第2話 フェロースと陰謀

 「グラァァー、きず、傷がぁぁぁあああ!!!」


 アルガーが白髪の老人と対峙している時、グラティアスとアミークスは目を覚ます。


 二人とも全身あざだらけだが、グラティアスの傷は特に酷い。アルガーを助ける為に発動させた発火魔法による火傷が全身の皮膚を薄く浸食している。さらに、正騎士団の打ち出した魔法衝撃波で片足も骨折していた。


 「アミ泣かないでよ。私は大丈夫。やけども骨折も大したことない。それよりアルは無事?」


 「アルガー君は...消息がわからないわ」


 「...そう」


 アミークスは馬車の残骸から取り出してきた包帯と薬草で必死に手当てしてくれている。だがグラティアスは手当てしているその手をグッと掴んで、ふらつきながらもなんとか立ち上がる。


 「...アルガーが心配。パパに伝えて、助けてもらう」


 戸惑うアミークスの手を掴んだままそう言った。


 「駄目、先にあなたを手当てしないと」


 「私は大丈夫」


 「嘘つかないで。呼吸も荒いし、顔も真っ青だわ」


 「アミークス。お願い」


 痛みに必死に耐えながらもアルガーを優先したグラティアスを見て、アミークスの心は揺らぐ。


 「...わかったわ。背中に乗って」


 しっかりと背負ったことを確認したら、深呼吸して、目をつむる。

 すると、アミークスを中心に周囲の風が渦を巻き始めた。しだいにアミークスの足裏は高密度な空気で包み込まれていく。


 「飛ぶわね」


 「ありがとアミ」


 アミークスが空を飛ぶのに魔法の箒は必要ない。


 アミークスは「神のご加護」を授かっている特別な人間「聖人」だからだ。


 聖人の授かる能力は千差万別で、アミークスは風を操る能力を授かっている。周囲の空気に意識を集中させれば、竜巻を作り出すことも、空を飛ぶことも出来る。

 しかも、魔法でそれを再現するためには修行、魔法陣、詠唱、そして自らの血液が必要なのに対し、神のご加護はそれらを必要としない。


 バサバサ!!


 周りの草木が音を立て始め、同時にアミークスが空高く舞い上がる。

 気温がぐっと下がる。

 しかしそんなことにアミークスは動じない。

 身震いひとつせず、無駄のない動きで体勢を水平に保つ。


 「行くわよ。しっかり掴まってね」


 「うん」


 周囲の大気を右足に集中させ、圧縮された空気を後方に一気に開放する。

 開放された空気がアミークスを弾き飛ばし彼女の体を前へ進める。

 放たれた矢のように空を切り裂き、また渡り鳥のように風に乗った。




 この頃、グラティアス達の馬車を襲った鎧たちの正体、世界政府正騎士団がとある組織へ報告を送っていた。

 報告の送り先は世界政府中枢領域「メガ・ヴレイン」最上階。

 そこでは一つの巨大な魔法陣を囲うように、十数人の老人たちが席に着いていた。 


 メガ・ヴレインは真っ白でピラミッド状の超巨大建築物の複合体で構築されている。その最上階というのはピラミッドの頂点を指す。物理的にも社会的にもだ。


 「正騎士団が任務に失敗した」


 最上階で一人の老人が報告を口にした。ポツリと。


 「例の任務か?」


 数秒間の沈黙の後、他の一人がそう聞き返した。


 「そうさ」


 また数秒間の間の後、最初の人物が答えた。


 「詳細を聞かせて貰おうかのう」


 数秒後。上の二人とは別の老人が口を開く。


 「アルガー...特異存在の回収には成功した。フェロースの信用を勝ち取ることで、フェロースの主権領域圏内で予定通りにアルガーを襲撃することができたからだ」


 最初の人物が報告を始めた。


 「それで?」


 「問題が起こったのはアルガー回収後の輸送中だ。突如現れた影帝国の奇襲を受け、アルガーは強奪された」


 「『突如』ですか...? 影帝国の奇襲前例は千を優は超えているというのにも関わらず、『突如』という言葉を使うのですか?」


 「私は報告書を読み上げただけだ。正騎士団を動かした奴は誰だったかな?責任はそいつにある」


 「どうにせよ前の粛清でスパイを潰し切れていなかったことこそが原因であろう」


 「そうだ。そもそも今は責任問題を議論している暇はない。権力闘争よりもやるべきことがある」


 「さよう。今後の対応じゃな」


 「少なくとも地方警察、地方自衛団を活用してなんとかなる相手じゃない。我々の腹心でも歯が立たないとなると、それ以外の戦力を臨時で編成する必要があるだろう」


 「魔法部と聖人部にも手を回すか」


 「その組織を活用するのでしたらまず所属人員に戦闘訓練を積ませる所から始めなければなりませんねぇ」


 「特警部設立計画を前倒しにして、特警部で対応するのはどうだ」


 「時間がかかりすぎじゃ。諸問題の元凶の後継勢力が特異存在を手に入れたのじゃぞ。手段は選んでられないだろうに」


 「その通りです。世界平和の存続に関わる問題ですよこれは」


 「ふむ...教会連合総本山にパイプを持っている奴はいないのか?」


 「教会連合は使えないぞ。教皇がやり手でのう、権力もそこに集中しておる」


 「フェロースは動員出来ないのか?たしかに我々はあいつを裏切った。だが、だからと言って、あいつもこの事態を無視する事は出来ないだろう?」


 「フェロースも戦闘面を除けば所詮平凡な一般人に成り下がる。一時の感情に支配される愚かなる一般人にな」


 「つまりフェロースに理性的な対応を求めるのは不可能じゃと?」


 「世界政府に反旗を翻す可能性すらある」


 「一応、あれを縛る鎖は生かしておいた。よほどのことがない限り、あるいは我々のアテがよほど外れない限りあれは反旗を翻して来ないだろう」


 「どちらにせよフェロースへの対処も必要なのじゃろう?」


 「面倒だ。存亡大戦直後からしっかりと首輪をつけておけば良かったものを」


 ひと通りの解決案が出つくされ、またそれらの否定が行われた時、どこからか小さい溜息が吐かれた。

 また、数秒間の沈黙の時間が訪れる。

 数秒後、今まで無言を貫いてきたまだ若めの老人が少しにやけ、口を開き、場の沈黙を打ち砕いた。


 「影帝国の件に関してだが、俺様からも一つ解決策を提示させてもらおう」


 「最年少のお主からか?増長は程々に―」

 「黙れ老人。俺様を愚弄するなよ。まあいい。貴様らは俺様に借りを作る他ないのだからな」


 「面白いことを言う。では解決策を聞かせて貰おうではないか」


 「魔術師連合。これを隠密特殊部隊として活用する」


 魔術師連合という言葉が発せられた瞬間、場にざわめきが広がる。


 「存亡大戦の際に唯一、共同戦線を築かずに生き残った独立勢力か。数年前に瓦解したと聞いていたが」


 「瓦解した後また結成されたんだ。拠点も失い、勢力自体はかなり縮小されたが、それでも影帝国を凌駕する魔法技術を持っている。実力は俺様が保証するよ」


 「となると問題は、どのようにして連合を取り込むか、だな」


 「心配ご無用。既に傀儡化は済ませてある。今の魔術師連合にはカリスマがいなくてな、資金難にも陥っていたから簡単に思い通りにできたよ」


 「面白い。私は賛成だ。決を取ろうではないか」


・・・


 「では、この件は君に任せるよ。この会議は終了だ。宴を始めよう」


 テーブルで淡い光を放っている魔法陣に手をかざすと、老人たちの座っていた席が床に彫られている魔法陣に沿ってスライドしていき、別のフロアに移動した。


 移動前のフロアと同じ「メガ・ヴレイン」最上階ではあるが、移動先のフロアは雰囲気が大きく異なる。


 ここはまさに酒池肉林を現実化させたような場だ。豪勢なシャンデリアによって、趣向の凝らされた料理、グラスに注がれた真っ赤な液体、そして生きた女の裸体が浮かび上がっている。


 「グフフフフフ。実に悪趣味な宴じゃ。じゃがこの上なく、素晴らしい」


 老人たちは舌なめずりしながらグラスを上に掲げる。


 「永久の富と安寧を賢人会に。乾杯」

 「永久の富と安寧を賢人会に。乾杯」

 「永久の富と安寧を賢人会に。乾杯」




 「教皇、賢人会が特異存在への干渉を始めました。影帝国も介入しているようです」


 家を目指して空を飛ぶグラティアス達、宴を始める賢人会の老人達と時を同じくして教会連合総本山・聖地。

 膨大な紙と本が整然と収納されている広い書斎の扉が開かれ、一つの報告が読み上げられた。


 「老人共め。不可侵条約を破ったな」


 教皇、そう呼ばれていたのはたった10歳の子供だった。小さな子供が教皇として人類の過半に慕われ、彼らの信仰を一つにまとめ上げているのだ。


 彼は神童だった。

 生まれつき天才的に優れた頭脳を持っていた。

 そして先代教皇も優秀だった。先代教皇は早くから、生まれて間もない彼の異常性に気づき、常人とはかけ離れた密度での英才教育を施した。


 結果、現教皇は卓越した洞察力と思考力を兼ね備え、幼さ故に生じる詰めの甘さを膨大な知識量と経験で克服した、正真正銘の神童として、教会連合のトップに君臨することとなった。


 「賢人会も堕ちたな。影帝国の愚か者に付け入る隙を与えているようじゃここ十年間のパクス・ワールドガヴァメンタルにも先が見える。そろそろこちらも動き始めるぞ」


 「教皇を慕う全世界の信者は、あらゆる天命に対する用意が出来ています」


 「そう焦るな。英雄との接触から始めたい。まずは使者を送ろう」


 「了解です」


 影帝国、賢人会、教会連合。三つの巨大勢力が特異存在アルガーを巡り、それぞれ思惑のため駒を進めていた。




 「着いたよ」


 「ごめんアミ、立てそうにないや。このままがいい」


 「わかったわ。ちゃんと肩つかまっててね」


 アミークスはグラティアスを背負ったまま赤い屋根の家の前へ降り立った。

 地面へ急降下し、激突する寸前に強力な上昇気流を作りホバリングして、その後ゆっくり降り立つ。

 上昇気流が扉や窓を揺らしガタガタと音を立て、その音を聞きつけたフェロースが扉を開ける。


 「グラティアス傷が!! なんてことだ!!」


 「パパ、私は大丈夫」


 「強がるんじゃない。すぐに傷の処置をしよう。家に入って横になってくれ」


 人体は肉体と魂が複雑な相補性を構築して形成されている。そのため魔法や加護で直接治癒するのは不可能に近い。


 だから怪我を負った時は、魔法陣の刻まれた包帯で傷を封印して傷が広がるのを防ぎつつ、当人の持つ生命力を刺激したり継ぎ足したりして、自然治癒を促す。


 「致命傷にならなくて良かった。すぐ治る。だが3日は安静にするんだグラ。痕には残るかもだが、それもじきに消える」


フェロースは一通りの処置を終えたあと、ベッドに寝かせているグラティアスにそう言う。


 「分かった」


 「ところで、アルガーはどうした。連れ去られたのか?」


 「世界政府の騎士に...必死に抵抗したのに、気付いたら吹き飛ばされてて、それでアルが、連れ去られ...ちゃった」


 「大丈夫だ。全てパパに任せろ。グラティアスは安心して寝なさい」


 「パパありがとう」


 フェロースの言葉を聞いて緊張の紐が切れたのだろう。上げていた頭を枕に落し、目を腕で擦り、静かに寝息を立てながら深い眠りに入った。


 「アミークスさん。娘を助けてくれて本当にありがとう。そしてすまない。馬車の襲撃は全て俺に過失がある」


 「どういうことですか?」


 アミークスが首をかしげる。


 「おそらく君たちを襲ったのは正真正銘、世界政府の騎士だろう。俺が世界政府を欠片でも信用していたのが全ての原因だ」


 フェロースは唇を噛みしめながら説明を始めた。


 特異存在アルガー。アルガーは無自覚だが、彼はあらゆる意味において特別、そして特異な存在であり、あらゆる勢力から狙われている。


 だからフェロースはこれから学校へ通う事になるアルガーを守るため、世界政府の暗部である賢人会と取引して、世界政府正騎士団に護衛の協力を取り付けいた。


 その協力者が裏切ってアルガーを襲撃したため、フェロースは襲撃そのものに気づかなかったのである。


 「だから、世界政府を信用した俺に全ての過失がある。こんなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない」


 フェロースの瞳にはもう後悔と苦悩しか写っていない。


 「そんな...」


 「急にすまないがアミークスさん。俺の背中に掴まってくれ」


 何の脈略のないその指示にアミークスは戸惑う。戸惑いながら顔を上げ、フェロースの方を見る。

 気付いたらフェロースは真っ赤なローブを羽織って、真っ黒な箒を左手に、真っ赤に染まった長身の剣を右手に装備していた。


 アミークスは指示に戸惑いながらもそっと背中に掴まる。


 箒は左手から離れ青白く輝きながら宙に浮く。それを確認したフェロースはベッドに眠っているグラティアスを静かに優しく左手で抱え、箒にまたがった。


 「パパ、おね...がい」


 抱きかかえられた時に一瞬目覚め、彼女はその言葉を呟き、すぐまた眠りについてしまった。だが、フェロースにとってはその一言で十分だった。

 その言葉を聞いた途端、今まで後悔と苦悩しか映ってなかったフェロースの瞳に希望の光が僅かに宿った。


 右手に持つ深紅の剣をギュッと握り直す。

 周囲の空気がピリピリと震える。

 窓がゆっくりと乱暴に開かれる。

 グラティアスを左手で抱えたままは前傾姿勢を取り、握っている剣を正面に掲げる。


 その瞬間、まるでフェロースが別の存在に豹変したかのような尋常ではない気配と神々しさを帯びた。まるで、歴史や伝説の中で登場する英雄や勇者のようである。

 いや、その表現は正しくないかもしれない。なぜなら...


 グラティアスが再び眠りについた後、フェロースが彼女の呟いたお願いに応える。


 「安心しろグラティアス、アルガーは必ず助ける。なぜなら、お前のパパは英雄フェロースだからだ」





 「っひぃ!!」


 不気味な老人が怪しい液体と魔法陣の刻まれた鋭い機械を持ってアルガーに近づいてきた。

 実験室でアルガーは体をこわばらせる。しかし全身は拘束されたままだったから、震えることすら許されない。


 「そう怖がるなよ。ふふふ。こっちはただ君で実験したいだけ」


 「いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」


 「安心しろ。わしはサディストではない。ふふ。目的を達せられたらそれで満足さ」


 服を脱がされ、身動きの取れないアルガーの肌に赤い液体が塗りたくられていく。血のように真っ赤な液体だ。いや、もしかしたら本当に血液かもしれない。

 顔、首筋、腕、背中、胸。の順で全身くまなく塗りたくられる。


 「ふふふふ。見つけた」


 胸まで塗りたくられた時点で不気味な老人の手が止まる。

 そして目を見開き、満足そうに大きく頷いた。


 「ふふ、見たいかい?鏡あるよ。自分の身体がどうなっているのか見せてあげるよ。ふふふふふ」


 老人は鏡を持ってきて、必死に目を閉じているアルガーの瞼を無理やりこじ開けて、自分の胸辺りを見させた。

 見ると、それまで傷ひとつ無かったはずの胸の心臓辺りに、黒光りする魔法陣がびっしりと刻まれていた。とても不気味な魔法陣だ。おぞましい。


 「なに...これ!!!!」


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