第1話 物語の始まり

 ガラガラガラ。

 小ぶりの馬車が砂利道を走る音がする。

 砂利道の周りには平坦な草原が広がり、道端には黄色い花が咲いていた。

 遠くには数百頭の牛の群れが見える。牧草地だろうか。


 馬車の走る道の先にはぽつんと一軒だけ、小さな赤い屋根の家が建っていた。


 「アルガー。始めていく学校、緊張しているか?」


 家の中では三人家族が一緒に朝食を取っていた。

 テーブルに並ぶのはコンソメスープと黒パンとチーズ。窓から射す朝日に照らされコンソメスープがキラキラと光っている。


 「緊張してるけど、大丈夫だよ。なんかあったらティア姉のとこ行くから」


 そう答えた少年の名前はアルガー。赤茶のフワフワしたくせ毛が特徴の背の低い男の子だ。


 「アルももう12歳なんだから、少しくらい自立しないと駄目」


 アルガーがティア姉と呼んだ少女の名前はグラティアス。腰まで伸ばしている父親譲りの明るい金髪が特徴の、真っ直ぐな瞳を持つ14歳の女の子だ。


 「おねがいだよー。ティア姉」


 「仕方ないなー」


 アルガーの頼みを面倒くさがっているような言い方をしているけど、顔はニコニコで嬉しそうだ。


 「ありがとうティア姉」


 アルガーも笑顔でお礼を言いながら、パンを頬張っている。


 「学校や世界政府への根回しは済ませているから危険は無いはずだ。だが、アルガーは今日初めて俺のもとを離れる。だから色々と不安になったりするだろう。その時はグラ、お前が守ってやれ」


 そう話した男の名前はフェロース。グラティアスの父親でアルガーの育て親だ。高い背とパキッとした金髪が特徴の男だ。アルガーやグラティアスと違ってあまり笑顔を見せない。


 「僕学校で魔法いっぱい勉強して、いつか英雄になって僕がティア姉を守れるようになるよ!」


 「アルはダメ。私が英雄になってアルガーを守る」


 「お前たちは英雄になりたいのか?」


 あまり笑顔を見せないフェロースが少し口角を上げて二人に問いかける。

 それに反応しアルガーは急いで口に入れていたパンを飲み込み、目を光らせて喋り始めた。


 「せんせー当たり前っしょ!だって英雄って世界を殺戮の魔女を殺して救った最強の存在なんでしょ?僕憧れてるんだ!」


 アルガーはフェロースの事を「せんせー」と呼んでいる。


 「そうか。まあ何かを目指すってのは良い事だ。だが...英雄になったからと言って幸せを掴めるとは限らない、ということは覚えておけ」


 「? どういうこと?せんせー」


 「要するに、幸せってのは所詮主観に過ぎないってことだ。お前もいずれ行き着く結論さ」


 「...?」


 「それよりお前ら、学校の支度はもう済んだのか?もうすぐアミークスさんが迎えにくる時刻だと思うが」


 「ア、アルは終わった?」


 「そう言うティア姉は?」


 「「...」」


 二人は急いで朝食を口に流し込み、凄まじい速度で準備を始めた。

 しかし今から急いでももう遅い。二人がバックに教材を詰めている最中、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。時間オーバーだ。


 「アミークスです。グラを拾いに来ましたわ」


 フェロースが、準備の最中のアルガー達を横目に見ながら玄関のドアを開ける。

 ドアの向こうには小さな馬車と一人の少女が立っていた。

 彼女の名前はアミークス。優しいこげ茶の瞳が特徴のグラティアスの親友だ。今日は綺麗な茶髪をおさげにしている。


 「ちょっと玄関開けないでパパ!今からスカート着替えるのに!」


 「おいグラ、時間が無いんだから馬車の中で着替えさせてもらえ」


 「グラのパンツは見慣れているわ...」


 アミークスはとても呆れていた。


 「...いつも待たせてごめん」


 「いいわ。それより早く行きましょ」


 「うん。パパ行ってきます」


 「せんせー行ってきます」


 「ああ、行ってこい」


 こうしてアルガーとグラティアスは、フェロースに見送られながらアミークスの走らせる馬車に乗って学校へ向かった。


 「アミ、この子が昨日言ったアルガー」


 「よ、よろしくお願いします。アルガーです」


 家の中のふわっとした振る舞いから一転、馬車の中ではガッチガチに緊張している。


 「よろしくアルガー君。私はアミークスだわ。アミって呼んでね」


 「わ、わかりましたアミさん」


 「ふふ、緊張しているのかしら。もっとフランクでいいのよ」


 「え、えーっと、その、えっと... ティア姉助けて」


 上手く受け答えできなくなったアルガーはグラティアスに泣きつく。


 「大丈夫。アル挨拶よく出来てた」


 グラティアスは涙を浮かべるアルガーの頭を撫でながらニヤニヤと笑みを浮かべる。

 馬車の手綱を引きながらアルガー達の様子を横目に見るアミークスは、少しだけ嫉妬してムスッとしている。


 ガラガラガラ。


 馬が歩き始め、車輪が砂利道を踏み鳴らす音を上げ、馬車が走り始める。

 馬車の中ではグラティアス、アミークス、アルガーの三人が学校に着くのを心待ちにしている。三人の気持ちは前を向いている。

 きっと、走っていった先に希望があるのだと信じて疑っていないのだろう。


 しかし、そのような個人の主観に左右されず常に因果に基づいて襲い掛かってくるのが現実というものである。

 馬車は希望を乗せて昨日も、おとといも、一年前も走っていた。ガラガラガラと音を立てて。


 しかし、明日も走り続けるとは限らなかった。




 馬車が学校までの道のりを半分くらい走り切った時。

 青白い光が地平線の先から馬車へ急速接近してきた。


 小さな点のように見えた青白い光を放つそれは、接近と共にくっきりとした輪郭が認識できるようになっていく。

 それは、青白い光を放つ箒に乗り、全身を鎧で武装して、青いマントを背中から垂らす、数百人規模の軍団だった。鎧の肩には世界政府の紋章が逆さに彫られている。

 世界政府正騎士団の隠密部隊だ。


 正騎士団は静かに高速で空を飛び、アルガー達が気づく間もなく彼らの馬車を上空から静かに包囲する。


 「グラ、外に世界政府の正―」


 アミークスが包囲に気づいた時にはもう彼らは行動を開始していた。既に騎士の一人が馬車に手をかざし―


 「撃て」


 バチバチバチッ!!


 雷撃の魔法だろうか。それとも雷の加護の力だろうか。

 紫色の閃光が放たれ、馬車にぶつかり、耳障りな音を立てる。

 その瞬間馬車の大部分がバラバラに吹き飛んだ。

 馬は悲鳴を上げる。

 屋根が剥がれる。

 車輪がバウンドし宙を舞う。

 そしてアルガー達は野に投げ出された。


 「拘束しろ」


 正騎士団が包囲を崩さないまま地面に降り立ち、行動を開始する。


 「アミ!!逃げて!!」

 「えっ、え?」


 アミークスは状況を理解できてない。


 ダン!!


 正騎士団の一人がアミークスの腕を強引に掴み上げ、あっけなく羽交い絞めにされる。


 「グラと、アルガー君。二人を、守らなきゃ」


 小さなかすれ声でそう呟く。

 アミークスは指先をピクリと動かし、風を操る。少しずつ風の渦を大きく、速くしていき、ここにいる全員を吹き飛ばすような巨大な竜巻を作ろうと空気を回していく。

 しかし―


 「レジストだ。その後気絶させろ」


 「了解」


 騎士たちによって竜巻はかき消され、気絶させられてしまう。


 「拘束、次!」


 隊長らしき騎士がそう言い放つと、今度はアルガーの方に騎士数人が足を進める。


 「アル!!」


 アルガーはまだ投げ出された時の痛みで頭がいっぱいだった。

 そんなアルガーを守ろうと、近くにいたグラティアスがアルガーに駆け寄り、ギュッと固く覆うように抱きつく。

 しかし正騎士団はそんなグラティアスを軽々と引き剥がす。


 「ティア姉、なんで、待って」

 「アル、大丈夫!私が―」


 そう叫びつつ、拘束しようとしている騎士たちの目を盗んでポケットから小瓶と紙を取り出す。赤い液体の入った小瓶と魔法陣の刻まれたハンカチくらいの大きさの羊皮紙だ。


 「点け!」


 瓶を手で割ると同時に点けと叫ぶ。

 次の瞬間。


 ボワッ!!


 魔法が発動し、小瓶に入っていた液体がメラメラと赤く燃え上がった。


 「コイツ、自分の体に火を放ちやがった!!」

 「面倒だ、始末するぞ」

 「駄目だ。殺さずにやれ」

 「アル、私の手を取って!!」

 「分かっ―」


 騎士達のひるんだ隙を見逃さない。体を燃やしながらアルガーの手を取り、硬く握りしめる。

 次に彼女が手に取るべきものは箒だ。箒があれば空を飛べる。鎧から逃げ切り助けを呼べるかもしれない。全員が助かるかもしれない。

 ところが―


 パァン!!


 「ぐはぁ!!」

 「ティア姉ぇぇぇぇぇー!!!!」


 辺りに炸裂音が響き渡るとともに、グラティアスはアルガーと反対方向へ吹き飛ばされ、水を掛けられる。鎮火後、瞬時に駆け付けた騎士が彼女の顔を地面に乱暴に押さえつけた。

 グラティアスは完全に捕らえられてしまった。


 統制を取り戻した正騎士団がアルガーにも詰め寄る。


 「お前がアルガーで間違えないな」


 「...ぼ、僕がアルガーです、なんでも言う事は聞くから、だから、グラティアスとアミークスには酷いことしないでください、お願い、します」


 「特殊拘束を始める。拘束鎧、作動始めろ」


 「お、お願いで、ムグゥ!」


 アルガーの願いは無視されたまま、淡々と作業が続く。

 震える肩を最初に掴み上げられ、魔法陣の彫られた金属製の拘束具が装着される。


 目には頑丈な目隠し。

 口にも頑丈な猿轡。

 手足にも頑丈な枷が取り付けられる。


 全身が強固に拘束されたのち「拘束鎧」と騎士らに呼ばれていた巨大な鎧への収容が行われた。

 体の隅々まで拘束鎧に包まれていて、身動き一つ取れない。そこにはアルガーの面影はない。ただ白く巨大な拘束鎧が静止している。


 「―それと、対象と一緒にいた二人は生きて返せ。絶対に殺すなよ」


 「隊長、これは最重要機密作戦です。ですので、完全な隠蔽のためにも殺害する必要があると思われます」


 「駄目だ。こいつらまで殺してしまえば、奴を縛る枷がなくなってしまう。それともお前は奴を撃退する力を持っているのか?」


 「いえ、出すぎた発言でした」


 「それより拘束は完了したか?」


 「ダブルチェックも済んでいます」


 「なら輸送を始めるぞ。全体、浮上」


 隊長の号令で全員が同時に草原から浮かび上がる。魔法の箒の尾を青白く光らせ、高速飛行を開始する。程なくして彼らは瞬く間に地平線に消えいった。


 鎧たちが消えた草原には馬の死骸が転がり、馬車の残骸が散らかり、ずぶ濡れグラティアスとアミークスは気絶したまま放置されている。

 そこにアルガーの姿はない。


 連れ去られてしまった。




 馬車の襲撃地点の遠く、西の上空。


 正騎士団がアルガーを輸送し飛行しているのを眺めている軍団がいた。

 数千人規模の軍団が箒に乗り空高くに静止している。正騎士団でも世界政府でもない謎の巨大勢力の軍団だ。高度な魔法迷彩と魔法煙幕を使って完全に青空に化けている。


 「同志諸君。突っ込むぞ」


 軍団の先頭に鎮座していた怪しい男がそう言うと、数千人が一気に急降下して正騎士団の方に突っ込んでいった。奇襲だ。


 「ん? ...ッチ! 総員戦闘準備だ!! アルガー輸送部隊は全速力で現空域を脱しろ!!」


 その頃、青空の違和感に気づいた正騎士団の隊長は上空を睨みながら声を張って命令を下していた。部下も緊迫感を感じ取り即座に臨戦態勢を取り始める。

 が、しかし既に遅かった。

 彼らが動き始めていた時には既に敵の攻撃は始まりかけていた。


 ゴゴゴゴゴゴゴ!!!!


 物凄い轟音とともに、草原、青空、そして正騎士団の鎧が細かく切り刻まれる。鎧からは真っ赤な血液が噴き出ている。


 「諸君、ごきげんよう。影帝国の参上だ」


 低く、威圧感ある声によって影帝国の名が天空で轟く。

 攻撃を食らった正騎士団の前に突如、数千人の漆黒の軍団が姿を現した。黒い箒にまたがり黒い覆面を被り黒いマントを翻している。

 マントには竜殺しの紋章が、かつて世界の広域を支配していた強大な帝国の国章が記されていた。


 そんな影帝国の軍団は魔法剣を掲げ、怯んだ正騎士団へ切り込みにかかった。


 「諸君の実力はその程度か。なにが世界政府正騎士団だ。名前負けしているな」


 影帝国の声は心の底から嘲笑っているかのようだ。だがそれと同時に、屈強な戦士をも恐怖させるような威圧感もその声にはあった。


 「我ら正騎士団を侮辱するなああああ!! 一斉射撃!! 撃てえー!!」

 「うおおおおおお!!!!」


 大規模な魔法や加護の力が広大な青空でぶつかり合う。それと同時に魔法陣の刻まれた剣を使った近距離戦も始まり、戦線が形成される。


 数で言えば影帝国が圧倒的だ。それに奇襲の成功で戦術的な優位性も影帝国にある。しかし質で言えば、世界中の最精鋭がかき集められている正騎士団に軍配が上がる。

 その後、正騎士団は猛烈な魔法攻撃で影帝国の軍団への反撃を成功させ、なんとか体勢を逆転させた。

 しかし―。


 「隊長!! 拘束鎧の輸送機械が乗っ取られました!!」


 既にその時にはアルガーは影帝国の軍団に強奪されていた。


 「くっ全体、散開!! 聖人部隊は気候操作で逃げ道を無くせ! 近衛部隊は最大速度で切り込みに掛かれ! アルガー奪還を最優先に戦闘行動行え!!」


 「目的は達せられた、引くぞ。諸君、さようなら」


 強奪を達成した影帝国は空に放った黒い煙幕の影に姿を消していった。




 アルガーが目を覚ました時、手足や体の拘束具は付けられたままだったが、目隠しや猿轡は取り外されていた。気絶していたせいか、まだ彼の意識はぼんやりとしている。


 だからまず、静かに周囲を見渡した。


 暗い部屋だ。


 何も見えない。


 少ししてアルガーの瞳孔が開くにつれ部屋の中の詳細が分かってきた。

 鋼鉄の壁、鉄のテーブル、無機質な照明、数々の魔法陣の彫られた道具、大量の本棚。


 昔アルガーがフェロースから聞いた話に出てくる、フェロースの秘密基地にあるという実験部屋とよく似ている。


 と、ここまで来てアルガーは先ほどの出来事を、そして恐怖を思い出した。

 馬車を襲う衝撃。

 地面と激突する痛み。

 頭を押さえつけられていたグラティアス。

 身体がきつく固定されていく苦しみ。


 フラッシュバックする。あの時の情景がアルガーの脳裏を駆け巡る。


 「あ...

  ああ...

  ああああああああああああ!!!!!!

  ティア姉ー!!!!せんせー!!!!誰か助けてー!!!!」


 アルガーは数分間叫び続けた。悲痛な叫びが実験室で反響する。


 コツ、コツ、コツ


 叫びを聞きつけたのだろうか。誰かの足音、そして杖を付く音が部屋に近づいてきた。

 そして扉の鍵が回される。


「君がアルガーか。ふふ。とても特異存在には見えない」


 ガチャリと部屋の扉が開かれ、薄汚れた白衣を羽織った白髪の老人がそろりと近寄ってくる。老人はアルガーの叫びを意にも介さず、ただ興味深そうに眼を見開いていた。


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