んでいる時、アルガーはグラティアスの背中で意識を取り戻した。
グラティアスとフェロースとアルガーの三人で仲良く暮らしていた赤い屋根の家に向かっていた。
元通りの生活を送りたい、その一心で。
だが運命は彼女らに味方しない。
・・・
彼女らはしばらくして家についた。夜中だったからか、飛行中追手に捕まることはなった。
「家、ついた?」
「ついたよアル、中に入ろ」
「お待ちしておりました殺戮人形アルガー。我ら純白騎士に従い連行されるのならばグラティアスに危害を加える事はありません」
ドアを開くと教皇の手先、純白騎士が待ち構えていた。
「黙れ!!!吹き飛べ!!!!!」
ズガァン!!!!
グラティアスは間髪入れずに教皇の手先を吹き飛ばす。そしてアルの手を掴んで乱暴にドアを閉める。
「アル、逃げるよ!!」
「でも...」
「連中は約束を守らない!! 箒に乗って!!」
「そ、そうだね、うん!」
「くそっ、私たちの思い出の家が...くそっ」
彼女らは逃げる。行く宛もなく。
水平線の端がぼんやりと青く明るくなり始めた。夜明けは近い。
グラティアスらが家を後にして間もなく、家の中で不意に食らって吹き飛ばされていた純白騎士らが起き上がった。
「いてて...お前は本体に連絡しろ。残りは二手、いや三手に分かれて追跡するぞ」
「了解」
「了解」
「了解」
時は過ぎ、夜明けが訪れる。
二人を隠す暗闇は消えていき、地平線から彼女らを照らす光が姿を現す。
「箒に貯めた魔力が尽きかけてる。一か八か街に潜伏しよう」
「そうだね」
街に必ず一つ以上の教会がある。危険だ。だが、彼女らにはそれしか選択肢が残されていなかった。
しかし、そんなことは敵も理解していた。
農地の真ん中にある小さな街。
元々、農地に点々とあるだけのただの農村だったのだろう。近代になり周辺の農村が廃れるとともに成長し街となっただけの、どこにでもある小さな街。
昔ながらの木造建築と近代的なレンガ造りの家が入り混じる趣のある街。
早朝、そんな街に青い光が降り立った。
「不審な青い光を発見? ...分かった、包囲しろ」
「了解です」
「了解です」
教会連合は世界最大の宗教団体。どんな街にも教会連合の教会は存在する。
そして教会は青い光を見逃さない。
どこにでもあるような小さな教会だが、それでも街で一番高い建物。見逃すはずないのだ。
「まずアルの格好をなんとかしなきゃ」
「ならなるべく怪しまれないように、服屋に行こう」
「うん」
早朝、物静かな街道を二人で歩く。
鳥の鳴き声とたまにすれ違う馬車の走る音、そして二人の足音がする。
教会の方からは鐘の音が鳴り響いている。聞き心地の良い高音だ。夜明けを知らせる鐘の音だろうか。
「アル、手繋いで」
「分かった。でもなんで?」
「また離れ離れになったら嫌だから」
「確かにそうだね」
「ありがとアル」
「こっちこそありがと。僕を助けてくれて。凄く怖かったし、痛かった」
「もうアルを絶対そんな目にさせない」
「ありがとうティア姉」
そう言われてグラティアスはうつむいて口ごもる。
そして少しして、僅かにうつむいたまま、小さな声でこんな事を口にした。
「...ねえアル『ティア姉』じゃなくて『ティア』ってよんでよ」
「なんで?」
「別に、理由はないけど」
「うーん。ティア姉はティア姉だから、ティア姉って呼びたい」
「...そっか」
二人の会話はそこで終わり、辺りに静けさが舞い戻る。
鳥の鳴き声も、馬車の走る音も全く聞こえない。二人の足音だけが肌寒い早朝に響き渡っている。
タッタッタッ...タタ。
タッタッタッ...タタ。
グラティアスが足を止め、アルガーも立ち止まる。
すると物音一つ聞こえない静寂が空間を支配した。
数秒後、グラティアスは小さな声でアルガーに耳打ちする。
「アル箒に乗って」
直後、グラティアスは背中に掛けていた箒を即座に起動した。
アルガーもすぐに箒に乗った。
「吹き飛べ!!!」
ズガァン!!!!
ベルトから振り抜いたナイフで自分の乗っている箒を打ち付ける。
すると箒は宙に吹き飛び、一瞬にして空を飛ぶことが出来た。
一歩遅れて、物陰から包囲しようとしていた教会連合の手のものが一斉に飛び上がる。
「逃がすなぁー!!」
「オラオラー!!」
「うおおお!!」
「そりゃー!!」
「アル、しっかり掴まって、飛ばすよ!!」
「うん!」
加護と魔法による攻撃が雨のように降り注ぐがどれひとつ2人には届かない。彼女らは無事に街を脱した。
しかし度重なる逃亡によって彼女らには疲労が溜まってゆく。
「教皇閣下、またもや取り逃がしたとの報告が」
教皇は巨大な移動要塞のてっぺんで会議を始めていた。
地下回廊を造っていたレンガと同じ黒いレンガで出来ている、人型の移動要塞だ。大地を震わせながら二足歩行でゆっくりと歩いている。ただ、地下回廊や聖地とは違い移動要塞の至る所に刻み込まれている魔法陣は緑色に光り輝いている。
手も足も胴体も可動部以外は平坦でずんぐりむっくりしていて固そうだ。
全体的にのっぺりしているが、頭は巨大な聖堂のような複雑な造形をしている。
「いい。このまま体力を奪い続けろ。影帝国、世界政府、フェロースの動向はどうだ」
教皇が連絡係にそう尋ねる。
移動要塞が歩くことによる振動によって、会議テーブルに置かれたお茶はこぼれてしまっているが、誰も気にしていない。
メイドが絶えずお茶を注ぎ直している。
「影帝国は3000規模の大群三つを三方向に向かわせています。場所、方位はこのようになっておりまして、―――」
「なるほど。世界政府は」
「世界政府全体でははまだ動きを見せていません。しかし中枢政府ではすでに賢人会による計画が動き始めていて、賛同議員との間で激論が―――」
「そうか。フェロースは」
「実は―――」
「そうか。ならば行動開始だ。全軍に通達、包囲警戒網を解きアルファ地点に集結しろ」
グラティアス達の乗っている箒の青い光が消えかかってきた。
「...」
グラティアスはナイフを取り出す。
「ティア姉?」
「なに?」
「なにしようとしているの?」
「何もしてないよ」
そう言いながらもグラティアスは左手首にナイフの刃を当てようとする。
しかしナイフを持つ手をアルガーが掴み、それを阻む。
「ティア姉、嘘つかないで」
「もう箒に貯められていた魔力は無いの。私の血を使わないとこれ以上飛べない!! だから―」
「ダメ、ティア姉がこれ以上傷つくのを僕は見たくない」
「私だってそうだよ!!アルが酷い事されるのは耐えられない!!」
グラティアス涙をこらえる。その声は悲痛に満ちていた。
「...ティア姉」
「アルは絶対に私が守る。どんなことをしても」
歯を噛みしめ、ナイフを持つ右手をギュッと握り直す。
そしてアルガーの手を振りほどこうとする。
「ティア姉、せんせーに渡された『キー』を使おう。なんとかなるかもしれない」
キーとは、フェロースとグラティアス達が別れるときに彼女が受け取った、黒い魔法陣が刻まれている細くて鋭い金属のことだ。
キーを受け取る時、フェロースは「万が一の時は頼んだ」と言っていた。アルガーはその「万が一の時」が今だと言っているのだ。
今はグラティアスの首に掛かっている。
「...うん」
グラティアスは地上に降り立ち、慎重にキーをアルガーに渡した。
あまり顔は明るくない。
「気を付けてアル、なにか、すごく嫌な予感がする...」
「分かってるよティア姉」
キーを刺すところは明白だ。
キーと同じく黒い魔法陣の刻まれている場所。その中心。アルガーの心臓だ。
アルガーはキーを逆手に持ち、ゆっくりと、そして確実に心臓にキーを差し込んでいく。
痛みもあまり無さそうだ。
黒い魔法陣が不気味な光を発しながら全身に広がっていく。
それでもアルガーはキーを差し込む手を止めない。
カチ。
差し込み切ったとき、そんな音がした。
心臓部が白く光り、全身に刻まれていた黒い刻印がチリヂリになって消えていく。
・・・
程なくして黒い刻印が、フェロースの施した封印が全て消えた。差し込んだはずのキーも含めて。
それはアルガーの過去の記憶と特異存在としての力が解放されたことを意味する。
あとに残るのは神々しく光り輝くアルガーの姿だった。
しかし...
「アル? アル?! 起きてよ、ねえ!」
封印の開放はショックは大きすぎた。
脳に降り掛かる膨大な記憶も、肉体を貫く強力なエネルギーも少年にとっては恐ろしき暴力に違いなかった。
大量の情報とエネルギーの解放に耐えきれなくなって、アルガーはその場にバタリと倒れ込み意識を失う。
グラティアスの必死な呼び掛けにアルガーは応えない。
そうして、アルガーは深い眠りについた。
深い深い眠りの中でアルガーは旅を始める。
封印で隠されていた記憶の回想の旅だ。
そして時は20年前に遡る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます