第3話 選択の時

 「これはねえ、封印の刻印!」


 老人は長く尖った爪でアルガーの胸の魔法陣をなぞり、そう答えた。目を見開き、口を裂けそうになるくらい広げ、満面の笑みを浮かべている。


 「なんで、ぼ、僕にこんなのが?!」


 「フェロースが刻んだからさ。でも大丈夫この刻印は絶対に解いてみせるから。どんな手段を使っても。ふふ。ふふふ。ふふふふふふ。」


 老人の低い笑い声が実験室中に響き渡る。

 と、その時、それまでずっと笑っていた老人が唐突に、そして予備動作なしに、鋭い機械を突き刺してきた。それも、アルガーの胸の中心に。


 「あああああああああああああ!!!!」


 「あああああああああああああ君はうるさい! いいかいアルガー君。君はフェロースの封印から解放されて晴れて自由の身。そして僕は、ふふ、ふふふ、君をなにが、どうして、どうやって、どうすれば、どのようにして特異存在たらしめているのか、そして、僕自身はどう、どうして、どうやって、どうすれば、どのようにすれば開放されるのかを突き止める!!!! ...ああそういえば影帝国の要望にも応えないといけない。君は自由の身になる前にほんの少しだけ、影帝国の道具となってもらおう。大丈夫。いつかは影帝国からも解放される。そしたら君は正真正銘自由の身だ」


 ゴリゴリと骨がこすれる音がする。アルガーの胸に鋭い魔法機械を突き刺し、突き刺し、突き刺し、突き刺す。


 「無論!! 僕だって心苦しい!! だが、だがしかしこれしか手段は無い。安心してくれ何もサディスティックで悪趣味な拷問を行っている訳ではないただ、ただ実験を行っているだけ。だけ!! だから聞き分けるんだ。ふふ。ふふふふ。この実験で僕は開放されるための術を見つける。ふふふふふふふふふ。ついに。解放。ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。僕は解放!!!!!」


 想像を絶する痛みが襲い、アルガーは叫び、もがき苦しむ。しかし体を拘束している金属はビクともしない。恐るべき実験の準備は着々と進んでいく。


 老人は老衰しているはずの手で力強く実験器具を握りしめ、顔をほころばせ、上機嫌で用意を進めている。


 「やめ、やめて、いやああああ!!!」


 「魔法陣作動、伝達確認よし!! 実験開始ィィ!!」


 と、そのときだった。

 実験が始まる寸前のこの瞬間。


 ズゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!!!!!


 実験室の壁が、天井が、本棚が、老人が、実験器具が、アルガーの拘束具が、端から端までを結ぶ線上にあるものが全て、一瞬にして消し飛んだ。

 なにがあったのか?


 なんと、実験室を含め地下に建てられていたはずの影帝国の秘密基地が岩盤ごと真っ二つに両断されていたのだ。


 「アルガー無事か?!」


 轟音の響き渡る中空で聞き覚えのある透き通った声が響く。


 「せ、せんせー?」


 「遅れてごめんな。助けに来た」


 声の主はフェロースだった。

 グラティアスを抱きかかえ、アミークスを背中に乗せつつ、真っ赤な剣を振るい、あらゆる障害物を両断したのだ。

 そして剣をさおに納めてアルガーを片手でギュッと抱きしめる。


 「せんせーっ怖かった、痛かったよ、ぐずっ」


 「遅くなってごめんなアルガー。もう大丈夫だ。グラもアミークスさんも無事さ」


 暖かい。安心しきったアルガーはそう感じながらフェロースの胸の中で眠りについた。

 しかし安心するのはまだ早い。

 奇襲を辛うじて生き残った影帝国の軍団が吹き飛んだ残骸から姿を現し、目の前を覆いつくす。


 「見事な奇襲だったな英雄君子。ごきげんよう、影帝国だ」


 「旧世紀の亡霊が。皆殺しにしてやる!!」


 影帝国の軍団の人数は千を超えているようだ。

 だが戦闘は量より質が重要。圧倒的火力を保持しているフェロースならば影帝国の軍団を蹴散らすことなど容易いだろう。


 しかし、フェロースは左手でグラティアスを抱え、右手でアルガーを抱え、背中にアミークスを乗せている。

 これでは剣も振るえない。


 「好機だ。英雄殺しを実行しよう」


 影帝国の軍隊はこれを好機とみて、フェロースへ攻撃を仕掛けようとする。

 箒でフェロースを囲うように飛び回り、一斉に巨大魔法を発動させる。


 (ここは引くしかないか...)


 そうフェロースが思っていた時、思わぬ援軍が来た。


 「全員レジスト! フェロース殿。我々が援護します」


 純白の衣を纏う数十人が風に乗って飛んできた。

 頭の上に光輪を浮かばせ、白く複雑な彫刻の刻まれた槍を持っている。体の半分以上を覆う銀色の盾には守護神の翼が描かれている。

 教会連合の純白騎士だ。


 「教会連合、純白軍か。面白い。その純白の衣を真っ赤に染め上げようではないか」


 「神の慈悲を一身に受けた英雄に刃を向ける異端者が!!」


 両者が攻撃準備に入る。

 影帝国は軍団全体で一つの巨大で強力な魔法を発動させる。軍団の魔法使いそれぞれが持つ魔法陣を連動させ、9つの超斬撃を生み出そうとしているのだ。


 対して純白騎士は、それぞれが持つ神のご加護による能力を発動させようとしている。

 炎、風、大地、雷、それぞれの系統が息を合わせ、強力な能力を引き出すのだ。


 「放て」

 「我らの神聖なる力で影帝国を葬り去ってやれぇ!!」


 ゴゴゴゴゴゴッ バアアアアアン!!!


 高速で放った斬撃が強力な風の加護の力でレジストされる。だが攻撃そのものは無力化できたとは言え、それは圧倒的エネルギー同士の衝突である。

 大気は真二つに裂け、発生した衝撃波がそこにいた全員の全身を襲った。

 だが両者とも怯まない。鍛え上げた技術と筋力で箒を操り、すぐに体勢を整えなおす。


 バチバチバチバチ!!!


 ズズズッドドーン!!!


 影帝国の攻撃がレジストされる一方、純白軍の放った風以外の攻撃はレジストされずに直撃する。

 電撃が軍団を焦がし、さらに土でできた触手が彼らをバチンと遥か彼方へ弾き飛ばした。


 「少し不利か、引くぞ。諸君また会おう。さようなら」


 例によって、負けを悟った影帝国は一言挨拶したのち真っ黒な煙幕をモクモクさせながら撤退していった。


 「!! 全員、煙幕を吹き飛ばせ!! 異端者を逃がすな!!」


 純白騎士の風の加護使いは即座に加護を行使する。しかしあと一歩遅かった。


 「クッ卑怯者が!!!」


 影帝国の隠密能力は世界最高である。風の加護で煙幕を散らしても、影帝国の軍団の影はもう無かった。


・・・


 「アルガー。お前が目を覚ましたら、俺は大切な秘密を伝えないといけない」


 影帝国の軍団が姿を眩ました後、フェロースは眠っているアルガーにそう、そっと耳打ちした。




 アルガー救出劇を覗き見るやつらがいた。

 世界政府中枢領域「メガ・ヴレイン」最上階。


 「フェロースが特異存在を救出したのだが...」


 一人の男が宴会の真っ最中、実に小さな声でそう言った。


 「...」


 「...教会連合も、フェロースを援護するという形で介入してきたのだが」


 「...」


 皆無言のまま、自分の椅子の魔法陣に手をかざし、宴会を行うフロアから離れていく。

 宴会が一時中止され、重厚感ある円卓会議フロアで賢人会議が始まる。


 「...ふむ。こうなればもう、フェロース暗殺しか手は無いのではないじゃろうか」


 「無理だな。俺様の魔術師連合でも。奴の真骨頂は神速だからな。時間稼ぎは出来るだろうが、暗殺は不可能に近いぜ」


 「だが、このまま教会連合と英雄そして特異存在が繋がれば賢人会の存続に関わるぞう」


 「条約を破ったのも危害を加えたのも我らだ。大義名分はあちらにある。 ...やばいな」


 「こうなればシラを切り通すしかないだろう。不可侵条約なぞ知らんと。その上でフェロースの大衆イメージを『世界を救った英雄』から『殺戮人形で更なる虐殺を企む極悪人』に変えていく。これで賢人会の体裁は保てる」


 不可侵条約とはフェロース、賢人会、教会連合総本山の三者間で民衆には秘密で結ばれた条約のことだ。三者は互いに害を及ぼす干渉をしないという秘密条約である。


 「ならばいっそのことフェロースを徹底的に迫害し、精神的に殺していくのはどうでしょう」


 「良い案ではないか。奴も戦闘力を除けば所詮一般人。精神的余裕がなくなれば致命的な隙も生まれるのではないか?」


 「ふむ。となると、教会連合の肩書きも『人類を守った立役者』から『フェロースを利用し権力増大を狙う裏の黒幕』に印象操作で変えていくべきじゃのう」


 権力増大を狙う裏の黒幕という言葉は、世界政府を裏で糸引き己の富を増大させていこうとしている賢人会にピッタリだが。

 しかしそんなことは賢人会の誰もが理解している。


 「人類の過半が信仰する宗教と全面的に対立する、か。明らかに悪手だが、存続のためにはやむなしか」


 「いえいえ、大衆を操り扇動することは容易いでしょう。なにせ我らは世界の最高権力機構『世界政府』の特別行政を完全に支配しているのですから」


 人類存亡大戦後に結成された組織『世界政府』

 世界平和と文明再建のためという名目で結成された組織。世界の九割を支配下に置いた現在ではその名の通り世界の政府として君臨している。

 89もの州にそれぞれ存在している地方政府が立法、一般行政、司法を行い、それらを統括する中枢政府が立憲、中枢命令、特別行政を担っている。

 地方政府および中枢政府は共に高度な民主主義を採用していて、世界政府は非常に先進的な優れた政府なのだ。


 と、いうのは表向きの話である。


 まず中枢政府の特別行政は事実上、賢人会の支配下にある。また、立憲と中枢命令を司る中枢議会も、賢人会と教会連合二つの勢力が強い影響力を持っている。

 特別行政は中枢政府が直々に行う全ての行政のことだ。中枢命令は地方政府や民衆が絶対に遵守しなければいけない命令だ。そして立憲は、世界政府統治下に定められたルールを根本的に変える力を持っている。

 だから、世界政府を創設した「賢人会」、人口の過半の信仰している「教会連合総本山」この二つの組織の傀儡に成り下がっているというのが世界政府の実態だ。


 「そうじゃな。不可侵条約を結んだ8年前と今は違う。内部工作、でっち上げ、検閲、プロパガンダ、扇動教育、偏向報道、不当逮捕、対立煽り、なんでもできるじゃろう。さすればすぐにも大衆間で無数の分断が生じ、信仰力は崩れ落ちる」


 「フェロースと教会連合を悪者に仕立て上げ、数年かけてじわじわと首を絞めるように奴らの権力を失わせる。いい案だ。だが、いいのか? そんなことをすれば高確率で教会連合と戦争になる」


 「問題ないじゃろう。トップが優秀とは言え教会連合は所詮バラバラの宗教の集合体じゃ。我ら地方警察、正騎士団、魔術師連合。この三つがあれば少なくとも総本山は潰せる。さすれば容易く瓦解するじゃろう」


 「左様。戦争で相手するならば教会連合なぞより容易に潰せる。無論、こちらも痛手を被るだろうが、致命傷には程遠い」


 「フェロースと教会連合さえ潰せば特異存在は手に入る」


 「教会連合は特異存在を扱える技術を持っておらん。仮に戦争で総本山を潰せなくとも、ゆっくりと確実に、真綿で首を締めるるようにいやらしく追い込んでいけば良いのだ」


 「そうですねぇ。それが良いと思います。しかしくれぐれも、影帝国には付け入る隙を与えないで下さいよ?」


 「ならば早めに怪しい身内の粛清を行おう。拷問は私に任せてくれ」


 「教会連合の息のかかった中枢議員の不当逮捕は俺様に任せろ。いつかこうなると思って犯罪証拠を作っておいてあるぜ」


 「グフフ みな賛成だな。それで行こう」


 「永久の富と安寧を賢人会に。乾杯」

 「永久の富と安寧を賢人会に。乾杯」

 「永久の富と安寧を賢人会に。乾杯」




 ドン!!!


 「ふざけるな!!!」


 教会連合総本山のとある聖堂。

 滅多に物に当たらないフェロースがテーブルに拳を叩きつけ、怒りをあらわにしていた。

 机には特異存在の引き渡しを命ずる手紙が置かれている。送り主はもちろん世界政府だ。


 「随分とご立腹ですね英雄様」


 そう口にしながらカツカツカツと軽快なリズムで聖堂の階段を降りてきたのは教皇だった。


 「教皇閣下!! このような辺境の地に御呼びしてしまい申し訳こざいません!!」


 そう謝り最敬礼をしたのはフェロースじゃない。アルガー救出時にフェロースの援護をしてくれた純白軍の隊長だ。片膝を床につけ、深々と頭を下げている。

 フェロースは拳を握り込んだまま教皇を睨みつけている。


 「謝るな。吾輩も久々に聖地を離れられて嬉しい」


 「はは!有り難きお言葉!!」


 純白軍隊長の礼を聞き届けた教皇はもう一度英雄の方を向いた。


 「吾輩としたことが挨拶を忘れていた。吾輩は教会連合第三百三十四代教皇。英雄様、ご機嫌よう」


 教皇の透き通った声が聖堂に響き通る。

 それまで口を閉じ睨みをきかせていたフェロースが、眉をピクリと動かして口を開く。


 「俺はアルガーとグラティアス、そしてアモルの英雄だ。教会連合の英雄に成り下がった覚えはないな」


 「そうか。じゃあこれからは『フェーロース』と呼ぶよ」


 より一層機嫌を悪くしたフェロースが椅子から立ち上がり、上から教皇を睨みつける。


 「俺の名前は『フェロース』だ。要件が無いのなら俺はみんなを連れて帰る。世話になったな」


 「まあ待て、要件は簡単さ。手を結ぼう。

 君は英雄として教会に祀り上げられることを許容し、その上で、世界政府の中枢議会に出席してほしい。見返りとして、アルガー、グラティアス、それともう一人の女の子の身柄を保証するよ。

 それとな、近々教会連合と賢人会の間で戦争が起こる。もし賢人会が戦争に勝利すれば君は全世界を敵に回さないとならない。君一人ならそれでもいいだろうが、今の君には守るべきものがあまりに多すぎるだろう?手に余る。」


 教皇は分かりやすく、懇切丁寧に、軽い身振り手振りを交えて、話す速度や音量に緩急をつけて、実に聞き心地のいい理解しやすいプレゼンをやりきった。

 対してフェロースは、睨んだままポーカーフェイスを貫き通す。


 「...『守りたいものを守りたければ教会連合に全面的に協力しろ』そう言いたいのか?」


 「端的に言えばその通りだフェロース。いや英雄様よ」


 「少し考えたい」


 「長くは待てないぞ。賢人会は今にも次の手を打ってくるだろ...」


 バン!


 聖堂の扉が乱暴に閉められる。

 フェロースは教皇の話を最後まで聞かずに、アルガー達が眠っている医務室へ踵を返していった。


 医務室には3人がベッドで眠っていた。

窓から月明りが射し、灯りのない医務室を薄っすらと照らしている。

 フェロースは3人に目をやりながら、昨日までのことを思い出す。


 一日前のこの時刻にはアルガー、グラティアス、フェロースの三人で今日行くはずだった学校の事とかを話していた。

 たったの一日でそれまであった日常が全て失われてしまったのだ。


 「日常か、リスクか」


 フェロースがポツリと小さな声で呟く。三人を起こさないように。


 「日常か、因縁か」


 「日常か、罪悪か」


 グラティアスの方を見る。

 なにかに怯えているように、体を丸くして眠っている。

 昨日までは、手も足も伸ばして仰向けになって眠っていた。

 目元には涙を流した跡がある。


 「グラティアスは強い子だ。でもやっぱり、俺の子だ。俺も娘も人前では涙を流さない。それでも...」


 フェロースの決意は固まった。


 「日常を取ろう」


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