第5話 存亡大戦のお話

 「...は」


 『教皇閣下を愚弄するな!!! 許せん!!! この場で刺し殺す!!!』そう言われてグラティアスはパチリと瞬きをした。

 瞬きを一回。


 瞬きを二回。

 門番は今にも槍で突き刺しそうと構え、彼女の返答を待っている。

 鬼の形相でグラティアスを睨みつけていて、鬼気迫る勢いだ。


 瞬きを三回。

 瞬きを三回した後、息を大きく吸ってようやく口を開く。


 「 ...許せん? 許せないのは私の方だよ! アルガーを返せ!!!」


 湧き上がる怒りに身を任せ、グラティアスは上着の内ポケットから隠し持っていたナイフを勢いよく放った。その勢いのまま彼女は己の左手首に軽い傷を付け、ナイフに彫られた魔法陣に自らの血液をしみ込ませる。


 「く、貴様あ!」


 突然の叫びと気迫に怯えた敬虔な教徒と門番の三人組がよろめき、一歩後ずさりし距離を取ろうとした。しかしそれを見たグラティアスがさらに一歩前に迫り出る。

 そして、グラティアスは三人に瞬きする時間すら与えずに即座に叫んだ。


 「吹き飛べ!!!」


 ナイフに刻まれた魔法陣が赤く輝く。

 さらに叫んだと同時に、全力をもって、右下から左上に、目にも止まらぬ速さでナイフを振り切った。


 シャキン!!!


 その素振りには確かな重みと殺意があった。三人の腕や顔をナイフが掠め、鋭い切り口から血が滲んでいく。

 しかしそれだけでは終わらない。


 ズガァン!!!!


 ナイフが振り切られた後、ほんの僅か遅れて、三人を衝撃が襲った。三人は吹き飛び、「ぐはぁ」と間抜けな声を上げて遠くに転がっていった。

 魔法発動による衝撃波だ。

 その証拠にさっきまで魔法陣にしみ込んでいたグラティアスの血液が蒸散している。


 「衝撃?」

 「近衛兵を呼んで来い!」

 「揉め事...いや異端者だ!」

 「殺してやる!」


 「うるさい。吹き飛べ!!!」


 ズガァン!!!!


 周りにいた十数人がグラティアスを取り囲もうとしたが、一振りで全員あっけなく吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされた人々に見向きもしないでグラティアスは背中に掛けていた箒を取り出し、地面を蹴って空中に浮かんだ。箒は赤い光を放っている。


 「聖堂も邪魔! 吹き飛べ!!!」


 ズガァン!!!!


 ナイフを前に振りかざしつつ大聖堂の門に突撃し、強引に門を開かせながら空を飛ぶ。


 聖堂を出ると、真夜中のひんやりとした風がグラティアスの髪をばたつかせた。夜空では雲の切れ目から微かに星が輝いている。

 下では、彼女を怪奇の目で睨む人。警戒して銀縦のレプリカをかざす人。怒号を上げ、物を投げる人。いろんな人が多様な行動をしている。


 しかし彼女にとってはそんなことは心底どうでもいい。

 彼女の関心は、目線の先で行われようとしている教皇による儀式にある。




 「我が敬虔なる信徒よ。よく耳を澄まし吾輩の言葉を知れ」


 真夜中、うん十万人が広大な聖地広場にひしめき合っている。

 教徒たちの羽織る衣は多種多様だ。白く長いローブの者、黒いワンピースの者、青いブレザーを着込んでいる者もいる。


 それでも皆、左手にランプ、右手に銀盾のレプリカを持ち、心して教皇の言葉に耳を傾けている。

 数十秒後、広場が静寂に包まれる。そして教皇が口を開く。


 「存亡大戦は終結していない」


 教皇の意表を突くその言葉で騒めきと動揺が走った。

 すぐに広場に静まりが戻る。しかし群衆は前よりも熱気を帯びている。


 「存亡大戦は終結していない」


 二度言った。

 流石に同じ言葉で動揺は起こさない。群衆は黙って教皇の言葉に耳を傾ける。


 「昔話をしよう。吾輩が生まれるよりも昔のお話だ。


 かつて世界覇権を賭け他列強と壮絶な戦争を繰り広げていたかの帝国は、禁忌の研究『ヘゲモニー計画』によって特異存在、またの名を『殺戮人形』を生み出した。

 生み出された殺戮人形の力は強大だった。帝国の敵は殺戮人形によって次々と滅ぼされてゆき、やがて、世界中に帝国の名が轟くようになった。


 しかし帝国の栄光の時代は突然、終わりを告げた。

 世界存亡の危機が始まったと同時に。


 殺戮人形が魔女に強奪されたのだ。

 魔女アモル。またの名を殺戮の魔女という。

 魔女は空を飛び、殺戮人形を操り、全世界に死をばら撒いた。

 帝国、王国、共和国、四王国、連合王国、皇国。かつて列強と称されていた大国も混沌の渦に否応なく巻き込まれ、そして滅んだ。

 世界の人々は具現化されし絶望を恐れ、怯え、逃げ、惑い、そして死んだ。

 よもやあらゆる組織は瓦解し、人と人を結びつける絆は恐怖を前に失われかけていた。


 だが教会連合は絶望を否定し希望を肯定した。諦めなかったのだ。

 教会連合は人類を絆で結び、力を一つにした。

 教会連合は信仰で希望を創り出し、恐怖に打ち勝つ力をつけた。

 そして、教会連合は殺戮の魔女に対抗し、存亡戦線を構築した。殺戮の魔女の侵攻を食い止めるための人類共同戦線だ。


 存亡戦線は壮絶を極めた。

 おびただしい人々が名誉の戦死とは言い難い形で死んだ。大地は真っ赤な血で染まり、空から死体の雨が降った。

 だが敵も、殺戮の魔女も痛手を被った。

 人類は決死の覚悟で天空に加護の力と魔法を放ち続け、壮絶な天変地異を起こした。それにより殺戮の魔女は消耗していき、ついには侵攻を止めた。


 そして英雄フェロースが教会連合の協力の下、神速の剣で魔女を殺害し存亡大戦に終止符を打った。

 こうして吾輩の聞いた昔話は終わりを迎える」


 存亡大戦終結は10年前。

 存亡戦線構築は13年前。

 魔女襲撃事件は14年前のことだ。9歳の教皇にとっては昔話であっても、ここにいる多くの人間にとっては昔話ではない。身をもって体験した生きた記憶だ。


 だから、存亡大戦の話を昔話と言われるのは愉快ではない。案の定、広場では騒めきが広がって、中々収まらない。


 しかし教皇はあえて昔話ということを強調した。その理由は最初に言い放った「存亡大戦は終結していない」という言葉に繋がる。


 「騒々しい。我が敬虔なる信徒よ、口を閉じろ」


 群衆全員がハッとした表情を顔に浮かべ口を閉じ、謝罪の意としてその場でひざまずき頭を下げた。


 「顔を上げろ。演説を続ける。心して聞き入れろ」


 教皇がそう言って口を閉じてから数秒間。広場は静寂に包まれたままだった。

 それに満足したのか、さらに数秒後ようやく教皇は口を開いた。


 「先の昔話にはひとつ、嘘がある。『英雄フェロースが殺戮の魔女を殺害し存亡戦争に終止符を打った。』ということだ。


 存亡戦争は終結していない。


 存亡大戦は人類の存亡の危機が迫った大戦だから存亡大戦と呼ばれている。ならば、人類存亡の危機を取り除かぬ限り存亡大戦は終結しない。

 では人類の危機とは何か?

 殺戮人形がこの世に存在している事だ。


 英雄フェロースは確かに魔女を殺害した。これは事実だ。ところが殺戮人形は死んでない。強力に封印されているわけでもない。

 それは何故か。何故フェロースは殺戮人形を閉じ込め、封印しなかったのか。

 そして何故世界政府はそれを黙認したのか。


 答えは単純。

 フェロースと世界政府の陰謀によるものだ。


 世界政府はフェロースと結託して殺戮人形を兵器利用しようとしていたのだ。かつての帝国のように。

 その証拠に、英雄フェロースは存亡大戦が終わってから長らく、牧草地帯で出来る限り人目に付かないように生活しているという事実がある。

 何故かの英雄が大都市の大豪邸ではなく、人目に付かない牧草地帯でひっそりと生活しているのか。殺戮人形を隠すため以外に理由は存在しないだろう。


 世界政府とフェロースは存亡大戦を終わらせない。

 終わらなければ存亡大戦を昔話にできる日は永久に来ない。


 ならば吾輩の手で、教会連合の手で、真に存亡大戦を終わらせるしかない。

 あの悲劇を二度と起こさない為に。二度と大地を真っ赤な血で染めない為に。自らの子供にあの絶望を味わわせない為に。


 フェロースに世界政府。きゃつらは卑劣で破滅的、そして神の理に反する異端者だ。


 フェロースはもはや英雄ではない。

 世界政府ももはや世界を統治する器にではない。

 ならば吾輩が真の英雄に。

 教会連合が真の世界政府になるしかない。


 だから吾輩は、世界政府並びにフェロースに宣戦を布告する。真の平和を掴むために。

 そして吾輩は、真の存亡大戦終結の儀を始める。偽りの平和を終わらせるために。


 我が敬虔なる信徒よ。立ち上がれ。そして叫べ。


 声の限り叫んだ後、此処で、今日、存亡大戦終結の儀式を始める。


 我らの手で、存亡大戦を昔話と言える時代を到来させようではないか!!!


 我が敬虔なる信徒よ。儀式の瞬間を心して目に入れろ」


 「「「ウオオオオオオオオオ!!!!」」」

 「「「ウオオオオオオオオオ!!!!」」」

 「「「ウオオオオオオオオオ!!!!」」」


 教皇の演説が終わったあと、誰もが立ち上がり教皇に向け銀盾のレプリカを掲げ声の限り叫んでいた。真夜中、広場での体感温度はぐんぐん上がっていき、大勢の叫びで空気は激しく震えている。


 熱狂。その言葉では言い表しきれないほど、敬虔な教徒の軍団は興奮と熱気を帯びていた。


 「「「ウオオオオオオオオオ!!!!」」」

 「「「ウオオオオオオオオオ!!!!」」」

 「「「ウオオオオオオオオオ!!!!」」」


 教皇に立ち上がれと言われれば立ち上がり、叫べと言われれば叫ぶ。一見、広場に集まった教徒は教皇の言うことに馬鹿正直に従っているようだが、それは違う。彼らがこれほどまで熱狂しているのは全て教皇の計算によるものだ。


 教皇の演説には、確実に彼らの心を動かすものがあった。


 存亡大戦の凄惨な光景の情景描写、論理立った分かりやすい説明、緩急と強弱を付けた聞きやすい演説、深夜という時間帯、うん十万という人間が集まったことによって生じる集団心理、教皇自身による教徒の熱狂の肯定。


 これら全てが組み合わさって初めて、これほどまでに盛大に人間は熱狂する。


 ドン!! ドン!! ドン!! ドン!!

  ドン!! ドン!! ドン!! ドン!!


 教皇の演説が終わってからしばらく経った後、太鼓が鳴らされる始めるが、群衆の叫びに負け気味である。

 しかし太鼓の音に呼応し、儀式の用意は着々と始まっていった。


 街によくある教会の大きさを超すくらいの巨大な魔法装置が儀式の場へ上がっていく。


 いくつかもの歯車が組み合わさっていて、さらに何百本もの細長く鋭い巨大な針が魔法装置の中心向きに設置されている。

 まるで中世に存在したという拷問器具、鉄の処女のようだ。


 また、魔法装置の外側には4つの円形の巨大魔法陣が内向きに配置されている。

 当然、歯車にも針にも魔法陣が刻まれている。しかしまだ魔法の発動はしてないようだ。魔法陣に光が灯ってない。


 ドン!! ドン!! ドン!! ...ドン!!!!


 太鼓が最後に大きな音を立てて鳴りやむ。

 そして...


 「我が敬虔なる信徒よ。心して儀式を目の当たりにしろ」


 教皇がそう言い放つと、あれだけ熱狂し盛り上がっていた広場の教徒たちが緊張した風にして、巨大な魔法装置を見つめるようになってきた。

 再び場に静寂が、さらに緊張感が訪れる。


 そして、巨大な魔法装置の中心部分の底が開き、ゆっくりとアルガーが地上に姿を見せた。




 「クソ、なにが中枢議会だ。話にならなかったな」


 一方その頃フェロースは、中枢議会を抜け出しアルガー達に会うため聖地に向かって一直線に空を飛んでいた。


 フェロースはアミークスを彼女の家へ帰した後、中枢議会へ行った。

 しかし中枢議会では、散々待たされた挙句、「いち議員では何もできません」「我々は上の決定に従うだけです」などという返答しか得られなかった。


 中枢議会の議員に本来上司や上部組織は存在しないはずだが、それはあくまでも建前。彼らの大多数は教会連合か賢人会の決定や指示に逆らえない。


 フェロースは議員の『上』である賢人会に殴り込む事も考えた。

 だが保身に長けた彼らを見つけ出すのは一筋縄ではいかない上、そこまで独断で行うと教会連合が味方してくれなくなる可能性が高いと考え、やめることにした。


 教会連合は既にフェロースを裏切っているが、その情報は彼には伝わらない。


 「これからどうすれば日常を取り戻せるというのか...」


 そうしてしばらく経った頃、フェロースは突然何かに気づいたようにバッと目を見開いた。


 「あ?!」


 次の瞬間、フェロースが箒の先端を強引に引っ張り、箒の軌道をななめにずらす。


 パアン!

 

 高速で飛んでいたフェロースが急に軌道をずらしたことによって、巨大な音と衝撃波が発生する。

 しかしそれは後の衝撃に比べれば些細な事だった。


 ... .. . ヴォガアアアアアアアアアアン!!!!!!


 一歩遅れて、もしフェロースが軌道をずらさなければ通っていた空間で、大規模な爆発が起こった。


 フェロースが軌道をずらした直後に生まれた真っ白な火球が一瞬にして小さな街を飲み込むぐらいの大きさの球状に広がり、さらに周りの空気を巻き込みながら巨大な爆発へと高速で成長していった。


 そして爆発と同時に発生した殺傷能力のある衝撃波がフェロースを襲うが、瞬時に引き抜いた剣を一振りして衝撃を相殺する。


 「へえーこれを躱したか。てめえ、腐っても英雄なんだなぁ」


 爆発で発生した大量の黒煙が周囲の空気を根こそぎかき集めながらきのこ雲を作っていた最中、地上より、そんな言葉を吐きながら箒に乗ってフェロースに向かってくる人影が10人程度いた。


 典型的な魔術師帽をかぶり、大きな魔法の杖を片手に持っている。紋章などもなく、一見特徴的な恰好はしてないように見える。


 「その身なり、魔術師連合か」


 「流石英雄様。なんで分かったんだ?」


 「その重装備だ。魔術師連合はありとあらゆる状況に備えて、常に多くのものを携帯していると大魔法使いから聞いた。貴様は一体いくつのバッグを身に纏っているんだ?」


 箒に三つ、背中に二つ、胸に三つ、腹に一つ、肩から一つ、腰に四つ、合計14個のバッグを吊り下げている。


 「なるほどなー。力だけじゃなくて頭もいいのか英雄様は。おもしれえ」


 「箒の放つ光は青か。貴様らは教会連合と世界政府、どっちの差し金で来た」


 魔法陣や箒を青白く光らせる血液を持つブルードラゴンは、世界に二体しか残っていない。そしてその二体は教会連合と世界政府の二勢力が保持している。ということは...


 「もちろん秘密だぜ。そんなことより、英雄は俺らと戦う程暇なのか?」


 「どうせ逃げても追い打ちしてくるだろうが。それより、そこら中に散らばっている仲間は集めてはどうだ。そしたら案外俺に勝てるかもしれない」


 「英雄様こそ、お得意の神速使って尻尾撒いてすたこら逃げれば俺らに負ける事はねえんじゃねーの?」


 「そうか。ならとっとと殺ろう。グラとアルガーが心配だ」


 次の瞬間、フェロースは先ほどまで会話していた魔術師連合の男に肉薄していた。

 しかし、間合いに入りかけた瞬間、フェロースの目の前に炎の壁が現れ、炎が彼を襲った。


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